売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

梅雨明け

2012-07-17 19:08:50 | 日記
 今日は東海、近畿、中国四国、関東地方などが梅雨明けしました

 天気がよかったので、午前中、弥勒山に行きました

 テレビのニュースでは、名古屋は35℃、弥勒山のすぐ北側の多治見市では36℃以上とのことでしたが、山中は25℃で、気持ちよかったです。

 体調、少しよくなり、今日はそれほど辛くはなりませんでした

 『幻影』5章を掲載します。

 美奈が会社にタトゥーのことがばれ、辛い立場に追いやられます。

 大阪市で職員のタトゥーのことが問題になっていますが、民間会社に勤めていた美奈も、タトゥーがばれて、外部とはいっさい関わらない部署に、配置換えをされてしまいます。



         

 美奈は少しずつ仕事に慣れていった。指名客もだんだん増えていった。タトゥーを全面に出す、という店の戦略も当たった。タトゥーだけではなく、素人っぽい人擦れのなさも好感を持たれた。
 美奈にあまり好意を持っていない先輩コンパニオンにいじめられることはあるが、仲のよい友人も何人かでき、その友人たちが美奈をかばってくれた。
 二歳年上で、左の胸に蝶のタトゥーを入れているルミが最も気が合う友人だった。おとなしく口べたな美奈とは対照的に、明るくにぎやかな性格のルミは、まだコンパニオンになって一年足らずではあったが、美奈のよき相談相手になってくれた。
 ルミは最近軽自動車から買い換えた、青いホンダフィットでドライブに行こう、とよく誘ってくれた。新しい車を運転することが、目下のルミの楽しみだった。ただ、美奈は平日はマルニシ商会に勤め、土日は店に出るので、なかなか時間を作れなかった。
 美奈も店の仕事で遅くなり、最終の電車に間に合わなくなることが多いので、通勤用に赤いメタリック塗装のダイハツミラを買った。終電に乗り遅れる度に、玲奈やルミのマンションに泊めてもらうのは、気が引けた。もっともルミは美奈が泊まることを歓迎してくれたが。諸経費等合わせて三〇万円ほどで購入した、六年前の年式の、中古の軽自動車だ。貯金も徐々に増えてきて、もっといい車を買う余裕もあったが、それほど車にこだわりがない美奈にとっては、通勤用として、走りさえすればよかった。
 ときどき、仕事後の深夜、ルミと車二台で夜のドライブに行くことがあった。そのとき、店の先輩のミドリ、ケイにも声をかけた。この三人が、美奈と特に仲がいい友人だった。

最近、マルニシ商会では、先輩たちから、「このごろ少しお化粧が派手になったのでは? 誰かいい人できたんじゃない?」とからかわれたりした。男性の社員からは、「君ってこんなに美人だったんか?」と言われ、少し嬉しい気もした。
 コンパニオンとして、見かけも大切なので、美奈は玲奈から、自分の本来の良さを引き出す化粧の方法を学んだのだった。
 しかし、美奈の変化に疑問を持つ向きも現れた。美奈としては、以前と変わらないように振る舞っているつもりだが、やはり無意識にも変化が出てしまうようだ。
 会社では、最近鼻にピアスをしたことを批判された。
 オアシスの先輩であるケイに勧められ、美奈は耳たぶへのピアスをしてみた。小さなリング状のものだった。
 ケイは左右の耳にいくつもピアスを開けていた。耳の軟骨の部分にもピアスをしていた。そして、乳首やへそにもボディピアスがあった。
 美奈はピアスにそれほど関心があるわけではないが、ケイが「それだけタトゥーが入っているから、当然ボディピアスにも興味を持っていると思ってた」と意外そうに言った。
 タトゥー雑誌にもボディピアスの情報が多く、それではやってみようかな、という気持ちになった。それで、ケイの馴染みのピアス店に連れていってもらい、耳に穴を開けた。そのピアス店では、ピアスの穴開けだけではなく、タトゥーの施術もしていた。
 しかし耳たぶだけでは収まらず、鼻にもピアスを開けてしまった。耳のピアスはもうファッションとして一般化しており、特に違和感がなかったが、左の小鼻に、赤いルビーのピアスをしたことが、美奈のキャラクターに合わない、と会社では批判されたのだ。
 耳には一般的な耳たぶへのピアスだけではなく、トラガスという、耳珠(じじゅ)の軟骨部分へのピアスもした。これはリング状のものではなく、小さな宝石がついた棒状のものだった。耳へのピアスは、マルニシ商会でも、している女性社員は多いし、髪型を変えることによって隠せるので、それほど問題にはならなかった。
 タトゥーが好きな美奈としては、同じ身体変工であるボディピアスにも興味を抱き、ケイと同じ場所、左右の乳首(ニップル)とへそ(ネーブル)にもピアスをしたのだが、こちらはふだん見えない部分なので、どうということはない。へそにピアスをするとき、美奈の下腹部のバラと蝶を見たピアッサーは、その見事さに目を見張った。
 しかし鼻へのピアスは、目立ってしまった。ピアスを外すと、ホールが目立ち、それはかえってみっともなかった。ピアスを通す小さな穴とはいえ、メガネをかけていても、意外と目立つものだ。メガネの鼻当てやフレームでもホールは隠せなかった。
 美奈はふだんは小鼻(ノストリル)のピアスは目立つ赤ではなく、無色のガラスのものに替えた。さらに会社への出勤時、肌色の絆創膏を小さく切り、ピアスの上に貼って、目立たなくした。
 外見上のピアスだけでなく、やはり美奈の言動にも多少違和感を抱かれているようだ。
 華やかではあるが、どろどろした風俗界の水に慣れて行くに従い、どうしても隠しきれない地というものが出てしまう。彼女は変わった、とよく噂された。
 ただ、以前はどちらかといえば、野暮ったいイメージがつきまとっていた美奈だったが、化粧も洗練されて、生来の美しさが生かされてきたので、好意を持つ男性は多かった。
 それに仕事は真面目にこなしているので、表面だっては特に問題は起こらなかった。

 お金もかなり貯まってきて、背中一面に彫るには十分な余裕ができた。美奈は前に見せてもらった、騎龍観音の絵を思い出した。あの絵をぜひ自分の背中に背負ってみたい。
 オアシスにも以前、背中一面に大きな和風の絵を彫っていたコンパニオンがいて、彼女もけっこう指名客がついていたという。それなら、私だって彫っても大丈夫だろう。
 美奈はときどき、何人かの馴染みの客に、背中に観音様を彫ったらどう思う? と訊いてみた。美奈の常客の中には、堅気だが全身に彫っている人もいる。もうこれ以上増やさないほうがいい、という人もいたが、多くの人は肯定的だった。中には「もし君が恋人なら困るけど、単なるセックスフレンドなら、大歓迎。背中に彫ったら、ぜひバックから攻めたいね」と言った人もいた。
「恋人なら困るけど、か」
 美奈は複雑な気分だった。
 仕事でセックスはしても、本当の恋人はまだいない。将来結婚して、家庭を持って、子供も産んで。やはり女である以上、美奈も温かい家庭を築きたかった。そうした場合、タトゥーを彫ったことはどう影響するのかしら、と美奈は思う。しかし、それより、まず将来を誓い合える男性がいないことが寂しかった。でも、まだ二〇歳にもなっていないのだから、とあまり先のことは考えないようにした。

