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列車で周る英国の旅 Day5

2010-01-15 | travelog


【様々な歴史を刻んできた街をゆっくりと散策、そしてスコットランドへ】 01/12/09 : ヨーク~エディンバラ

起きたら、部屋から見えた朝焼けが綺麗だった。  もう7:45なのに、この暗さ。
1階のダイニング・ルームにて朝食、私のほかにも何組か宿泊客がいるようだ。 
 ここのフル・イングリッシュ・ブレックファーストは、ベーコン、卵(フライド・スクランブル・ポーチドが選べる)、ソーセージ、バターと塩で炒めたマッシュルーム、揚げパンで、私はトマトが嫌いなので抜いてもらった。英国の食パンはこのように薄くて、丁度日本のサンドウィッチ用と同じくらい。シリアルもあったが、普段朝食をとらない私にはこれだけで十分。
お腹いっぱいになったところで、チェック・アウトをしてスーツケースをリビングに置かせてもらった。
ゲストハウスのおばさんは、“取りに戻って来た時は、チャイムを鳴らさずにこれで開けなさい” と言って入口の鍵の暗証番号をメモに書いて渡してくれた。

朝の散歩は城壁からスタート。前に一周しているので、今回は少しだけ。
 モンク・バーの階段で城壁に上って  こんなところや  こんなところを歩き、
街並を眺めたり  ミンスターを眺めたりしながらの散歩は、朝日が眩しくて空気が美味しくて気持ちよかった。

ミンスターのオープン時間、9:30に合わせて中に入った。5年ぶりなので、なんだか懐かしかった。内陣の聖歌隊席の仕切りに歴代英国王の彫像が15体並んでいるのだが、実は私、この王たちの表情がすごく好きで、ずっと眺めていても全然飽きない。(大きな影は上に吊るされたクリスマス飾りの影)
          
一部をズーム・アップ!  右の王、津川雅彦に似てる!

 聖歌隊席(クワイア)に入り、  聖歌隊指揮者の目線を体験。
             いろんな墓碑
 主祭壇の後ろに見えるステンドグラスは、 “グレイト・イースト・ウィンドウ” と呼ばれる英国最大のステンドグラスなのだが、修復中のため写真がはめ込まれていた。
        身廊   北側廊   西扉の装飾
北翼廊の奥にチャプターハウスがあって、そこでぼーっと座っているのも好きなのだが、行ってみるとちびっ子たちが・・・。ミンスター・スクールの可愛い子供たちが、何やらクリスマス会のお稽古中だった。


ミンスターを出たあと、かつてヨーク市長も住んでいたことがあるという中世のタウンハウスを忠実に再現したバーリー・ホールを見学したり、小さな教会に入ったりしながらぶらぶら街を散策し、クリフォード・タワーに行った。ここは、現存する唯一のヨーク城の一部。(タイトル写真) 
ここ(タワーの上)から眺めるヨークの景色が好き  右奥に見えるのはヨーク・ミンスター

クリフォード・タワーの近くのキャッスル・ミュージアムに入ると、ビクトリア王朝時代の昔からの家庭生活の様子が再現されていて、その時代時代のキッチンやバス・トイレ、洗濯機、掃除機などの展示はなかなか面白かった。
パーラメント通りのインターナショナル・クリスマス・マーケットには、いろんな国の屋台が出ていてたくさんの人たちで賑わい、こんなに大勢の人たちが集まるのに夜になるとごっそり居なくなるというのが、ちょっと信じがたいくらいだ。
 インターナショナル・マーケット   ベルギーのお菓子の出店

1992年に初めてヨークに来た時に、ひとつの古い小さな教会に入った。ホーリー・トリニティ教会というその教会は、中がボックス席のように仕切られていて、一般的な教会と違うのでとても印象に残っていた。5年前に来た時は、その囲みの席に座って暫く時を過ごした。ところが今回中に入ると、その囲みが閉ざされていて、一般見学者は通路を通ることしかできなかったのがとても残念だった。
 見過ごしてしまいそうな小さな門をくぐると、小さな教会が建っている。

再び街をぶらぶら。ヨークでいちばん有名なシャンブルズ通りは、石畳の細い路地で、2階部分が路地にせり出すように建ち並んでいる。  この頭でっかちの建物は、居住空間を少しでも広く使おうとしたアイデアなのだとか。
ウーズ河の方に行くと、少し前まで降り続いていた豪雨で水位が上がり、潅水した建物の無惨な姿が目に入った。


その後、ストーンゲート通りにあるBettys Café Tea Roomsの姉妹店 「Little Bettys Café」 で、アフタヌーン・ティ・タイム。
  本格的なアフタヌーン・ティは、サンドウィッチとスコーン、ケーキがセットになっていて私にはちょっと多すぎるので、クリーム・ティにした。クリーム・ティというのは、紅茶にクリームを入れるのではない。スコーン2個と紅茶のセットのことで、スコーンに付いてくるクリームとジャムからそう呼ばれるようになった。そのクリームはクロテッドクリームという、乳脂肪分が生クリームよりも高くてバターよりも低い、イングランド南西部で作られるコクのあるクリーム。日本では中沢乳業が製造販売しているが、やはり味はかなり落ちる。
さすが老舗のBettys、クリーム・ティも3段重ねのティースタンドで出された。ティー・ポットがふたつあるが、左側の小さいポットにはお湯が入っている。大きいポットには茶葉が入ったままだから、当然時間が経つと濃くなるので、それを薄めるためのお湯だ。
                  

クロテッドクリームはコクがあって、本当に美味しくて大好き。適度にしっとりとしたスコーンも美味しくて、ふたつ食べるとお腹いっぱいになった。
外に出ると、もう日が暮れ始めていた。すぐに真っ暗になるので、それまでにと、少し早足でヨークシャー・ミュージアム・ガーデンの中にあるセント・メアリーズ・アビーの廃墟に行った。
ここも、先日行ったバトル・アビー同様、ヘンリー8世の修道院解体令によってつぶされた修道院の址。


当初はもう一泊しようと考えたのだが、暗くなるのが早いしお店も閉まってしまうので、夜は次の街に移動することにした。
ゲストハウスにスーツケースを取りに戻り、ヨーク駅に向かう途中に国立鉄道博物館に寄っておみやげだけ買って、次の街エディンバラ行きの列車に乗った。
National Express East Coast(ナショナル・エクスプレス・イースト・コースト)のエディンバラ行き列車はほぼ満席だったが、何とか座ることができた。
エディンバラまでの約2時間半は読書で過ごし、定刻より5分程遅れてEdinburgh Waverly(エディンバラ・ウェイヴァリー)駅に到着。
駅からこのウェイヴァリー・ステップスという階段を上って   新市街方面に出てホテルに向かった。外は雨、しかも北海から吹いてくる横なぐりの風がめちゃくちゃ強くて、傘も差せない。イギリス人が傘を差さないのは、こういうことも理由のひとつなのかも知れない。フード付きのコートは必須だ。
新市街のヨーク・プレイスにあるOsbourne Hotel(オズボーン・ホテル)にチェック・インしたあと、夕食の調達に出かけた。
 部屋はこんな感じ、ここに2泊する。ここに限らず、ホテルの部屋には紅茶とコーヒーのセットが備え付けられている。
バーガーキングがあったが、ハンバーガーを食べる気はせず、ウェイヴァリー・ブリッジを渡って旧市街側に行き、坂を上って旧市街のメイン・ストリートのロイヤルマイルに出た。
 ヨークと違って多少人は歩いてはいるものの、もう9時半を回っていたのでテイク・アウトの店も閉まり、結局ウェイヴァリー駅構内の 「Marks & Spencer Simply Food」(大手スーパー・チェーン店のマークス&スペンサーのコンビニ版)でパスタ・サラダとデザートを買ってホテルに戻った。
 夕食のハニー&マスタード・チキンのパスタ・サラダとレモン・チーズケーキ。ヨークで食べたPRETのレモン・チーズケーキが美味しかったので、すっかり虜に。PRETのに比べると味は落ちるが、それでも美味しかった。

TVを点けると、去年夏に行なわれたT in the ParkでのFranz Ferdinand(フランツ・フェルディナンド)の凱旋ライヴをやっていて、“スコットランドに来たー!” という気分が高まった。
 

