風土記の丘だよりinかい

やまなしの考古博物館やmaibunCの活動のこと
そして周辺の甲斐風土記の丘の四季折々のようすをご紹介します

銚子塚古墳の不思議(1)

2009年12月13日 | 風土記の丘の遺跡・史跡


 昭和5年2月28日に国指定史跡となっている銚子塚古墳。
後円部の北側から、前方部やその先にある丸山塚古墳を見ている写真です。
後円部の墳丘の北側の裾部には、ここだけなぜか、大きな石が敷き詰められてました。
なぜ。何だろう・・・。



 そのかたわらに置かれていた説明板です。
これによると、この石敷きの部分は、「突出部」といわれるもので、
解釈としては、古墳が作られた時代の、古墳に対しての“まつり”が行われた場である・・・
ということのようです。
でも、どうしてそんなことがわかったのでしょうか。



 こちらをご覧ください。先ほどの説明板の中に付けられていた写真を切り出したもので、
多少の汚れがありますが、気にせずに・・・。
こちらは、説明板にもありますが、平成16年度に行われた発掘調査の際、
この部分から見つかった「突出部」の状況を示したものです。
地下から1,000数百年前の“古墳のお祭りのようす”がそのままに出てくるのって
すごいことですよね。
こうした地道な作業から、遠い昔の人々のなせる業(わざ)や想いが、よみがえってきています。
銚子塚古墳は、そんな遠い昔を伝える史跡ですが、それに向き合う現代の私たちの
向き合い方を示す、ないしは向き合い方を考える場所ともいえます。
コメント
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