 玲奈に背中にタトゥーを増やしたい、と相談したら、あまりいい顔をされなかった。せっかく今店でも上位を窺う人気が出てきたミクだから、しばらくはこのまま増やさないでほしい、と玲奈は言った。

 六月になった。美奈が勤める事務用機器の商社は、衣替えとなった。男性は決まった制服はなく、長袖のカッターシャツを着ている人も珍しくはないが、事務の女性社員は私服ではなく、支給されるユニホームを着なくてはならない。今はまだそれほど暑くはなく、梅雨に入れば梅雨寒のときもあるので、長袖をそのまま着ていても、それほど不自然ではなかった。
 しかし、かなり暑くなる日もある。省エネで六月中は冷房を控えることになっており、オフィスはけっこう暑いことがある。
 そんなときでも、美奈は汗を拭きながらも長袖を着ている。やがて美奈はタトゥーを隠しているのではないか、という噂が立ち始めた。
 実際、更衣室で、腕や太股の花を見た、という人も現れた。着替えのとき、人の気配がないかを十分気をつけているつもりでも、突然ドアが開く音がして、あわててタトゥーを隠したこともある。そのとき、隠しきれず、見られた可能性が高い。話は尾ひれがついて広がった。美奈はまずいと思った。いつまでとぼけていられるか。
 やがて、噂を放ってはおけなくなり、美奈は直属の課長に呼び出された。
 美奈は部長室に連れて行かれた。部屋には部長が待っていた。
「最近、君の腕に花の入れ墨がある、という噂を聞くが、どうなのかね」と課長が問い質した。部長は自分の席で、何も言わずに課長とのやりとりを聞いていた。
 返事をできないでいると、「ちょっと腕をまくってみてくれないかね」と課長はたたみかけた。美奈は何も答えられず、じっと俯いていた。
「なぜ黙っているんだ? ちょっと腕まくりしてくれ、と頼んでいるだけだぞ。これぐらいなら、別にセクハラにはならんだろ。それとも入れ墨の件は本当かね」
「はい、事実です」
 美奈はもう隠し続けるわけにもいかないと、とうとう観念して、左の二の腕の一部を見せた。赤い大輪の牡丹と、青系統のアゲハチョウの色の対比が鮮やかだった。その上の肩のあたりに彫ってある、黄色の牡丹までは見せなかった。
「反対の腕にもあるのかね」
「はい。色違いの牡丹の花が入っています」
「そうか。君は仕事もできるし、真面目なので、うちの課では必要な人材だが、残念だ」
「私はもうクビですか?」
 美奈は最も気になっていることを尋ねた。
「入れ墨があるだけで解雇にはできん。今のところ、それで我が社が損害を被ったわけではないしな。ただ、うちが入れ墨がある社員を雇っている、と対外的に噂になるのもまずい。うちは役所や学校が主な取引相手だからな。今日はもう帰りなさい。上とも相談し、後日処分を連絡する」
 今まで黙って成り行きを見守っていた部長が、美奈に告げた。
 オフィスで帰り支度をしていると、いつも机を並べて、仲良く話をしている二年先輩の沙織が、心配そうに「どうだったの?」と訊いた。
「もう噂は知ってますよね。ごめんなさい、今まで隠していて」と言って、美奈は左の袖をまくって、沙織に牡丹を見せた。課の他の人たちもそれを見に集まってきた。

 翌々日、自宅で待機していると、部長から電話がかかり、出社するよう命令された。解雇にはならなかったが、資料室への異動を命じられた。
 経理を急遽監査してみたが、不正はまったくなかった。それで、解雇しなければならない大義名分は立たなかった。
 資料室とは新聞、雑誌などから、社の役に立ちそうな資料を抜き出し、電子化して保存する仕事だった。インターネットなどの電子情報も対象だった。資料室なら、外部の人と接する機会もない。いわば閑職だ。給料もかなり低くなる。
 上司より、〝入れ墨〟は他人の目に触れないよう、注意すること、また、今後昇進の可能性はない、自主退社は自由だ、その場合は規定の退職金は支給する、との通告があった。定年や結婚で退職するまで、資料室にずっといるか、それとも自主退職するかの選択だった。

美奈は退職しなかった。辞めようと思えば、いつでも辞められる。辞めなければならないときまで、勤務を続ける覚悟だった。ソープランドで副業をしていることは、秘密にしていた。
 資料室には、もう一人年配の男性がいるだけだった。長田(おさだ)というこの六〇歳近い男は、最近資料に目を通すにも目が見にくいし、記事の電子化をするにも、パソコンの操作が、慣れたとはいえ、あまり得意ではないので、若いパソコンに詳しい人が来てくれて助かるよ、と喜んでいた。
 長田は美奈のタトゥーのことを知っているはずなのに、いっさい触れないでいてくれた。

『幻影』 第4章

2012-07-13 13:16:39 | 日記
 最近は雨が多いです。愛知県地方でも、一昨日から昨日にかけて、かなりの降水がありました。

 大雨の被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます。


 ところで、先日お約束した、『幻影』の続きを掲載します。



             

 オアシスで面接を受けた翌日、退社して家に帰ってから、さっそくインターネットでオアシスのホームページを開いてみた。
 女の子紹介のページに、さっそくミクという名で載っていた。約束通り、顔の部分はモザイクが入り、わからないようになっていたが、タトゥーは目立っていた。年齢は一歳サバを読んで、二〇歳と書かれていた。募集要項では二〇歳以上となっているため、一九歳とは書けないのだろうか。
 自己PR欄には、昨日プロフィールに書いたとおり、「ファッション感覚でタトゥーを入れました。よろしくネ」とあった。
 特に下着だけの写真は、太股の牡丹が派手だった。こんなタトゥーをしていたら、客は引いてしまうのではないか、と心配もした。
 オアシスにはもう一人、胸に蝶のタトゥーを入れている女の子がいる、と聞いていたので、他の人も見てみたが、タトゥーを入れている人は見つからなかった。しかし、よく見てみると、ルミという人のプロフィールに、「タトゥーあり」と書かれていた。人気ランキングナンバー6ともあった。オアシスの三〇人ほどいるコンパニオンのうち、上位一〇位までは人気ランキングが表示してあった。
 撮影のとき、ファウンデーションなどで隠したか、画像処理で消したかだろう。今はデジタルカメラなので、小さなタトゥーならパソコンで簡単に消すことができる。玲奈もそう言っていた。
 美奈の場合は、逆手にとって、タトゥーをキャッチフレーズにするという戦略だ。