列車で周る英国の旅 Day4 ②

2010-01-14 | travelog


【大好きな街でのんびり、夜は “お笑い” ゴースト・ハント・ツアー】 30/11/09 : ヨーク

ダラム駅に着いた頃には結構本降りになっていたが、列車がヨークへと近付くにつれ、空も明るくなって青空が見えてきた。
渡英前、かなり心配していた天候だったが、行く先々で青空に恵まれていた。雨が降っても目的地に着いたら止んだり、降り出してももうそこを去る時だったりでついていた。
車内販売のサンドウィッチで少し遅い昼食を摂り、ヨークに着いて預けていた荷物をピック・アップしたあと、途中ツーリスト・インフォメーションに寄って 「York Pass」 を購入した。
 その後、ヨーク・ミンスターの横を通って   城壁の外に出るモンク・バーというゲートを抜けて5分ほどのところにある、The Cavalier(カヴァリエ)というゲストハウスが今夜の宿。
チャイムを鳴らすと、愛想のいいおばさんが出迎えてくれた。可愛いリビングの横を通って2階の部屋に案内してくれたおばさんは、陽気に実演まじりで鍵の説明をしてくれた。
 The Cavalier

おばさんとの会話の中で、ヨークが私のいちばん好きな街で今回で3度目なんだってことを話していたのだが、出かける私にわざわざ街の方向を説明しに来て、でもそれがすぐに必要ないということに気付き、“あ、あなたはもう十分知ってるわね。ゆっくり楽しんで!じゃ、また明日ね” と言って送り出してくれたのだった。
日没までもうあと30分くらい。ひとまずヨーク・ミンスターに行って、タワーに登ることにした。ヨークに来る度ミンスターには訪れているが、タワーに登るのは初めて。階段が狭く、上りと下りは同じ階段を使うため、時間制になっている。次の入場まで10分ほど待った。
真ん中の四角いのがタワー  ひたすら続くらせん階段を登り、タワーの付け根の高さのところで一旦外に出た。
 ゴシックの装飾を間近に見ながら  タワーの入口に続く細い通路を振り返る。
更に急な階段を上り  タワーのてっぺんに到着!  
ヨークの街並と遠くに見えるヨークシャー州の360度の景色が、だんだんと茜色に染まりながら暮れていくのが美しかった。(タイトル写真)


タワーを下りたあと、街を散策する前にある物を探さなければならなかった。
友人からのメールで、電源プラグ用の変換アダプターを友人宅のコンセントに差したまま忘れてきたことを知り、ドライヤーはホテルにあるから何とかなるものの、デジカメの電池の充電が必要なので、どこかでアダプターを入手しなければならなかった。友人に聞くと、Boots(ブーツ)にUSA用のアダプターがあるのでは、とのこと。Bootsは英国大手のドラッグ・ストアで、薬や化粧品のほかに雑貨や小型電化製品なども取り扱っている。
早速Bootsに行くと、三叉と二叉が兼用になったのがあった。念の為USAのブラグに対応しているかどうか店員に聞くと、店員のお兄さんは中の説明書を取り出して、“for USA&JAPAN” というのを確認してくれた。もしなかったらどうしよう・・・とかなり不安だったので、これでひと安心。

マンションハウスの美しいライト・アップや  
パーラメント通りに開設されていたクリスマスの移動遊園地なんかを見ながら 
すかり日が暮れた街をのんびりと散策したあと、カフェに入って少し早めの夕食。「Pret A Manger」(フランス語でプレタ・マンジェと読む/通称PRET)はUK生まれのサンドウィッチ・チェーン店で、今はもう日本からは撤退してしまったが、以前新宿や浜松町にもあって時々行っていた。
 デザートに食べたレモン・チーズケーキが絶妙に美味しかった。 

まだ6時だというのにカフェは閉店で、あまりゆっくりしていられなかった。都会のロンドンと違い、レストランやパブ以外殆んどのお店は閉店していて、一体みんな夜は何をしているんだろうと思うくらいに人がいない。
そんな中、まだ開いていた地元の人にも観光客にも人気の老舗カフェ、「Bettys Café Tea Rooms」 本店の前を通ると、窓越しに見えたクリスマス用のお菓子が美味しそうだったので、ついつられて中に入った。
 スィーツがずらり!

ミンスパイとチョコレートを買って一旦ゲストハウスに戻ったものの、まだ7時にもなっていない。夜はどうやって過ごそうかと考えながら、入口にあったシティ・ガイドを見ていると、「Ghost Trail」 と 「The Ghost Hunt」 というウォーキング・ツアーの広告が目に留まった。
ヨークに限らずUKによくあるウォーキング・ツアーだが、たまにはこういうのも面白そうと思い、 「The Ghost Hunt」 に行ってみることにした。
広告によると、例えどんな天候でも毎晩行なうとのこと。参加者ゼロという日はないのだろうか・・・なんて思いながら、スタート地点のシャンブルズ通りに向かった。
ツアーは7時半からということになっていたが、時間になると通りの向こうからチリーンチリーンと鐘を鳴らしながら、黒いシルクハットに黒マント姿の怪しげな男が数人の参加者を引き連れて歩いてきた。
すると、その辺にいた人たちも男の回りに集まってきて、20人くらいになった。男はギョロっとした目で無言でじーっと私たちを見渡したあとツアーの説明をし、“もしついてくるなら、通りの向こうに渡って待て。その途中でお金をもらう” と言って参加費を徴収。広告では£5となっていたが、確かYork Passでディスカウトされるはずと思い、カードを見せてたら£1済んだ。えっ!?と思ったが、特別いくらとも言わなかったし、お札の人もいればコインの人もいたので、その辺はアバウトなのかなと思って後から確認したら、York Pass提示は£1オフだった。アバウトすぎる!
ゴースト・ツアーは、ヨークの街中を数ヶ所回って、その場所に纏わる幽霊話を聞くというもの。オレンジ色の街灯だけの暗い街中で聞く幽霊話はさぞかし不気味だろうと思いきや、男の話しは怖いどころか、可笑しくて笑わずにいられなかった。
 刺されたナイフの痛みで甦った女の話を、自分の腕にナイフを突き刺して実演。腕から滴る血は、もちろん血糊。このあと、参加者のひとりにティッシュを渡して血糊を拭かせ、“記念にこのティッシュを持って帰りなさい。そして枕の下に置きなさい。翌朝目覚めると、ティッシュはまだ枕の下にあるでしょう” と言ってまた笑いを誘った。
イタリアン・レストランの前では、“店内のお客さんに向かってみんなで手を振って、それに気付いたらせーのであっかんべーをしましょう” と言って、もちろんそのレストランはこのツアーに協力しているのだが、そのバカげた企みをみんなで一緒にやり、いったいこれは何のツアーだ?と疑いたくなるような、意外にも楽しい約1時間のツアーだった。

ゲストハウスに戻って、Bettysで買ったミンスパイを食べた。チョコレートは食べるのが勿体なくて、結局日本に持って帰ってきたが、まだ食べていない。
 

列車で周る英国の旅 Day4 ①

2010-01-08 | travelog


【世界遺産が学び舎、映画のロケ地にもなった大聖堂のある小さな街に立ち寄る】 30/11/09 : ヨーク~ダラム

4日目からはロンドンを離れてグレイト・ブリテン島をサクッと一周する旅の始まり。
まず最初に向かうのは、UKに来たら絶対に外せない街。それは、今のところ私が世界中でいちばん好きな街York(ヨーク)。これまでに2度訪れているが、まだまだ全然極めていない。
ロンドンのKing's Cross(キングス・クロス)駅から列車の旅のスタート。ヨークに行く列車は何本も出ているが、絶対乗りたかったのがこれ。
           グランド・セントラル!
 
グランド・セントラル・レイルウェイは、ロンドンのKing's Crossとイングランド北部のSunderland(サンダーランド)を結ぶ一日に4本だけの運行(日曜日は3本)で、今でも昔の英国列車のスタイルを受け継いでいる列車。ドアは、外からしか開ける事ができない手動ドア。中から開ける時は、ドアの窓を引き下げて開けて、腕を伸ばして外側から開けなければならない。英国の列車は、昔は全部このタイプだったのだ。それは、いわゆる上流階級の紳士淑女のために係りの人が外からドアを開けていたという習慣と、女性にはドアは開けさせないという紳士的精神からなるもので、英国ならではだと感じる。 
10年前頃はまだローカル線にはこの旧式ドアの列車が結構走っていたが、今では殆んどなくなり、中でもグランド・セントラルは特急列車なので珍しい。
 列車は既に入線していたのでわかっていたけど、ここに表示されるまでプラット・フォームは一応未定。

車内はこんな感じ   NYCグランド・セントラル駅のマリリン・モンローが!
       テーブルでチェッカーゲームやモノポリができるようになっているのが面白い。

ヨークまではノン・ストップ。途中ビュッフェに紅茶を買いに行ったら、チケットを見せてと言われ、見せたあとお勘定しようと思ったら、なんとフリーとのこと。ヴァージン・トレインがファースト・クラスの乗客にそういうサービスをしているのは知っていたが、私はセカンド・クラス。このサービスで、益々グランド・セントラルが好きになった。それにイタリアの列車と違って、荷物を置いたまま席を立っても少しの間ならさほど心配ない。