 金曜日は夜七時の出勤だ。美奈は定時にマルニシ商会を退社した。営業から経理に変わったので、会社を定時に出ることができた。大曽根で地下鉄に乗り、栄乗り換えで中村日赤まで行った。先日待ち合わせた本陣駅より、中村日赤駅のほうが、店に少し近かった。途中、軽く夕食を食べてきたが、それでもずいぶん早めに店に着いた。緊張のせいか、食はあまり進まなかった。
 従業員専用の店の裏口から入るのは、何だかどきどきした。中に入ると、店長の田川が「やあ、ミクちゃん、お早う。今日から頑張ってくださいね」と挨拶してきた。美奈は、この業界では夜でもお早うございます、と挨拶することを知った。美奈は最初に依頼されていた履歴書を田川に手渡し、「私は今日からミクなんだわ。頑張ってやらなくちゃ」と自分を励ました。
「今から待機室に案内します」と、田川は美奈を奥の部屋に連れて行った。田川はドアをノックし、「入るよ」と言った。たとえ店長でも女性の部屋に入るときは、必ずノックをして、男性が入室することを知らせることになっているそうだ。
「この子は今日から入ることになったミクちゃんだ。よろしく頼む」と部屋にいる女性たちに紹介した。
「初めまして。木原美奈、ここでの名前はミクです。よろしくお願いします」
 美奈は丁寧に頭を下げて、待機室にいた二人に挨拶した。
「へー、あんたが新入りか。私はケイ。よろしくね」
「私はマキ」
「ミクちゃんはまだ入ったばかりで、何もわからないから、いろいろ教えてあげてくださいね」と田川は二人に頼み、部屋を出て行った。
「その格好じゃだめ。まず、制服に着替えなくちゃ」とケイが言った。ケイは左右の耳に、いくつかピアスをしている。
 ケイはロッカールームに美奈を連れて行き、「ここ、空いているからミクちゃんが専用に使っていいよ」と使用していないロッカーを示した。それから衣装ルームに行って、「こん中から好きな服を選びなよ。うちは衣装は無料で貸し出してもらえるよ」とたくさん吊してある衣装を指さした。
 それらの衣装の中に、先日写真を撮ったとき着ていたのと同じデザインのものがあったので、美奈はそれを選んだ。しかし、ちょっと着替えるのをためらった。
「どうしたの? いつ指名があるかわからないから、早く着替えなよ。ここ、女しかいないから、何も恥ずかしがることないよ」とケイが言った。
 美奈は覚悟を決め、着ている服を脱いで制服に着替えた。
 制服姿になった美奈を見て、二人は口々に「わあ、すごい」「きれい」と感嘆の声を上げた。二人の目は美奈の両腕に釘付けになった。
「ミクちゃん、すごい。びっくりした」
「ねえねえ、よく見せて」
「タトゥーって、痛いんでしょう?」
 せっかく着た衣装だが、また二人の先輩によって、脱がされてしまった。太股には膝より上の部分が、色とりどりの大輪の牡丹に埋め尽くされている。ケイとマキは感心して見とれていた。
「すごい。ルミの胸の蝶なんかより、ずっとすごい」
 他に語彙を知らないかのように、二人はすごいを連発した。ルミさんというのは、ホームページのプロフィール欄に、タトゥーありと書いてあった人だな、と美奈は思い出した。
 しばらくして、モニターにお客さんが映し出された。店長の田川がわざわざ、「マキちゃん、よろしくね」と呼びに来た。
「ミクちゃん、今のお客さん、タトゥーがある人はだめだということだけど、タトゥーオーケーの人が来たら、よろしくお願いね」
 いつもはフロントの人が内線電話を入れてくれるのだが、今日は新入りのミクを気遣って、わざわざ店長が待機室に来てくれた。
 それから三〇分ほど経った。ケイにも指名客が入った。仕事を終えた女性が三人戻ってきた。美奈はそれぞれに自己紹介し、今日からですので、よろしくお願いします、と挨拶した。誰もが美奈の腕のタトゥーに目を奪われていた。
「はい、ミクちゃん、出番ですよ」と、今度は玲奈が美奈を呼びに来た。
「初陣ね。頑張って」と先ほど戻ってきて、美奈と話をしていたユミが声をかけた。
 とうとうそのときが来ちゃった、と美奈はどぎまぎした。その様子を見た玲奈が、「大丈夫。この前の講習の通りやればいいのだから。頑張って」と励ました。
「お客様はうちの常連さんで、女の子の評判ではおとなしい人、ということだから、心配しないで」
 待合室で、客の男性に紹介された。案内の男性従業員が、「ミクちゃんは今日が初めてなので、優しくしてあげてくださいね」と紹介した。客は常連さんだと言っていたが、この沢村という男性従業員とも顔見知りのようだった。
 すべてが初めての体験だった。
 その客は、タトゥーに関しては、オアシスには以前背中一面に龍を彫っている人もいたからと、それほど気にしている様子ではなかった。
 それより、緊張してがちがちのミクを、「君、この仕事、初めてなんだってね」と、逆にリードしてくれた。
 何とか時間が過ぎ最後にサービス料をもらうとき、私が逆に教えてもらっていたみたいなのに、お金もらっていいのかしら、と、つい本音を漏らしてしまった。
「いや、君、本当にこの仕事、初めてだったんだね。ここの店が初めて、というんじゃなくて。いつもと違っていて、初々しくてすごく新鮮だったよ」とその客は言ってくれた。
 ミクは別れ際に客に名刺を渡し、「こんな私でよければ、またよろしくお願いします」と挨拶した。
 名刺はもう用意されていた。パソコンで作成したものだった。これは玲奈が作ってくれたそうだ。名刺の裏には二ヶ月分のカレンダーが印刷されており、待機室で出番を待っている間に、美奈は出勤予定の金曜、土曜、日曜に○をつけておいた。
 待機室に戻ると、美奈はばったりソファーの上に座り込んでしまった。
「どうだった? 初陣は」
 もう一仕事終えて休憩していたケイが訊いた。
「何だか、精神的に疲れました」
「しっかりしなさいよ。まだ二回め、三回めが残っているわよ」とケイが脅した。
 また一人、接客を終えてコンパニオンが戻ってきた。
「あら、あんた、今日の新入りね。きれいなタトゥーだね。私、ルミ、よろしくね。このお店で、タトゥーが入っているの、私一人だったけど、同志ができて、嬉しいな」と、制服の胸から赤っぽい蝶の絵を覗かせて、ルミが挨拶した。
ルミの胸の蝶は、美奈の肌に彫られた蝶とは全くタッチが違って、力強いラインで縁取られている。赤と黒を基調として、黄色やオレンジなどを交えたデザインは、素晴らしい出来映えだと美奈は感心した。ルミは「そのタトゥー、どこで入れたの? 私にもそのショップ、紹介して」と美奈に話しかけてきた。
 一時間ほど休憩した後、二人目の客を相手にした。その客は左腕と右足に、トライバルといわれる黒い模様のタトゥーを入れていた。個室では、行為の合間に、いろいろタトゥーのことを訊かれた。ミクのタトゥーには大いに関心を持ったようだった。
 別れの挨拶のとき、名刺を渡すと、「今度は指名してあげるよ」と約束してくれた。
 初日には二人の客を相手にした。もうヘトヘトだった。売れっ子になれば、客を一日六、七人は接待するという。けっこうお金にはなるが、この先やっていけるか、少し弱気になった。
 勤務を上がったときには深夜〇時を大きく回っていて、もう帰りの終電にも間に合わない。高蔵寺までタクシーで帰れば、せっかくもらった給料の何割かが吹っ飛びそうだった。
 どうしようかと迷っていると、玲奈が「電車、もうないでしょ。これからはお客さんが入っていなければ、遠慮してないで、電車に間に合う時間に仕事を上がっていいからね。今夜はうちに泊まりなよ。いろいろ話したいこともあるし」と誘ってくれた。
 玲奈は以前、オアシスでコンパニオンをしていたが、三〇代も半ばを過ぎ、現役を退いて、今はアドバイザー、講習指導員として、経営側として店に残っているのだそうだ。コンパニオンにとっては、頼りになるお姉さんでもある。
 玲奈のマンションは店から歩いて二〇分ほどのところだった。
 水割りをすすりながら、玲奈は初仕事のことを細かく尋ねた。美奈が「私は未成年ですが」と断ると、「そう堅いこと言いなさんな」と、薄めの水割りを作ってくれた。
 玲奈は美奈のタトゥーのことを気にかけていたようだ。お客さんの反応はどうだった? と玲奈は尋ねた。
 美奈は最初の客からちょっと聞いたが、以前アカネという源氏名のコンパニオンが、背中一面に、堂々たる和風の龍の図柄を彫っていたそうだ。
 玲奈の話では、アカネを敬遠する客もいたが、一定の顧客もついており、背中の〝刺青〟目当てに指名する客も多かったという。人気では上位に入ることはなかったが、中堅として十分店の戦力にはなった、とのことだ。そのアカネは、いつの間にか連絡もなく、店に出勤しなくなったという。
 ミクちゃんも、誰にでも、というわけにはいかなくても、きっとタトゥーに惹かれ、指名するお客さんも増えてくるよ、と玲奈は言った。そのためにタトゥーを全面に打ち出すのだという。隠そうにも、隠しきれるものではないし。
 美奈は風俗という仕事上、いろいろいやなこと、危険などないですか? と訊いた。
 まず、病気のことが心配だった。
 タトゥーも血液に触れる行為なので、感染の不安が常につきまとうが、卑美子は衛生管理はしっかりしていた。ときどき知り合いの病院や保健所から指導を受けている、とも言っていた。
 オアシスでは、月に一度、提携している近くの病院で定期検査を受け、結果を報告することを義務づけている。
 玲奈はまず衛生用品はしっかり使いなさい、と言った。また、もし個室の中で、何か危険なことをされそうになった場合は、インターホンで連絡するか、その時間がなければ、大声をあげてもらえれば、従業員がすぐに助けに駆けつける、という。男性従業員の中には、空手など、格闘技の心得があるものもいる。防音構造ではないので、大きな声を出せば、十分に届くとのことだった。そして問題を起こした客は、入店時にモニターでチェックし、デキン、つまり出入り禁止にするそうだ。
 そうこうしているうちに、アルコールを飲んだ経験があまりない美奈は、仕事の疲れと相まって眠りに落ちてしまった。