ロンドンからヨークまでは約2時間、そしてヨークから更に45分ほど北上したところにDurham(ダラム)という街があり、まずはダラムに向かうという計画。
ヨークでの乗換時間が30分弱あったので、荷物を預けて駅構内と駅前をぶらぶらした。ヨークには世界最大規模の国立鉄道博物館(NRM : National Railroad Museum)があり、17世紀頃からヨークは主要鉄道センターになっているので、鉄道関係の記念プレートなどがたくさんあった。
 こんなのとか・・・   こんなの
これは昔の信号機   (念の為に・・・、私は決して鉄子ではない。でも何故か、海外限定で鉄子もどきになってしまう・・・笑)
駅の外に出てみると、街の奥にヨークのシンボル、ヨーク・ミンスターが見えて、“あぁ~、ヨークだぁ~!” と嬉しくなった。

乗換の時間になり、Cross Country(クロス・カントリー)の列車に乗り込む。ダラムに向かっている途中、虹が見えたり雲行きが怪しくなったりして、本当に英国のお天気ってやつは、コロコロ変わる。
ダラムは小さな街だが、世界遺産に登録されている大聖堂と城がある。駅が近付いてくると、車窓からその大聖堂と城が見えてきた。
 しかし、天気がどんどん悪くなってきている。それでもダラムの駅を出た頃は、まだコートのフードだけでも平気なくらいだったのに、街の中心まで歩いている内に、だんだん雨風が強くなってきた。それでも天気雨なので、空は青空。太陽の光が濡れた地面に反射して、眩しいくらいだった。
駅から街の中心までは歩いて約15分くらい。階段を下りて大通りを渡ったところにある途中の橋からは、ダラム城とダラム大聖堂が見えた。 
 この階段を降り   橋を渡って  
セント・ニコラス教会の横を通り   上ってきた坂道を振り返る。
ダラム城とダラム大聖堂は高台にあり、坂を上りきるとバーンと目の前に大聖堂が・・・と想像していたが、城と大聖堂を挟むパレス・グリーンと呼ばれる広場にはクリスマス・イベント用のテントが張られていたので、全景写真は撮れず、これが限界。
             広場にはこんな古風で可愛いポストが!
大聖堂の入口に続く道の両側は、墓地になっていた。北の扉から大聖堂内へ。その扉にはサンクチュアリー・ノッカー(Sancutary Knocker)があり、これは中世の時代に罪を犯した者は、誰でもこの教会の扉を叩けば庇護を受けられたというもので、罪人たちは追っ手を逃れ、救いを求めて扉をノックしたらしい。但し、これはレプリカ。
  

大聖堂内は撮影禁止なので写真で伝えられないが、X型のアーチを描く天井がとっても美しかった。主祭壇の奥には、イングラド北部で最も偉大な聖人とされている聖カスバートの遺体が安置されている聖堂があったのだが、そこに足を踏み入れると、何かスーッと体が浮遊するような感覚があった。あれは何だったんだろう・・・。
修道院が併設されていて、修道士の扉と呼ばれる重い扉の向こうにクロイスター(回廊)に囲まれた中庭があった(タイトル写真)。
ここは写真撮影OKだったと思ったが、念の為丁度扉を開けて入ってきた係りのおじさんに確認した。“もちろんもちろん、好きなだけ撮って行ってね。あなたの写真撮ってあげるよ” と言ってくれた。しかし、最初デジカメを逆にして撮ってしまったお茶目なおじさん。“こっちを向けるのよ” と教えると、自分で自分の頭を小突いていたのもお茶目だったなー。
これがその証拠写真  白いヒゲがサンタさんみたい。そして、ここのクロイスターは世界中の人が見ているところ。


どこかで見たことはないだろうか・・・? 
実はこの場所、『ハリー・ポッター』 シリーズでホグワーツ魔法魔術学校の回廊(廊下)としてロケが行なわれた場所。
今にもハリーたちが向こうから歩いてきそうな錯覚がするほど、暗さといい雰囲気といい、正に映画のシーンそのものだった。クロイスターを一周して大聖堂の裏に出てみると、外はすっかり雨も上がっていた。
 それまでの雨が嘘のような晴れっぷり
 大聖堂裏の建物に付いていた紋章   ここにも紋章
歩兵隊のメモリアル・ガーデンの植え込みに差してあった小さな十字架 

大聖堂を出たあとは、広場を挟んで向かい側にあるダラム城へ行ってみた。
大聖堂前から見えるダラム城   途中の抜け道 
敷地内にはバス停が!   図書館の前を通って 
       ダラム城の正門が見えてきた  学生達がたくさん行き来する
 
ん?学生? 実は、現在城はダラム大学の施設として使われていて、見学は事前申込のガイド・ツアーのみ。
私は時間もあんまりないことだし、この日に行くか翌日にするがハッキリ決めていなかったのでツアーには申し込まず、外観だけの鑑賞。
先日のバトル・アビーの高校もそうだが、英国では城や大聖堂などの伝統的建造物が学問の施設として使われているところが多い。
ここでは結婚式なんかも行なわれるらしい  雰囲気は最高!

城と大聖堂の周辺を散歩したあと、そろそろヨークに戻ろうと駅に向かって歩いていると、また雨が降ってきた。でも、散策の間は晴れていてくれたので良かった。


★「Day4 ②」 につづく。



列車で周る英国の旅 Day3 ②

2009-12-26 | travelog


【今では羊がのどかに放牧される丘も、900年以上前は戦いの地だった】 29/11/09 : バトル~ヘイスティングズ~ロンドン

Battle Abbey(バトル・アビー)見学。ツーリスト・インフォメーションも兼ねているゲートハウスで受付。ナショナリティーを聞いてきたおじさんは、見学用のオーディオ・ガイドを日本語にセットして、無料で貸してくれた。
ゲートハウスを抜けると最初に目に入るのがこれ。  ここは現在バトル・アビー・スクールという高校になっている、かつて修道院の図書館と大広間や食堂があった建物。この先は、プライベート・ゾーンで見学者は入れないようになっていた。
ガイドに沿ってまずはエキシビションに入り、1066年に起こったヘイスティングズの戦いについて、パネルや映像で予習。両軍の盾などの武器も展示されていた。
ところで、“ヘイスティングズの戦い”(Battle of Hastings)とは何ぞや? それは、イングランドの王座を巡って勃発した戦いのこと。
フランス・ノルマンディー地方から海を渡ってやってきたノルマンディー公ギヨーム率いるノルマン軍と、時のイングランド王ハロルド2世率いるアングロ・サクソン軍が戦った。
戦いに勝利したギヨームは晴れてウィリアム1世としてイングランド王となり、ノルマン王朝が始まる。
そしてウィリアム1世の命で、この戦いで戦死したハロルド王が討ち果てた場所に、弔いの意を込めて修道院を建てることとなったのが、バトル・アビーの起源。

敷地内を回るのはちょっとしたハイキングのようだった。
            城壁のようなゲストハウス・レンジという地下貯蔵室
           中に入ってみた
ゲストハウス・レンジの反対側は、Battlefield(バトリフィールド)と呼ばれる緑豊かな丘。
そしてそこが正に戦いが行なわれた丘なのだが、今では羊が放牧されていてとてものどかな風景だった。
  ズーム・アップ!⇒ 
               
やがて見えてきたのは、修道士たちの宿舎ドミトリー・レンジ 
            
中はこんな感じで修練士(修道士になるため修業中の信者)の部屋 [左] と談話室 [右] があるのだが、違いがわからない・・・。
これらの部屋は地下にあたるのだろう。後ろに回ってみると、屋根はなかった。   

修道院は16世紀にヘンリー8世の修道院解体令によってつぶされたので、修道院本体の部分は殆んど跡形がなかった。
          これは主祭壇の址

他にチャプター・ハウスやクリプト(地下室)の址が広範囲で残っていて、修道院全体はかなり大きかったというのが想像できた。
修道院の周りには、酪農が行なわれていた場所や貯氷庫の址(タイトル写真)、はたまたトイレのあとなど、生活の名残りがたくさんあった。
さて、この街にはアビーのほかにもうひとつ観光目玉とされているところがある。“Yesterday's World” という博物館なのだが、要するに50年代60年代あたりの懐かしいグッズを展示しているだけで、バトルとなんら関係ない。日本でいう 「懐かしの昭和記念館」 みたいなもの。
ゆっくりと時間をかけてアビー内を見学したあと、博物館の隣りに併設されているショップを覗いてみたが、別にここで見なくても・・・というものがほとんどだったので、博物館には入らず(有料だし)、行きに見ていたセント・メアリー教会に行った。
外観は結構大きかったが、中は意外とこじんまりしていて、丁度クリスマス・バザーの真っ最中だった。
 バザーの商品がツリーのオーナメントのように飾られているのが可愛い
     教会のステンド・グラスもヘイスティングズの戦い絡み  兵士が描かれている

駅に向かう途中でも、あちこちで戦い絡みのものを見つけた。
 「1066」 は戦いが勃発した1066年のこと   

駅に着いて、このままロンドンに戻ろうかなとも思ったのだが、まだ日没まで1時間ほどあったので折角来たんだしと思い、ヘイスティングズに行った。バトルからはわずか15分。
しかし有り得ないほどの強風で、海に近付くにつれ、歩くのさえやっとというくらい。ヘイスティングズ城址のある丘の上にはとうてい登れず、1時間弱ほどぶらぶらしただけでロンドンに戻った。
 旧市街から見上げるヘイスティングズ城址

列車の中から友人に夜景が楽しめるお薦めは?とメールして教えてもらったのだが、ロンドンに到着すると雨が結構降っていたので、教えてもらったコースを巡るのは止めて、まずは腹ごしらえもかねて勝手知れたるコヴェント・ガーデンに行った。
マーケットのショップはもう閉まっていたが、レストランやオープン・カフェはまだ開いていたので、屋内テラスで食事をしたあと、オックスフォード・ストリート辺りまで歩いている内に雨も上がった。
 ユニクロ(右)とH&M(左)が隣り同士

趣味のよろしくないオックスフォード・ストリートとリージェント・ストリートのイルミネーションを見ながら歩き、その後バスでテムズ河畔に行った。
ウェエストミンスター・ブリッジを渡ってビッグ・ベンやロンドン・アイのライト・アップを楽しみ、Waterloo(ウォータールー)駅からTubeに乗ろうと思ったら日曜の運休で駅は閉まっていた。
仕方ないのでハンガー・フォード・ブリッジで再びテムズ河を渡って、Embankment(エンバンクメント)駅まで行って帰った。
 オックスフォード・ストリート
リージェント・ストリートのイルミネーションは去年と全く同じ 
 
               美しいウェストミンスター宮殿を見ながら
 ロンドン・アイの間近を通り   ハンガーフォード・ブリッジへ

列車で周る英国の旅 Day3 ① 

2009-12-23 | travelog


【荒れる海を見たあと、歴史的戦闘跡地へ】 29/11/09 : ベクスヒル~バトル

滞在3日目は、近郊の街に列車で日帰りの旅。
英国の列車が遅れることは日常茶飯事、中には突然運行休止ってこともあるので、事前に列車を決めてチケットを購入することはせずに、いつもパスを使う。
今回もイングランド・スコットランド・ウェールズの鉄道が連続8日間乗り放題の、ブリットレイル・コンセキュティブ・パスを使った。
使用前にヴァリデイト(パスを有効にする手続き)が必要なので、少し早めにVictoria(ヴィクトリア)駅に行った。
 

日曜日の朝だったので、窓口は空いていた。有効期間を係員が記入するのだが、8日間連続乗り放題で使用開始が11月29日だから12月6日までなのに、窓口のおじさんったら、パスそのものの有効期限を書いていた。いい加減だなぁ・・・。でも、車内検札は厳しいので誤魔化せない。
英国の鉄道は民営化されていて、日本みたいに地域ごとだけではなく、いろんな鉄道会社が同じ路線を運行している区間もある。Victoria駅から利用したのは、Southern(サザン)。発車時刻5分前にやっとホームが決まり、Hastings(ヘイスティングズ)行きの列車に乗り込んだ。まず最初の行き先は、East Sussex(イースト・サセックス)の海辺の街Bexhill(ベクスヒル)。
 Calling atは途中停車駅のこと   車内はガラガラ
 
左上がブリット・レイル・パス。これから向かうBexhillとBattle(バトル)は、ガイドブックなどには載っていない小さな街。でもこのガイド・マップは、それぞれ無料で送ってくれたもの。太っ腹~!

出かける時に一旦止んだ雨は、Victoria駅に着いた頃再び降っていた。でも列車が動き出して進んで行く内にどんどん晴れてきて、虹が見えた。


途中駅のBrighton(ブライトン)では積み木のように規則正しく並んだ家を、Eastbourne(イーストボーン)を過ぎた辺りでは、石灰岩の白亜の崖壁を車窓から見ることができた。


やがて海岸線沿いに列車は走り、ロンドン・ヴィクトリア駅から約2時間、ベクスヒルに到着。
 乗ってきたSouthernの列車

それなりの人数が乗り降りしたが、駅前はガランとしていた。道の向こうに海が見えた。海岸沿いへと続く道は、その名もSea Road。途中に古い教会があり、教会好きの私はちょっと気になったが、この街の滞在予定時間は限られているので通過。
やがて視界いっぱいに海が広がってきた。強い風が吹き、時々飛ばされそうになるくらいの突風が吹きすさぶ中、目的の場所へと海岸線を歩いた。
夏のシーズンは、海辺のリゾート地としてビーチが賑わうこの街も、11月末ともなれば閑散としていた。でも海岸沿いの遊歩道では、地元の人たちが元気に犬の散歩やジョギングをしていた。
途中、送ってもらったガイド・マップの表紙にあった面白い形をした展望台(タイトル写真)から、白い波を立てるイギリス海峡の荒れる海を眺める。風は冷たいが、寒くない、気持ちいい!
 荒れるイギリス海峡

さて、いったいこの街に何があるのか? 目的は何なのか? それはここ!
                       Sovereign Light Cafe

イースト・サセックス州出身の私が好きなバンドKeane(キーン)の新曲のタイトルが、このカフェの名前 「Sovereign Light Cafe」(ソヴリン・ライト・カフェ)なのだ。
何の変哲もない平凡なカフェだが、地元の人にはお馴染みの人気店のようで、丁度お昼前ということもあってか、店内のテーブルの半分はリザーブで、海が見える窓側の席は満席だったし、テイクアウトで買って行く人も多かった。
セルフ・サービス・スタイルで、フルーツ・スコーンと紅茶をカウンターでオーダーし、スコーンが温まるのを待っている間、対応してくれた若い店員の女の子に聞いてみた。以下、その子と私の会話。
私 : Keaneっていうロック・バンド知ってる?
♀ : んー知らない・・・。
私 : (マジ?いや、そんなはずはない、私の発音のせいか?と思いもう一度)Keaneよ、UKのバンド。本当に知らない?
♀ : (少し考えて)あっ、知ってる。Keaneね、あまり音楽は知らないけど名前は知ってるわ。
私 : このお店の名前が、彼等の新曲のタイトルになってるのよ。知ってた?
♀ : ううん、知らなかったわ。でも本当?
私 : 本当よ! だからここに来たの。
♀ : それはすごいことだわ。
私 : YouTubeで聴いてみて。
♀ : OK!

手作りのスコーンは、ちょっとパサパサしていたけど美味しかった。
向いのテーブルに座った小さな女の子がずっと私の方を見ていて、最初は手を振ったり目くばせしたりして相手していたのだが、あまりにも凝視するので困った。それを察したのか、お父さんがジュースを飲ませたりして気をそらせていた。“彼女にはきっとアジアのストレンジャーの私が珍しいと思うので、気にしないで” と言ったら、お父さんは “すみません、ありがとう” と言って申し訳ないという表情をしていた。実際、列車の中でも街でも日本人は当然、東洋人は見かけなかったし・・・。


スコーンはヴォリュームがあり、お腹いっぱいになった。そしてカフェをあとにし、駅に向かった。
調べておいた列車は定刻で到着し、ひとつ先のSt. Leonards Warrior Square(セント・レオナルズ・ウォリアー・スクエア)という駅で乗換。8分の待ち時間の間、外に出ててみると、駅前の風景は結構可愛い街だった。
 可愛い街だけど誰もいない・・・