幻?の滝

2012-07-10 18:42:18 | 日記
 今日は晴天だったので、弥勒山等に登りました。明日からはまた梅雨空のようです。

 梅雨で雨がよく降ったので、例の滝には少し水が流れていました。今日は滝の上まで登ってみました。

 

 滝の全景です。水が少なく、わかりにくいですが。

 

 滝のいちばん上の流れです。ここから水が流れています。その上は伏流になっており、水はありませんでした。

 

 滝の上が崩壊していました。たぶん去年の台風で崩壊したのだと思います。

 

 麓の植物園では、あじさいがきれいに咲いていました。

 最近、体調が悪く、今日は山を歩いていて、非常に辛く感じました。土曜日に病院で検査を受けました。結果がわかった分は、異常なしでしたが、血液検査などは、結果が出るのはもう少し先です。

 看護師さんから、本のことなどいろいろ質問されました。

 次回は『幻影』の続きを掲載します。

ヒッグス粒子

2012-07-06 05:05:06 | 日記
 ヒッグス粒子発見の報に、天体物理学や宇宙論に興味がある私は、大いに沸きました

 これで宇宙論もぐっと進展するでしょう。

 しかし、光より速いニュートリノを発見、というニュースは、結局誤りだったということもありましたが。

 今後さらに検証を深め、発見を確実なものとする、ということなので、期待しています。

 『幻影』の続きを掲載します。今回は第3章です。



             

 両腕が完成すると、いよいよ背中に行きたくなった。もう腕にも入れてしまい、後戻りすることはできない。どうせならとことんやってしまおう、とかえって腹が据わった。
 問題はまずお金だった。背中に騎龍観音を彫る資金を作るため、風俗のアルバイトをしてみようか、と美奈はふと思い浮かんだ。まさに突然の思いつきだった。風俗の仕事なら、手っ取り早く大きなお金を稼ぐことができる。
 美奈はパソコンを使い、インターネットで名古屋市内の風俗関係の店を検索した。キャバクラなどを見てみたが、興味本位でソープランドのコンパニオン求人サイトも検索してみた。少し気が咎めたとはいえ、ただ参考までに見てみるだけだ、と自分に言い聞かせた。
 そのうちの一つ、オアシスという名の店に、思い切って電話をかけた。インターネットで求人欄を何件も見た中では、比較的よさそうだったからだ。
 もちろん美奈は風俗店のことなど、まったく知らないので、ホームページの印象がよくても、実際はどうなのかわからなかった。
 しかしオアシスのコンパニオン募集のページは、非常に懇切丁寧に説明されていて、わかりやすかった。信用していいかどうかわからないが、風俗営業許可店として、保健所や警察の営業許可も取っている、とあったことが安心感を与えた。いちおう話を聞くだけだから、と自分に言い聞かせて、電話をかけてみた。
 携帯電話のボタンをプッシュするとき、美奈の胸は、初めて卑美子のスタジオに電話をかけたとき以上に、早鐘のように鼓動した。電話に出たのは、威勢よさそうな若い男性だった。コンパニオンになりたいが、まず話を聞きたい、と言うと、「ちょっと待ってくださいね」と言って、人事の担当者と替わった。
 その人は、店長の田川ですと名乗った。電話で話している限りでは、けっこう丁寧な感じの人だった。
 美奈は胸がどきどきし、「あの、そちらで働きたいのですが、まずお話だけでもお伺いしたいのですが」と電話した意図を伝えた。かなり声が震えているのが自分でもよくわかった。
「私、タトゥーが入っているんですが、大丈夫でしょうか?」と最初に尋ねた。このことがまず知りたいことだった。ホームページには、程度により、タトゥー可とあったが、どの程度までか、ということを確認したかった。
「タトゥーがあるのですか? うちでは、図柄にもよりますが、あまり大きなものでない限りはオーケーですよ」と田川は答えた。
「私、両腕の肘から肩にかけて、牡丹と蝶、それから太股にも牡丹が入っています」
「それはかなり大きそうですね。でも、図柄が牡丹や蝶なら、たぶん大丈夫だと思いますよ。一度見てみたいので、ご来店いただけませんか? あなたのご都合がいい日でけっこうですから」
 店長の田川は言葉遣いも丁寧だし、親切な感じだった。それで美奈は翌日、マルニシ商会での勤務が終了してから、面接に行くことにした。