乗換列車はSoutheastern(サウスイースタン)が運行する列車で、12分で次の目的地(この日のメイン)、バトルに到着した。「戦い」 という意味の英語 「battle」 は、ここの地名が語源。
実は旅行の計画を立てている時、当初この日はマンチェスターに行ってThe Enemy(エナミー)のライヴを見るつもりだった。
ところが、1ヶ月前くらいにナショナル・レイルのHPで列車の運行を調べていると、もしマンチェスターに行くと次に移動する街への路線がEngineering work(いわゆる保線工事)期間中で、列車の運行がないことがわかった。
そこで別のプランを考えている時、丁度読んでいた英国の歴史の本の中に “ヘイスティングズの戦い” が出てきた。そして、その歴史的戦闘の舞台となったのは、ヘイスティングズではなくバトルだということを知った。
ん?バトル? Keaneの出身地ではないか! そこで断然興味が湧き、バトルのことを調べていると、とても興味深い “ヘイスティングズの戦い” ゆかりの場所があった。
UKでのThe Enemyのライヴは体験してみたかったが、彼等のライヴは今年見てるし、次に行く街を変更するつもりはなかったのでマンチェスター行きはやめて、バトルに行くことにしたのだった。
バトルはヘイスティングズよりも内陸部にあり、ロンドンからのルートを調べていると、カフェのあるベクスヒルにも行けることがわかり、立ち寄ったというわけだ。
 駅名の下には戦いの地であることと兵士と武器の絵が記されていた
 可愛い駅舎

KeaneのTomとTimの学校は、バトルよりも更に内陸にあるTonbridge(トンブリッジ)のパブリック・スクールで、寄宿制だから毎日通うということはなかっただろうが、ホリデーの時なんかはこの駅を利用していたんだな~とか、みんなこの道を歩いていたんだな~なんて思いながら歩き、10分ほどで “ヘイスティングズの戦い” ゆかりの地、Battle Abbey(バトル・アビー)がある街の中心に着いた。
 街の中心までは一本道   右手に街いちばんのセント・メアリー教会を見ながら
                    石の壁に沿って歩いて行くと・・・
          街の中央広場に到着、振り返ると・・・
                         バトル・アビーがでーん!


★「Day3 ②」 につづく。


列車で周る英国の旅 Day2 ②

2009-12-20 | travelog


【StonesやBeatlesらの若かりし頃に出会ったあと、Queenで締めくくる】 28/11/09 : ロンドン

Charing Cross(チャリング・クロス)駅に着いて地上に出ると、もう外はだんだんと薄暗くなってきていた。この時期のロンドンの日没時刻は、16時前頃なのだ。
外に出てすぐのところにあるセント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会に立ち寄ると、無料の教会コンサートが行なわれていた。
聴いていたかったが、まず先に目的のナショナル・ポートレート・ギャラリーへ。今、「BEATLES TO BOWIE ~the 60s exposed~」 と題された特別展が開催されていて、60年代のアーティストの貴重な写真がたくさん展示されているのだ。
UKの国立の施設は無料で入館できるので、ナショナル・ポートレート・ギャラリーも常設展は無料だが、これは特別展なので£11の入館料。
※「BEATLES TO BOWIE ~the 60s exposed~」 は、来年1月24日まで開催。公式サイトはこちら


1960年から1969年まで各セクションに分かれていて、個人的にときめいてきたのは、63年のThe Beatlesを目にしたあたりから。
64年のセクションには、StonesやKinksがいっぱい。特にここに展示されていたPattie Boyd(パティ・ボイド : ジョージ・ハリスンの元妻で、後にクラプトンとも結婚した女優)と一緒のStonesのBrianが、死ぬほど可愛くて見入ってしまった。
このセクションに限らず、Stonesがその時代時代のミューズと一緒に撮った写真がステキだった。
 Brianが最高にキュートな写真(公式サイトより)

館内の写真撮影に規制はなかったみたいだが、各セクションのタペストリーだけ記念に撮って、あとはこの目に焼き付け。ポートレートだけではなく、レコード・ジャケットや業界紙・雑誌の写真、ファンジンやフライヤーも展示されていた。
 各セクションの入口のタペストリー

66年のセクションでひたすら目を惹いたのは、美しすぎるDavid Bowie(デヴィッド・ボウイ)。そして、若くて可愛いThe Yardbirds(ヤードバーズ)のJimmy Page(ジミー・ペイジ)とJeff Beck(ジェフ・ベック)。あと、66年代のScott Walker(スコット・ウォーカー)は、めちゃくちゃカッコ良かったのね、ということを発見。
 ファンではなくてもこの美しさにはホレボレ・・・

ショップに例のBrianが可愛いStonesのカードがあったので、迷わず購入したあと常設展を見に2階に行った。ここには、英国歴代王朝の主たる人物の肖像画が展示されているのだ。
まずはテューダー・ギャラリーへ。その名のとおり、テューダー朝の王や王妃がずらり。やはりひと際目を惹いたのは、ほぼ床から天井までくらいの大きさのヘンリー8世の肖像画だった。ヘンリー8世の最初の妻キャサリン・オブ・アラゴン、そのふたりの間に生まれた女王メアリー1世、ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリン、ヘンリー8世とアン・ブーリンの婚姻に大きく関わったトマス・ウルジー枢機卿など、今ケーブルTVで 「THE TUDORS ~背徳の王冠~」 というドラマを見ている最中なので、余計に興味深く鑑賞できた。ギャラリーの最後を飾るのは、もちろんテューダー朝最後の女王エリザベス1世。
ハノーヴァー朝に入り、ルパート・カンバーランド公のイイ男っぷりに足を止め(笑)、全部見ているとこのあとの予定に間に合わないので階段を降りて行くと、途中にTwiggy(ツィギー)のコーナーがあり、スウィンギン・ロンドン時代の「Seventeen」 や 「VOGUE」 などの雑誌カバーを飾るキュートな彼女が、壁一面に飾られていた。


ナショナル・ポートレート・ギャラリーを出ると、外はすっかり暗くなり、雨が降っていた。
友人との待ち合わせ時間までまだ少しあったので、さっき入ったセント・マーティン・イン・ザ・フィールド教会に行って、カルテットの演奏を少し聴いてからTubeでTottenham Court Road(トッテナム・コート・ロード)に向かった。待ち合わせ場所は、ドミニオン・シアター。
この日の夜は、ここでミュージカル 『We Will Rock You』 を観るのだ。友人と合流し、雨が本降りになってきたので、近くのパブで腹ごしらえ。
私たちのテーブルを担当したのは、流暢な日本語を話す韓国人のお兄さん。2年間龍谷大学に留学していて、今はロンドンで勉強中なのだそうだ。英語と日本語のどっちが得意?って聞くと、日本語の方が得意だと言っていた。
お兄さんは感じ良かったのだが、味の方はというとお世辞にも美味しいとは言えず、無難なツナ・サンドを選んだところ、ツナの部分はまあまあだったがコールスローの部分がすこぶるまずかった。


ドミニオン・シアターに入り、ロビーでQueenの写真を見たりマーチャンダイズを買ったりしてると、開演前のアナウンスが流れたので席につく。2階席の真ん中から見る老舗の劇場は、超満員。
今回同じ日にChuck Berry(チャック・ベリー)のコンサートがあり、どっちにするかかなり迷った結果、『We Will Rock You』 にしたのだった。丁度3年前に日本公演で一度観ているのだが、その時すっごく楽しかったので、本場の空気の中でもう一度観たかった。(日本公演のレポはこちら
キャストは日本公演の時とは変わっていたが、みんなの歌の上手さは相変わらず凄かった。ディーバのKiller Queenが歌う時に舞台の床が船の形にせり出し、より一層客席に近くなって迫力満点。
主役のGalileo Figaro(ガリレオ・フィガロ)は、小柄な青年というのが設定なのだろう、小柄なのに声量があって歌もすごく上手い。でも特にめちゃくちゃ上手いなーと思ったのは、Brit役の黒人男性だった。
ヒロインのScaramouche(スカラムーシュ)役の女の子は、とっても元気でカッコ良くて、小悪魔的なキュートさがあった。
物語の終盤 「We Will Rock You」 で、日本では総立ちになったが、ロンドンでは最後の最後にスタンディング・オベーションをしている人がいたくらいで、1階席はわからないが2階席は皆座ったままだった。それでもステージとの一体感は素晴らしく、とっても楽しいひとときだった。


外は相変わらずの雨。劇場の外は人でごった返し、Tubeの駅に向かう階段ももの凄い状態だったので、そのままKing's Cross(キングス・クロス)まで歩いた。
ついでにKing's Cross駅と隣接している、2年前から国際列車ユーロスターの発着駅となったSt. Pancras(セント・パンクラス)駅を見に行った。
ホームだけ見ていると斬新なデザインで綺麗なのだが、元々St. Pancras駅は宮殿のようなヴィクトリア朝の造りの駅舎。赤レンガの壁から冷たい感じがする鉄骨が、しかも趣味の悪いねずみ色に塗られた鉄骨がむき出しで張り巡らされているのは、どう見てもセンスがいいとは思えなかった。


帰り道で見たコカ・コーラの看板が可愛くて、あったかい気持ちにしてくれた。クリスマス時期のコカ・コーラのCMや広告は、全世界共通して可愛いくて夢があって大好き!