 翌日、指定された地下鉄本陣駅から電話をしたら、すぐに車で迎えに行きます、と言ってくれた。車種と色、ナンバーを聞いて、本陣駅のバスターミナルの近くで、しばらく待っていた。二月下旬のまだ寒いころで、雨も降っていたので、長く待つのはつらいな、と思っていたら、一〇分ほどで迎えの車が来てくれた。
「私が昨日お電話を受けた、店長の田川です」とその男は自己紹介した。店長自らが迎えに来てくれた。物腰の柔らかい男だった。
 オアシスは本陣駅から少し南の方へ行ったところにあった。歩いても一〇分ぐらいだろう。近くに大きなスーパーマーケットがあった。
客が出入りする入り口とは別のところから入り、まずトイレへ案内された。薬物使用者は採用できないので、尿検査をするとのことだった。
 その後、美奈は応接室に連れて行かれた。応接室には、三〇代半ばぐらいと思われるきれいな女性が一人、椅子にかけて待っていた。胸がどきどきし、めまいがするような感じだった。昨夜は思いつきで電話をかけてみたが、まさか今日、実際に面接を受けることになるなんて、思ってもみなかった。初めてタトゥーを入れに行ったとき以上の緊張だった。
「こちらは当店のアドバイザーをやってもらっている、小田切玲奈です」と田川は女性を紹介した。
「面接は店長と私で担当させていただきます」と小田切玲奈と紹介された女性が言った。田川は玲奈の隣の席に腰を下ろした。
「あなたが木原美奈さん、一九歳ですね。当店は募集要項では二〇歳以上となっていますが、まあいいでしょう。児童福祉法や県の青少年保護条例では、一八歳未満の雇用は禁じられていますがね。まず、免許証など、写真がある証明書を見せてもらえますか」と玲奈は言った。
 運転免許証を見ながら、玲奈は書類に何か記入をしていた。名前や生年月日、住所などを書いているのだろう。それから美奈に断って、免許証のコピーをとった。
「木原さんはタトゥーをしていらっしゃるのですね。いきなりで失礼ですが、まずタトゥーを見せていただけませんか? 本来ボディチェックは採用決定後に行うのですが、いろいろ手続きを進めていって、最後に見せてもらって、やはり不採用です、では申し訳ないので、不躾で申し訳ありませんが、最初に見せていただけませんでしょうか。それから、ボディチェックはいつもは私が一人で行いますが、大きなタトゥーの場合は、店長にも判断してもらいたいので、店長の同席も了承お願いできますか?」
 店長が同席、というのが少し気が引けた。そういえば男性にタトゥーを見せるのは、初めてのことだった。しかし、店としても、タトゥーのことで判断をしなければならないので、やむを得ないか、と美奈は観念した。
「あの、ここで裸にならなければいけませんか?」
「いちおうタトゥーなどのチェックを行いますので、すべてのタトゥーが見える程度にお願いします。下着のままでいいですよ」と玲奈は申し訳なさそうに答えた。
 寒い季節で、厚着をしているので、服を脱ぐのは多少やっかいだった。美奈は下着だけになった。
「きれいなタトゥーですね。ちょっと広範囲に入っていますが、この図柄なら問題ないでしょう。タトゥーはけっこうです」
 田川も大丈夫だ、というサインを玲奈に送っていた。
 それから田川と玲奈の二人が代わるがわる質問した。
「木原さんはふだんはメガネをかけているのですね。店の中ではメガネは原則使用しませんけど、大丈夫ですか? コンタクトレンズならオーケーです。うちにはほかにも近視の子が何人かいますけど」
 最初に玲奈がこう切り出した。
 それから、現在は何か仕事をしていますか、とか、通勤は自動車ですか、電車ですか、など日常的なことを尋ねられた。
 美奈は、今は事務機器販売会社で事務をやっていますが、兼務は大丈夫ですかと逆に質問した。
「勤務時間は相談に応じます。勤務終了後に来てもらってもいいですし、土日を主としてもらってもけっこうです」と店長の田川が答えた。
 勤務は週三回、金、土、日とした。金曜日は夜七時から、土日は遅いシフト、すなわち午後三時半から閉店まで、ということにした。
 面接が終わり、しばらく待たされた後、田川から「採用しますので、よろしくお願いします」と通知があった。
 つい最近まで、まったく考えてもみなかった展開となった。初めてタトゥーを彫ったのは、タトゥー雑誌やインターネットのホームページを見ながら、ずいぶん考えてのことだったが、ソープランドで働くことは、本当に思いつきから、あっという間の決定だった。
 出勤は次の金曜日からだが、もしよかったら今日講習を受けていかないか、と玲奈に勧められた。いきなり今日から、と言われるなんて、予想もしていなかった。
 最初はお客を相手にする前に、いろいろ説明したり、やってもらうことがあるので、もしできれば今日は講習を受けてほしい、とのことだった。