列車で周る英国の旅 Day2 ①

2009-12-18 | travelog


【Keaneで始まり、ハリー・ポッターに触れる】 28/11/09 : ロンドン

今まで何度か来ているロンドンだが、まともな観光をしたのは前回滞在の時。じゃあ今まで何をしていたんだ?ってことだが、そもそも目的はライヴで、昼間はもっぱらレコ屋巡りに費やしていたっけ・・・。
あとはカムデンなどのマーケットで古着を漁り、大英博物館とタワー・ブリッジとハイド・パークに行ったくらいだった。
最近の旅行は、もっぱら観光に精を出しているので、今回はベタでもいいからちゃんと観光しちゃおうと目論み、朝早くから行動。でもこの時期のロンドンは、完全に明るくなるのは8時頃。まだ真っ暗な中、起きた時に降っていた雨も、出かける時には殆んど止んでいて、ところどころに青空が見え始めてきた。
友人宅の近くからダブルデッカー(2階建てバス)に乗り込む。今、ロンドンも地下鉄とバスが共通のOyster Card(オイスター・カード)というSuicaやICOCAのようなICカードがあり、何回乗っても1日乗り放題のトラベル・カードの料金を上回らないというのが利点。
バスに乗っている間、みるみる内に晴れてきた。そしてイズリントンという区域で下車。
 ダブルデッカーの2階から

さて、いったいここに何があるのか? タウン・ホール前でバスを降りて反対側に渡ったところにその建物はあった。
「Hope & Anchor」(ホープ&アンカー)というパブ。実はここ、Keane(キーン)が1998年に初めてライヴしたところなのだ。
早朝なので当然お店は開いていないが、ガラス越しに中を覗くと、こじんまりしたステージが奥の方に見えた。ここでKeaneがプレイしたのかぁ・・・Tomたちもきっとこの辺を歩いたんだろうな・・・、なんてミーハーなことを思いながら周辺を行ったり来たり。
 

再びバスに乗って、セント・ポール大聖堂へ。ここは、チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の挙式が行なわれたところだ。
中は一応撮影禁止なのだが、撮っていた人は注意されていなかったので、私も少し撮ってしまった。ドームの下の椅子に座った時に、膝にカメラを置いて控え目に、もちろんノーフラッシュで。
聖パウロの生涯が描かれたドームは素晴らしく、ぼーっとしばし見上げていた。聖堂内を一周した後、257段の階段を上ってドームの上の塔の付け根の部分まで行き、ロンドン市内を一望してきた。
途中の 「ささやきの回廊」 までの階段はとても滑らかで段差が低く作られていたので、上るのがとても楽だったが、そこから展望台までの階段は、結構急でしかもめちゃくちゃ狭かった。大人ひとりがやっとというくらいの幅で、太っちょさんはムリかも・・・。
「ささやきの回廊」 から見渡すドームと大聖堂は壮大で、ベンチに座ってしばらくその空間を見渡しながらひと息付いた。
「ささやきの回廊」 とは、ドームの反対側にいる人の話し声が後ろの壁から聞えてくるという、壁の凹凸面を音が反射して伝わってくる現象の空間。
展望台からは、お馴染みのタワー・ブリッジや大観覧車ロンドン・アイ、ミレニアム・ブリッジやテイト・モダン、ガーキン(ピクルスに使用するキュウリのこと)という愛称が付いた30セント・メリー・アクスという変わった形のビルも見渡すことができた。
展望台を下りて、地下の納骨所に行った。納骨所はなんだかとても新しくて綺麗だった。ここには、大聖堂を設計したクリストファー・レン、チャーチル元首相らが眠っている。
地下のショップに立ち寄り、入った時はあまり人がいなかった大聖堂も、出る頃は入口にかなりの列が出来ていた。
 聖パウロの生涯が描かれたドーム
 左奥にロンドン・アイが見える
 右端の尖ったビルが “ガーキン”
 ミレニアム・ブリッジを渡った右側の塔がテイト・モダン  

大聖堂を出でミレニアム・ブリッジを途中まで渡って引き返し、「COSTA」 というカフェに寄ってラテを買って、ギルド・ホールの広場のベンチで休憩。
紅茶の国も、今やカフェが大人気。5年前に来た時もスタバの多さに驚いたが、今はスタバだけでなくたくさんのカフェがあちこちにあった。
ラテと一緒に買ったミンスパイが美味しくて、この先何かにつけてCOSTAのミンス・パイを食すことになるのだった。
ミンスパイとは、英国でクリスマスの時期になると食べる小さなパイで、中身は砂糖&ブランデー漬けのドライフルーツ。ブランデーは、ラム・レーズンのアイスクリームもダメな、全くお酒がNGな私でも平気な程度。
 COSTAのミンスパイ

この辺りは、シティと呼ばれるロンドン発祥の地で、あちこちにシティの紋章が。
 シティのゴミ箱    シティのポール
 シティの学校   シティのストリート・サイン    

その後、バンク界隈を散策。マンションハウスやイングランド銀行、旧王立証券取引所、ロンドン大火記念塔などを見て周ってリーデンホール・マーケットへ行ったが、土曜日だったのでマーケットはお休みだった。
ここは、映画 『ハリーポッターと賢者の石』 でハリーがハグリットと歩いたマーケットで、 マグルのロンドンとダイアゴン横丁を繋ぐパブ 「漏れ鍋」 の入口に使われた場所がある。
 リーデンホール・マーケット
 「漏れ鍋」 の入口に使われたお店、現在は眼鏡屋さん

バンクまで戻ってバスに乗り、ウェストミンスター寺院に行く予定にしていたのだが、バスから見ると入口が長蛇の列だったので、後にしようと決めてそのままヴィクトリア方面に向かい、ウェストミンスター大聖堂に行った。
同じウェストミンスターでも、こっちの大聖堂はカトリック教会。ちなみにウェストミンスター寺院はイギリス国教会の教会。
時計塔がもの凄く高く聳えるビザンチン様式の赤レンガの外観と、中の煌びやかなモザイクの装飾が印象的だったが、ミサ中だったので入口の拝廊より前には行けず。
 ウェストミンスター大聖堂

そこから歩いて目指すは、英国君主の象徴バッキンガム宮殿。バッキンガム・ゲイトという通りを歩いて行くと、やがてはためくユニオンジャックが見えてきて、宮殿の正面広場やヴィクトリア女王記念碑の周りにはたくさんの人がいた。
しかし、特別豪華というほどでもない宮殿で、オーストリアやフランスの宮殿に比べると、私にはちょっと綺麗という程度のただのビルにしか見えない(タイトル写真)。
ユニオンジャックによって、威厳があるような気はしたが・・・。でも、王室の紋章が入った門は豪華だった。
 王室の紋章が輝く門
 賑わうヴィクトリア女王記念碑周辺、遠くにはロンドン・アイが見える(右側)

セント・ジェームズ・パークを抜けて、ホース・ガード・パレード広場まで行ったのだが、本当にロンドンは公園が充実している。しかもものすごく広い。可愛いリスがチョロチョロ走り回り、カルガモやアヒルは池から上がって草を食べていた。(奴らって草食?)


パーラメント通りまで歩いて行き、バンケットハウスに行く途中、首相官邸のあるダウニング通りの前を通った。通りの入口には門があり、警備員が数人立っていたが、歩道が遮られるほど人が群がって中を見ていたので、何かあるのかしら?と思う。気にはなったがブラウン首相には特別興味がないので通過。
バンケットハウスの外観だけ見て、後回しにしていたウェストミンスター寺院に行ったのだが、時既に遅し、閉まっていた。土曜日は14:30までだった。付属しているセント・マーガレット教会にいたっては、13:30まで。15時までかなと思いつつも、予定ではもっと早い時間に行くつもりだったので、閉まる時間をチェックしていなかった。しかもここ、観光客の必見スポットとされているのに、日曜日はクローズなのだ。
仕方ないのでウェストミンスター宮殿方面に歩き、ビッグ・ベンを見上げながらウェストミンスター・ブリッジを渡って、ダリ美術館のカフェで休憩。
ダリ美術館の前には、溶けた時計のオブジェがあり、カフェはダリの写真がいっぱい。チョコレート・ケーキは、歩き疲れた体に丁度いい糖分を与えてくれた。


美術館に入る時間はなかったのでカフェでゆっくりした後、ロンドン・アイの下を通ってWaterloo(ウォータールー)駅へ。そしてこの日初めてのTubeに乗り、Charing Cross(チャリング・クロス)駅までふた駅移動した。


★「Day2 ②」 につづく。

列車で周る英国の旅 Day1

2009-12-14 | travelog


【無事入国、ロンドン到着後ライヴを堪能】 27/11/09 : ロンドン

UKを訪れるのは、5年ぶり。相変わらず£ポンドは高い(今は156円前後)が、今年の2月に一度一気に1ポンド=138円に落ちた時に、今年は絶対UKに行くぞと決めていたので、ある程度両替済みだった。あとはクレジトカードで賄おう。
UKは今回で5回目。初めて行った時はブリティッシュ・エアウェイズ(BA)だったが、それ以降はいつもヴァージン・アトランティック航空を利用していて、ヴァージンは相当お気に入りだった。
しかし、ヴァージンは復路のフライトが13:45発なので、空港に11:30頃には着いていなければならない。となると、最終日はどこにも行けず、ただ帰るだけの日になってしまい、いつもそれが勿体ないと思っていた。でもANAだと19:00発なので、これだと日中の時間を十分に活かせる。迷いに迷い、ヴァージンに後ろ髪を引かれながらも、燃油サーチャージが再びかかる前にANAで予約した。ANAも好きなので、良しとしよう。
B-777、トリプル・セブンは真ん中も3席。いつも国際線は通路側を確保する。遠慮なくトイレに立てるから。
エコノミー・プラスのすぐ後ろの2列しかないブースで、静かにゆったり・・・と思いきや、前に二組の赤ちゃん連れが・・・。共に赤ちゃんは1歳未満くらいで、更に共にこれまた同じく3歳くらいのお兄ちゃんが一緒。親は日本人のお母さんだけで、里帰りだったようだ。泣いてぐずらないことを願った。
真ん前の赤ちゃんは白人とのハーフで、私の方を振り向いてはニコニコしてとっても可愛く、結局最後の最後まで一瞬たりとも泣かず、とってもお利口さんだった。
それに比べ、斜め前にいた赤ちゃん。泣くわわめくわぐずるわで、母親はあやしたりせず、大声で泣いても周りに気遣いしていない様子。おまけにエマニエル坊やそっくりのお兄ちゃん(こちらもハーフ)は、ドタバタ跳ねたりワーワー言ったりと本当にうるさく、iPodがなかったら眠れなかっただろう。
赤ちゃんが泣くのは仕方ないことなのだが、目の前の兄妹がとってもお利口だったので、そっちの兄妹が余計にだらしなく見えてしまった。
そんな中でも、ハリー・ポッターの映画を2作品観たりしながら機内を過ごし、定刻どおり、ロンドン・ヒースロー空港に到着した。
さて、ヒースローと言えば、世界中でも悪評高いイミグレーション。時間がかかる上、やたらとうるさくて厳しいのは昔から。
いつももっと暗~い印象だったが、改装したのか明るくなったような気がした。ひとりひとりにかかる時間が長いので、ここで時間がかかるのは覚悟の上だったのだが、すごくスムーズに列が進んで行き、すぐに自分の番が近付いてきた。
でも居た居た。ずーっと捉まっているカップルや、恐らく留学で来たのだろう、提出した書類を見て “待ってなさい” と言われ、オロオロしながら立ち尽くしていると裏に行こうとする係員に “Sit down!” と怒鳴られてる女の子。おぉ~こわっ!
いよいよ私の番、ちょい緊張。インド系の女性の前に行くと、“Hi!”.......えっ!?Hi!だなんて、今まで言われたことなかったし、こっちが言っても完全無視だったのに・・・。入国カード見ながら、“11日?観光?じゃ、楽しんで!” と、拍子抜けするくらいにあっさり終わった。“楽しんで!” なんてまで言われちゃったよ・・・とひとりでほくそ笑みつつ、荷物をピック・アップして地下鉄(以下Tube)の駅に向かった。

今は、ロンドンのパディントンまで15分で行けるヒースロー・エクスプレスという直通電車があるが、泊めてもらう友人宅はヒースローからTube一本で行けるので、ちょっと時間はかかるが無駄なお金は使わない。
Tubeに乗る前に友人に電話をしておいたので、フラットのチャイムを鳴らすとすぐにドアを開けてくれた。
このところ友人はちょくちょく日本に帰ってきてたので、そんなにすごく久しぶりという感じではないのだが、それでもいろいろ話が尽きず。
折角UKに行くのだから、何かライヴを観たいと思って旅行日程に合うのを調べていたところ、この日Shepherd's Bush EmpireでLevellers(レヴェラーズ)のライヴがあった。
最新アルバムはすごく気に入っていたし、かつての英国No.1ライヴ・バンドのパフォーマンスを見てみたかった。
私は時差ボケに無縁なので、入国審査で1時間かかったとしても、サポート・アクトがあるのでLevellersの時間までは間に合うだろうと考えていて、当初は当日券にしようと思っていたが、結局出発前に会場ピック・アップのチケットを確保しておいた。
着替えたあと、8時を目途にTubeでShepherd's Bushへと向かった。

 Shepherd's Bush Empire

★ライヴの様子は、別途ライヴ・レポにて。

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 最終章~

2009-04-02 | travelog


★3月2日 : パリ(午後)
サン・ジェルマン・デ・プレ教会(タイトル写真)を見学したあと、リュクサンブール公園方面に歩いている時、どこかで見たような風景に出会った。何で見たのかその時は思い出せないままだったのだが、帰国後にいろいろ検索して調べたところ、映画 『Sex And The City』 で、キャリーが犬のウ○チを踏んづけてしまったパンプスを洗っていた噴水だった。
リュクサンブール公園に行きたかったのだが、公園でのんびりするほどの時間はなかった。チラッと見るだけなのは、あまりにも勿体ないので次回のお楽しみに取っておくことにして、パンテオンまで歩いて行った。
この界隈は、名門ソルボンヌ大学を中心とするカルチェ・ラタンと呼ばれる地区。丁度お昼時ということもあって、カフェやカフェの回りにはたくさんの学生達が集っていた。
パンテオンの横には、サンテティエンヌ・デュ・モン教会というとても立派な教会が建っていて、その回りにも大学の学舎がたくさんあった。
 SATCのキャリーの噴水
 学生街カルチェ・ラタン
 パンテオン
 サンテティエンヌ・デュ・モン教会

そのまま地元の人たちで賑わうムフタール通りを歩き、3日前の夜に行って閉まっていたキッシュのお店の前を通ったが、昼間でも閉まっていた。もしかしたらもう営業していないのかも知れない。
Place Monge(プラス・モンジュ)からメトロ7号線でPont Marie(ポン・マリー)まで行き、サン・ルイ島でパリ最後の時間を過ごすことにした。
28日の朝、サン・ルイ島に来た時に買ったパン屋さんでパン・オ・ショコラを2個買い、セーヌ河岸に下りてベンチで食べた。
今回、最終日にパンを買って持ち帰ろうと考えていたので、ひとつは持ち帰り用にして、パッサージュ・ジョフロワのパティスリーで買った、きのことチキンのキッシュも持ち帰ることにした。
買ったパンやキッシュはそのまま紙袋に入れられる。日本のお店のようにひとつずつビニルに入れて・・・なんてことはしない。だから、バターをふんだんに使っているので、袋に油が染み込んでしまう。そこで活躍したのが、日本から持ってきていたスーパーに置いてあるビニル袋。バッグの中に何枚か入れて持ち歩いていたので、早速移し変えて押しつぶれないように手荷物の中に仕舞った。
名残惜しくセーヌ河を眺めながらゆっくりしたあと、河沿いを歩いていると、向こう岸で撮影のロケをやっていた。今回2回もロケ隊に遭遇したが、やっぱりパリの風景はどこもかしこも絵になるので、格好のロケ地なのだろう。
左岸に渡ってサンジェルマン大通りにあるフレグランス・ブティック 「DIPTYQUE(ディプティック)」 に行って最後の買物。“日本人?” とお店のスタッフに聞かれ、そうだと答えると、様々なアロマの香りを説明した日本語の紙を渡してくれた。
アロマ・キャンドルを選んでいると、お店のスタッフが “キャンドルはこうやると香りがよくわかるのよ” と言って、ぶ厚いクッションにガラスの容器に入ったキャンドルをひっくり返して取り出し、容器の底の匂いを嗅がせてくれた。いろいろ香りを試し、ひとつ40ユーロとちょっと値が張ったが、“ROSE” と “OYÉDO” という柚子とグレープフルーツの香りのアロマ・キャンドルを購入した。
そろそろホテルに荷物を取りに行ってパリを去る時間が近付いてきたので、セーヌ河沿いの風景を楽しみながら、途中ノートルダム大聖堂に立ち寄ってホテルまで歩いて戻った。
 セーヌ河岸のロケ隊  
 ノートルダム大聖堂
 市庁舎