 まず、店での名前、源氏名をどうするか、と訊かれた。突然そんなことを言われても、まだ何も考えていなかった。本名の美奈では、ちょっと都合がわるいし、逆さにして奈美も平凡だ。少し考えて、幼いころの呼び名、ミー君から、ミクとすることにした。漢字では「未来」と表記することに決めた。
 それから、客にアピールするプロフィールを、設問に従って書くように言われた。
 その後、写真撮影。美奈はインターネットのホームページを見てきたから、ホームページに載せる写真と言われ、すぐに納得した。先ほどのプロフィールも、ホームページのアルバムに、写真と共に載せるものでもある。しかし、今日いきなり写真を撮ると言われ、どぎまぎした。それならそのようにメークもしたかった。メークに関しては、「私がやってあげるから、心配いりませんよ」と玲奈が引き受けた。
 美奈は玲奈に写真を撮る部屋に案内された。簡素な写真用のスタジオのようなものだった。玲奈は撮影用の衣装に着替えるように指示した。
 美奈は裸になり、玲奈が選んでくれた店用の衣装に身を包んだ。下着も撮影用のものが用意してあった。衣装は非常に華やかなもので、何だか自分ではなく、テレビのスターになったような気がした。
「腕のタトゥー、どうするのですか?」と美奈は訊いた。
「ミクちゃんは、いっそタトゥーを売りにしたら、と思うので、ファンデで隠さず、そのままいったらどう? きれいだから」と玲奈は言った。
 ほかにも胸に蝶のタトゥーを入れている人がいるが、その人は写真撮影のときだけ、ファウンデーションで隠しているそうだ。それでもよく見れば、肌の色が違って見えることもあるので、そういう場合はデジタル処理でわからないようにしているという。
「でも、ホームページの写真、もし知ってる人に見られるといやだな」
 美奈は独り言のように呟いた。
「大丈夫、ホームページの写真は顔にモザイクを入れて、わからないようにできるから。それに、いやならホームページや雑誌に写真を出すことは強要しませんから」
 美奈が事前にパソコンで見た写真も、顔がわからないようになっているものや、写真自体が掲載されていないものがいくつもあることを思い出した。
 雑誌というのは、名古屋地区の風俗等のPR誌のことだそうだ。
 それから玲奈の手でメークが施された。さすがに慣れているのか、美奈の顔の美しさを存分に引き出すメークをした。鏡を見ると、まるで別人のようだった。
 写真撮影は男性の専門スタッフによって行われた。最初は衣装を着たままで写し、その後下着だけになった。腕や大腿部のタトゥーがなま艶めかしかった。
 これからこのタトゥーが私の武器になるのかな。そう思うと、自分の肌に描かれた絵が、とても頼もしく思えた。プロフィールの自己PRの欄には、「ファッション感覚でタトゥーを入れました。よろしくネ」と書いておいた。これは玲奈からの助言である。これからこの仕事をしていくのに、タトゥーを入れたことがどう出るか、心配だが、楽しみでもあった。
 その後、玲奈が講師となり、空いている〝個室〟を使って、講習が行われた。
 まず、部屋についての一通りの説明があった。部屋は薄暗く、近視の美奈には、部屋の状況がよく見えなかった。メガネとコンタクトレンズは応接室に置いてきたままだったので、玲奈に断って、美奈は部屋の中を、いろいろな備品が見える位置まで歩き回った。
 玲奈は「コンタクトレンズを使うといいけど、ときどき接客中にレンズを落として流しちゃう子もいますよ」と美奈にアドバイスした。
 それから接客のマナーについて、詳しく説明があった。
「私たちの仕事は、一般の接客業と何ら変わりがないので、お客様への対応は、マナーに則って、きちんと接していくことが最も大切です。いくらテクニックにた長けていても、いい加減な対応をしていれば、そのお客様はもう二度と指名しようという気持ちが起きなくなってしまいますからね」
 玲奈は接客マナーの大切さを美奈に話した。
 そしていよいよ仕事の手順について講義があった。
 女性の美奈は、ソープランドに行ったこともなく、どういう手順で仕事が行われるかは、まったく知らなかった。美奈はセックスについて、ほとんど素人だった。というより、未経験だった。もちろんソープランドとはどういうことをするのかは知っていた。知っていて、手っ取り早く背中にタトゥーを彫る資金を稼ぐために、やってみようと考えた。
「風俗で働くのが初めて、という女性もたくさんやっているから、心配することはないのよ」と玲奈は美奈を安心させた。玲奈は美奈を相手に、女役をやり、また男役もやって、何度も何度も実演をして手ほどきをした。
 ようやく美奈も少しずつ要領が飲み込めてきた。
 今日はこれで帰ってもよい、金曜日からよろしくね、と玲奈が言った。美奈はまだ客を相手にしたわけでもないのに、疲れ果ててしまった。これでは先が思いやられる、と思った。何もかもが初めての体験だった。
 玲奈は今日の手当として、一万五千円をくれた。
「お客さんを取ってもいないのに、もらっちゃっていいのですか?」と美奈は尋ねた。
「入店のお祝い金で一万円、それから講習とはいえ、今日から働いてくれたので、最低保障の五千円ですよ。もしお客様が一人も付かなかった場合は、最低保障として五千円です。お客様が付けば付くほど、指名が増えれば増えるほど収入が増えるから、頑張ってね」
 玲奈は説明をして、美奈を励ました。
「今日は疲れたでしょう? ミクちゃんはそんなに見事なタトゥーをしているのに、本当に素人さんなのね。意外だわ。でも、金曜日からは本番よ。お願いね」
 玲奈は美奈に期待をかけた。そして、次回来るときには、履歴書を持参するように指示をした。

食あたり?

2012-07-03 15:11:49 | 日記
 日曜日の未明、突然の腹痛に襲われました。熱は特にありませんでしたが、嘔吐、下痢もあり、ひょっとしたら何かおかしな食べ物にあたったのだろうかと思いました。

 これといって危なそうなものを食べた記憶はありませんが、梅雨時で、食べ物が傷みやすい時季なので、いいと思っていたものも、細菌に汚染されていたのかもしれません。

 私はもったいないからといって、けっこう賞味期限切れのものも平気で食べていましたから。

 昨日は快復したので、午後から、せっかくの晴天だからと、いつもの山に登りました。一昨日はかなりの雨でしたが、先日紹介した滝は、わずかに水が流れているだけでした。よほどの大雨のあとでしか、見ることができないようです。

 『幻影』の続きを掲載します。今回は第2章です。



             