ホテルのおじさんにお礼を言って荷物を受け取り、Pont Neuf(ポン・ヌフ)からメトロ7号線でOpéra(オペラ)まで行き、最後の最後にもう一度オペラ・ガルニエを眺め、空港行きのロワシー・バスに乗り込んだ。
バスは私の他にはもうひとり乗っただけで、モンマルトルの麓を抜け、1998年のFIFAワールドカップ・フランス大会が行われた円盤のようなスタジアム、スタッド・ドゥ・フランスの横を通り、40分ほどで空港に着いた。ターミナル1はいちばん最後だったので、シャルル・ド・ゴール国際空港をぐるっと一周している間、エール・フランスのコンコルド機が飾られているのも見えた。
 オペラ・ガルニエの正面全景
 スタッド・ドゥ・フランス(バス車内から)
 コンコルド機(バス車内から)

帰りの便のチェック・インは、既に済ませていた。ANAのスマートeチェックインは、なんと日本を発つ前にWebで帰国便もチェックイン出来るという優れもの。
いつもは荷物を預けないのだが、最後に買ったキャンドル2個が重かったので、荷物を預けることにした。エコノミーのカウンターは長蛇の列だったが、Webチェックインをした時に、エコノミー・プラスのカウンターで手続きができるという案内があったので専用カウンターに行き、並ばずにスムースに手続きしてもらえた。
帰りの機内では、行きとは月が変わっていたのでエンターテインメントのメニューも変わっていた。2月のメニューは観たいと思う洋画がなかったので、行きは邦画ばかり観たが、帰りはまず 『700 慰めの報酬』 を観てひと眠りしたあと、『チェンジリング』 を観ていたのだが、着陸準備に入ったため、途中までしか観ることができなかった。


4泊6日という短い旅で、ちょっとあくせくした毎日だったので、もう1日欲しかったというのが本音。でも、返ってそれがまた行きたいと思う気持ちにさせてくれるので、今回の旅でパリのどこが好きかを知ることができたし、次回の楽しみができた。
帰国後、パリはまた冬の厳しい寒さに戻ったようだが、私が滞在していた時は毎日だいたい11~2℃で過ごしやすかった。
とにかくパンが泣きたくなるほど美味しくて、困ったことに、帰ってきてからコンビニの菓子パンが食べられなくなってしまったほど・・・。
持ち帰ったキッシュもとっても美味しかったし、DIPTYQUEのアロマ・キャンドルは、優しい香りで部屋を満たしてくれた。
言葉の最後に付ける “スィルヴプレ” がなかなか言えず、やっとすんなり言えるようになったと思った頃には帰国だった。でも次に行く時は、ちゃんとスラスラ言えそうだ。
ここで紹介しきれなかった写真は、別館のフォト・ブログにランダムに掲載している。 

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.7~

2009-04-01 | travelog


★3月2日 : パリ(午前)
とうとう帰国の日。フライトの時間は午後6時半。まだまだゆっくりできるのが嬉しい。
朝、ホテルの支払いを済ませてチェック・アウトし、荷物を預かってもらったあと、Châtelet(シャトレ)からメトロ1号線でPalais Royal-Musée du Louvre(パレ・ロワイヤル=ミュゼ・ドゥ・ルーヴル)まで行き、朝のルーヴル界隈を散歩した。
カルーゼルの凱旋門から一直線に伸びる道の向こうに、コンコルド広場のオベリスクと更にその先の凱旋門を見渡すことができた。
そこですれ違った男性に、“日本から来たの?僕の知ってる添乗員の子に凄く似てるよ~。僕、中目黒で生まれたんだよ” と流暢な日本語で突然声を掛けられた。“いつまでいるの?” と聞かれ、“今日帰るの” と答えると、“そうかぁ、頑張ってね~” と言われたのだが、何を頑張るんだか・・・?(笑)
 朝のルーヴル
 カルーゼルの凱旋門

ルーヴルをあとにして、途中サン・ロック教会に入って美しい聖母マリアの祭室を見たあと、マルシェ・サントノレ広場まで歩き、「La Pain Quotidien(ル・パン・コティディアン)」 というベルギー発祥のオーガニック・カフェに入った。
最初はテラスに腰掛けたのだが、ゴミ収集車が近くで作業していたので店内に入って朝食を摂った。
普段の生活では朝食を摂らない私だが、旅先では朝から歩くので食欲がある。(・・・とは言っても、パンひとつという程度だが・・・)
ここでは、パン・オ・レザンとカフェ・オ・レを頼んだ。カフェ・オ・レ・カップで飲むカフェ・オ・レは、“フランスの朝食” という雰囲気が味わえて、ちょっぴりパリジェンヌ気分♪ パン・オ・レザンはアーモンドがトッピングされていて、とても美味しかった。
テーブルの上には、手作りジャムとはちみつが置かれ、店内の棚には販売用のジャムや、ロゴ入りの可愛いオリジナル食器も並べられていた。
 サン・ロック教会の聖母マリアの祭室
 「La Pain Quotidien」 での朝食 
 店内の様子

カフェの女店主らしき人に笑顔で送り出されて店を出たあと、チュイルリー公園まで歩いて行って園内を少し散歩したあと、Tuilerries(チュイルリー)からメトロ1号線に乗り、Châtelet(シャトレ)で4号線に乗り換えてLes Halles(レ・アール)まで行った。(ちなみに、シャトレ⇔レ・アールは十分歩いて行ける距離なのだが、時間短縮のためメトロを利用した)
フォーロム・デ・アールという地下3階まであるショッピングセンターから地上に出ると、目的のサン・トゥスタッシュ教会が見えた。そして、地上に出たところの教会前のレネ・カサン広場には、少し前の 「ぷっちょ」 のCMで見た愛嬌たっぷりの石の彫刻が、ゴロンと転がっているように置かれていた。こんなところまで撮影に来ていただなんて・・・。
 
サン・トゥスタッシュ教会前のぷっちょ彫刻

ひんやりとした空気が漂う教会内を見学したあと、Châtelet(シャトレ)まで歩いてメトロ7号線でOpéra(オペラ)まで移動。
オペラ・ガルニエは、昼間のみ中を見学できるのだ。見学者用の入口は裏にあり、設計者のシャルル・ガルニエの黄金の胸像に迎えられ、チケットを買って一歩中に入ると、そこはもうまるで別世界のような豪華な空間だった。
壁や階段の手すり、天井、大理石の階段、シャンデリア、燭台、彫刻などなど、もうこれでもかというくらいの豪華絢爛さだった。
ボックス席の扉が閉まっていて、中に入ろうとした人たちがセキュリティの人に注意されていた。ホールの中には入れないようだったが、念のためにインフォメーションで聞くと、この日はリハーサルが入っていて見学できないとのこと。
というわけで、残念ながらかの有名なシャガールの天井画を見ることができなかったが、これは次回のお楽しみということにしておこう・・・。
ここでも子供たちが課外授業で見学していて、まだ小学生くらいの小さな子供たちだったが、本当に熱心に先生の話に耳を傾けてノートを執っていた。
内部見学の出口は正面玄関。その正面の柱と柱の間の上に並んでいる、モーツァルトやバッハ、ベートーヴェン、ハイドンと言った偉大な音楽家たちの胸像の顔と名前を確認しながら見て(タイトル写真)、外観の装飾や彫像を眺めながら建物を一周した。それにしても、パリの人はキンキラ金の装飾が好きなようだ。
 シャルル・ガルニエ像
 とにかく豪華
 熱心にメモを執る子供たち

その後、メトロ8号線でGrands Boulevards(グラン・ブルバール)まで行き、パッサージュ巡りをした。パッサージュとは、19世紀頃に出来たガラス屋根に覆われたアーケードのことで、パッサージュ・デ・パノラマ、パッサージュ・ジョフロワ、パッサージュ・ヴェルドーの3つのパッサージュを歩いた。
パティスリーやカフェが並ぶパッサージュ、古本屋や画廊が並ぶパッサージュと、それぞれカラーがあり、ノスタルジックな趣きのあるとてもステキな空間だった。
パッサージュ・ジョフロワを歩いた時、ガラス越しに美味しそうなケーキやパン、キッシュが並ぶ一軒のパティスリーが気になっていたので、引き返す時にそのお店に立ち寄り、もうすっかりお馴染みのパン・オ・ショコラと待望のキッシュを買ってから、メトロ8号線をStrasbourg Saint-Denis(ストラスブール・サン=ドニ)で4号線に乗り換えて、Saint-German-des-Prés(サン・ジェルマン・デ・プレ)まで移動した。
 パッサージュ・デ・パノラマ
 パッサージュ・ジョフロワとその入口
 パッサージュ・ヴェルドーの入口と額縁店  
 パッサージュ・ジョフロワのパティスリー


★巴里編 最終章につづく