 美奈はさらに美しい絵を増やしたいと思った。一つタトゥーを入れると、どんどん増やしたくなる、というタトゥーの魔力に、美奈は取り憑(つ )かれてしまった。冬のボーナスが出たら、太股に彫りたいと、卑美子に予約を取った。
 図柄の打ち合わせのとき、美奈はゆくゆくは背中一面に大きなものを彫りたいけれど、まだ背中に彫れるほどのお金の蓄えがないので、今回は太股に入れるつもりだ、と希望を伝えた。
 卑美子は将来背中にも彫りたいなら、背中の図柄も勘案しながら、それに合う図柄を考えるといい、と美奈にアドバイスをした。あくまでもメインは背中の絵になるので、背中を中心に絵のバランスを考えなさい、というのだ。
 美奈は背中には観音様か天女を彫りたいと思っている。
 小学生のころ、美奈は図書館で見た百科事典の「入れ墨」の項目にあった、女性の背中に彫られた大日如来の写真を見て、心を奪われた。多くの色を使った、極彩色の美しい絵だった。その大日如来を見て、美奈はぜひとも自分の背中にそんな美しい絵が欲しいと憧れた。大人になったら、絶対に彫ってやろうと決心したのだった。
 また、当時から刺青(いれずみ)やタトゥーの特集をした雑誌もぼつぼつ現れ、美奈は本屋でこっそりとそれらの本を立ち読みし、タトゥーの虜(とりこ)になってしまった。
 美奈は子年の生まれで、その護り本尊は、千手観音である。それで、背中に彫るのなら、観音菩薩か、女性らしい図柄で、羽衣天女にしようと、もうずいぶん以前から考えていた。
 美奈の生家は浄土真宗の寺である。浄土真宗は阿弥陀如来を本尊としている。家の信仰からすれば、背中に彫るのは阿弥陀如来がいいのかもしれないが、阿弥陀様は美奈のイメージに合わなかった。
 それに、寺の娘でありながら、美奈は真宗の信仰をする気はなかった。だから阿弥陀様より、観音様を彫ってみたかった。観音菩薩は、女性的な印象もあり、美奈の気分にぴったりでもあった。
 卑美子に相談すると、観音様も天女も女性らしくていい図柄じゃないの? と賛成してくれた。
 もともと卑美子はアメリカンタトゥーといわれる、西洋風の図柄が得意だった。しかし、和風の絵も研究しており、見本帳や写真集に多くの見事な作品を用意してあった。
 その写真集の中にある、観音菩薩に龍を絡めた絵が、美奈の目を捉えた。まだ一部、色が入っていないが、色白の女性の背中から臀部にかけて彫られたその絵は、美奈の心を魅了した。私もぜひこの絵を彫ってみたい、と思った。
「あ、その人ね」と卑美子は美奈が指し示した写真を見て言った。
「もうあとちょっとで完成だけど、何ヶ月か前に、赤ちゃんができたから、しばらくお休みします、と連絡があったのよ。あれは八月だったかしら。だから未完成だったけど、お休みする前に写真を撮らせてもらったの」
「妊娠したので、しばらくお休みしてるんですか?」
「そう。やはり妊娠したら、無理はできないからね。その人も美奈ちゃんみたいに熱心だったから、またそのうちに彫りに来ると思うけど。でも、結婚していたなんて、聞いてなかったな」
 そう言いながら、卑美子はその図柄の原画を見本帳の中から探して、見せてくれた。
 元になった絵も見事だった。龍の色が原画では青だったのが、写真では緑色だった。平面を立体の背中に描き直したので、多少の相違はあるが、龍の色以外はほぼ原画の通りだった。
 美奈は背中にはその図柄を彫りたいと、卑美子に申し出た。
 しかし、費用が問題だった。卑美子は一時間一万円で請け負っている。卑美子ほどの技術と人気を持つタトゥーアーティストとしては、高い値段ではなかった。それでも、背中一面では、何十時間もかかるので、何十万円という費用が必要だった。
 文具やOA機器を扱う、美奈が勤めている会社の給料では、なかなか背中一面を彫り上げるだけのお金の余裕はなかった。
 だから、今回は大腿部に彫ることにした。左右の大腿部いっぱいに、色とりどりの牡丹の花を彫る、ということで、卑美子と絵の相談をした。
 卑美子は下半身下着だけになった美奈の左の太股に、直接筆ペンで、おおざっぱに大輪の牡丹の花を描き込んだ。すらすら描いているようでも、きちんとした牡丹の形になっているのは、熟練の賜(たまもの)といえた。
 最初は三輪描いたのだが、もっとたくさんお願いします、と促され、いったん絵を消してから、片脚に倍の六輪の牡丹を描き込んだ。
 美奈の膝の上から腰の辺りまで、牡丹の花で埋まってしまった。お尻の部分は、騎龍観音を彫ることを見越して、空けておいた。
「こんなにたくさん彫っていいんですか?」と卑美子は念を押した。
「最初は人目につきにくいところ、ということでおへその下にしたのに、こんなにたくさん彫っては、意味がないですね」と卑美子は笑った。
「はい。一つ彫ったら、やっぱりどんどん彫りたくなっちゃいました。せっかく彫るなら、たくさん彫りたいです。こんな感じで、右の方もお願いします」と美奈は注文した。
 夏のボーナスは就職したばかりで、少なかったが、冬は手取りで三〇万円以上期待できる。卑美子に尋ねると、一輪二万五千円としても、三〇万円あれば大丈夫とのことだった。実際はもっと安く済みそうだ。美奈はさっそく空いている日を予約した。
最初の施術の日、美奈は左の太股に、六輪の牡丹の花の筋彫りをしてもらった。年内には三輪の牡丹に、赤、黄、紫の色を入れた。どの牡丹の花も同系統の三色の色で、巧妙なグラデーションがかけられていた。紫の花は、先端部がきれいな白に染められた。美奈は出来映えに十分満足できた。
 続きは年が変わってからだが、来年はどこまで絵が増えることになるか、今から楽しみだった。

 大晦日、美奈は生家に帰った。タトゥーのことは絶対ばれないようにしたかった。風呂さえ気をつければ、大丈夫だと思った。
 美奈の実家は名古屋市東区出来町(できまち)にある、浄土真宗の、ある宗派の、光照寺という寺だった。
 美奈は小学生のころ、寺の名前が、テロ事件を起こした某教団の教祖の名前に似ている、というので、いじめを受けたことがあった。おまえの寺はその教団の寺だろう、と攻撃された。当時流行していたその教団の歌を、同級生の男の子たちが、美奈の寺の名前をもじって、よく歌っていた。美奈にとっては苦い思い出だ。
 両親は美奈が高校三年生の春に、交通事故で亡くなった。今は九歳年上の兄が寺を継ぎ、住職をしている。
 兄の勝政は、大学卒業後、同じ宗派の寺に行って修行をしていたが、両親の死により、呼び戻されて、住職となった。
 美奈は厳格な兄とはウマが合わず、就職が決まった後、高蔵寺の団地に転居した。
 今度の正月は、姉の真美は、娘の愛が生まれたばかりで、帰らないとのことだった。
 真美は天白区の同じ宗派の寺に嫁いでいる。美奈より七歳年上だ。美奈は兄とはあまり折り合いがよくなかったが、年が離れた姉の真美は慕っていた。真美が帰らず、兄と過ごす年末年始はあまり楽しいとは思えなかった。兄嫁が明るい気さくな人なのが救いだった。兄夫婦には、二歳になる勝利という息子がいた。美奈にとっては甥に当たる。
 真美と美奈の間にはもう一人、女の子がいた。しかしこの子は美奈が生まれる前に、病気で亡くなっていた。もしその子が生きていたら、私はこの世に生まれることはなかったのかな、と思うと、美奈は複雑な気持ちになった。美奈は亡くなった姉の代わりにこの世に生を受けたようなものだった。

 美奈は高校時代、成績が優秀で、大学に進学するよう勧められていた。両親が亡くなってから、進学する意欲がなくなったので、高校卒業後、大曽根駅近くにあるマルニシ商会というOA機器や文具の販売会社に就職した。
 大学への進学を断念した美奈は、一八歳の誕生日を迎えてから、自動車学校に行き、車の運転免許を取得した。会社勤めをするには、運転免許が必要だったからだ。両親が交通事故で亡くなっているので、最初は自動車の運転免許を取ることに、少しためらいを感じていた。しかし、これから社会で仕事をしていくためには、運転免許は必要だと割り切り、自動車学校に入校したのだった。
 高校では就職に必要な場合は、申請すれば、在学中に車の免許を取るために、自動車学校に通うことを認めていた。
 担任は成績では常に学年でトップクラスの美奈が、両親の不幸があったとはいえ、進学を諦めたことを残念がっていた。進学を断念した後も、美奈の成績は落ちることがなかった。
 入社当初、美奈は営業部だった。注文取りや商品の配達で、役所や学校などを回っていたが、つい最近、経理部に部署替えになった。美奈はパソコンなどOA機器の操作に堪能で、営業より事務関係の仕事のほうが向いている、と上司に認められたからだった。
 美奈としては車を運転して、あちこちの学校を回り、そこの教員や事務職員といろいろな話ができるので、営業のほうが楽しかった。最初はしばらく先輩の男性社員と一緒に回っていたが、仕事に慣れると、一人で任された。
 ときには学校でライバル業者と鉢合わせしたりもする。会社としては商売敵でも、個人的にライバル業者と情報交換などもでき、楽しかった。もちろん会社の機密事項に関しては、お互いいっさい漏らさないように注意をしていた。そのへんは狐と狸の腹の探り合いでもあった。給料も残業手当が多い営業のほうがいくぶんよかった。美奈は学校での評判がよく、いくつかの学校から、もう一度美奈に営業に復帰してほしいという要望があったという噂を、美奈は聞いていた。

 年末年始は、兄は寺の行事などで忙しそうで、あまり美奈とは話ができなかった。しかし勤行などの行事には出るよう命じられた。正月三が日は修正会(しゅしょうえ)という真宗の勤行会(ごんぎょうえ)があり、それに参加した。
 高蔵寺に別居してから、勤行を怠けていた美奈には、長い時間正座するのが辛く感じられた。
 下腹部や太股のタトゥーは見つからず、一安心した美奈は、三日の夜、高蔵寺の自宅に帰った。

 年が明けて、毎週土曜日の夜、三時間の枠が取れ、美奈はタトゥーを彫りに行った。卑美子の都合がいいときは、四時間、五時間と時間を延長して彫ってもらったので、一月中には、左右の太股から腰の側面にかけ、片脚六輪ずつ、一ダースの大輪の牡丹が完成した。赤、橙、黄、青、紫、白など、色とりどりの牡丹の花であった。冬のボーナスの多くはタトゥーに費やしてしまった。
 せっかく土曜日三時間の枠を取ってもらっていたので、大腿部が完成した後、両腕に牡丹の花と蝶を彫る予約を入れた。肘から肩にかけての、二の腕にである。腕になら、一四、五万円で済み、今の美奈でも支払うことができた。
 家に帰ってから、美奈は考えた。ここ三ヶ月でへそ下の下腹部から大腿部、腰にかけて、ずいぶんたくさんタトゥーを彫ってしまった。
 ここまでは、つい勢いで入れてしまった。今はタトゥーもファッション感覚で入れる人が多い。タトゥー雑誌などを見ると、若い女性もけっこうファッションとして楽しんでいる。
 でも、美奈の場合は、ファッションとして楽しむにしては、大胆に入れすぎてしまったかもしれない。最初に彫った、へそ下のバラと蝶だけにしておけば、あまり人目にも触れない場所だし、社会生活をしていくにも、それほど大きな支障は出ないかもしれなかった。中学生、高校生のころは、あまり他人に見られることがない、下腹部やお尻だけにとどめておくつもりだった。お尻には、自分のセクシーポイントとしてきれいな花を入れてみたいと思っていた。しかし、いざ彫り始めると、もっとたくさん入れてみたい、という衝動に抗することができなくなった。
 会社では毎年定期健診をしているが、下腹部だけなら、何とか隠し通すことはできる。年一回の社員旅行は、入浴のときなど、気をつけなければならないとはいえ、会社勤めに関しては、それほど大きな支障はない。
 以前と違って、タトゥーも多少は社会にも受け入れられつつあるようだ。だから万一見つかっても、仕事さえ真面目にやっていると認められれば、小さなタトゥーなら、解雇されることは避けられるのではないか。
 もちろんまだタトゥーに対する偏見も多く、温泉やプール、ジムなど「入れ墨、タトゥーお断り」とあるところも多い。いくら小さなタトゥーといえども、見つかれば、マルニシ商会でもやっかいな問題が起きないとも限らない。
 タトゥーを入れた人の中には、せっかくきれいに仕上げたタトゥーを、レーザー照射や切除手術などで消したりする人もいる。
 しかし、今の技術では、一度彫ったタトゥーを、完全に消すことは難しい。レーザーでほぼわからなくなることもあるが、多くの場合は完全には消えず、一部色が残って、かえって見苦しい痣のようになったり、大きな傷跡が残ったりする。
 いれずみ、タトゥーを彫る、ということは、やはりそれなりの覚悟が必要で、一時の「ノリ」や「勢い」で入れるものでは、決してないと思う。
 またタトゥーがあると、病気の検査のとき、MRI(磁気共鳴画像装置)を用いる検査に支障が出る可能性がある。それはタトゥーに使用するインクの中に、磁性体を含んでいるものがあるため、熱を持ち、火傷をする危険性があるためだ。だから、場合によっては、MRIを使用できず、致命的な病気を見落としてしまうというリスクも、否定できない。
 美奈の場合は、小学生のころから憧れており、小さなものでもよいので、ぜひとも自分の肌にタトゥーを入れたい、とずっと思い続けていた。
 そして、入れたことを後悔せず、一生背負い続けるつもりでいる。
 今まで彫った分については、なんとか隠し続けることはできるかもしれない。会社ではユニホームはスカートだけではなく、パンツを選ぶこともできるので、太股のタトゥーも、着替えのときさえ気をつければ、見つからずに済むかもしれない。黒いパンティーストッキングを穿いていれば、多少はわかりづらいと思う。健診はどこかの病院で受け、その結果を提出すればよい。
 しかし、腕に彫れば、半袖になる夏は、見つかる可能性が格段に高くなる。冷房が苦手だからと言って、長袖を着続けるということもできるのだが、夏なのに常時長袖も不自然だ。男性の場合は、長袖のカッターシャツとスーツで身を包んでも、それほど変には思われないのだが。
 先ほど、勢いというか、ノリというか、卑美子に両腕に牡丹を入れる、と予約してしまった。だが、予約を取り消してもらうのが常識ある判断だろう。予約を取り消しても、常に客の立場を考えている卑美子なら、文句を言ったりはしないと思われる。
 それでも美奈は、予約を取り消さなかった。自分の身体をもっともっときれいに飾りたい、という気持ちのほうが強かった。それ以外のことはあえて何も見ようとはしなかった。