今日は東海、近畿、中国四国、関東地方などが梅雨明けしました。
天気がよかったので、午前中、弥勒山に行きました。
テレビのニュースでは、名古屋は35℃、弥勒山のすぐ北側の多治見市では36℃以上とのことでしたが、山中は25℃で、気持ちよかったです。
体調、少しよくなり、今日はそれほど辛くはなりませんでした。
『幻影』5章を掲載します。
美奈が会社にタトゥーのことがばれ、辛い立場に追いやられます。
大阪市で職員のタトゥーのことが問題になっていますが、民間会社に勤めていた美奈も、タトゥーがばれて、外部とはいっさい関わらない部署に、配置換えをされてしまいます。
5
美奈は少しずつ仕事に慣れていった。指名客もだんだん増えていった。タトゥーを全面に出す、という店の戦略も当たった。タトゥーだけではなく、素人っぽい人擦れのなさも好感を持たれた。
美奈にあまり好意を持っていない先輩コンパニオンにいじめられることはあるが、仲のよい友人も何人かでき、その友人たちが美奈をかばってくれた。
二歳年上で、左の胸に蝶のタトゥーを入れているルミが最も気が合う友人だった。おとなしく口べたな美奈とは対照的に、明るくにぎやかな性格のルミは、まだコンパニオンになって一年足らずではあったが、美奈のよき相談相手になってくれた。
ルミは最近軽自動車から買い換えた、青いホンダフィットでドライブに行こう、とよく誘ってくれた。新しい車を運転することが、目下のルミの楽しみだった。ただ、美奈は平日はマルニシ商会に勤め、土日は店に出るので、なかなか時間を作れなかった。
美奈も店の仕事で遅くなり、最終の電車に間に合わなくなることが多いので、通勤用に赤いメタリック塗装のダイハツミラを買った。終電に乗り遅れる度に、玲奈やルミのマンションに泊めてもらうのは、気が引けた。もっともルミは美奈が泊まることを歓迎してくれたが。諸経費等合わせて三〇万円ほどで購入した、六年前の年式の、中古の軽自動車だ。貯金も徐々に増えてきて、もっといい車を買う余裕もあったが、それほど車にこだわりがない美奈にとっては、通勤用として、走りさえすればよかった。
ときどき、仕事後の深夜、ルミと車二台で夜のドライブに行くことがあった。そのとき、店の先輩のミドリ、ケイにも声をかけた。この三人が、美奈と特に仲がいい友人だった。
最近、マルニシ商会では、先輩たちから、「このごろ少しお化粧が派手になったのでは? 誰かいい人できたんじゃない?」とからかわれたりした。男性の社員からは、「君ってこんなに美人だったんか?」と言われ、少し嬉しい気もした。
コンパニオンとして、見かけも大切なので、美奈は玲奈から、自分の本来の良さを引き出す化粧の方法を学んだのだった。
しかし、美奈の変化に疑問を持つ向きも現れた。美奈としては、以前と変わらないように振る舞っているつもりだが、やはり無意識にも変化が出てしまうようだ。
会社では、最近鼻にピアスをしたことを批判された。
オアシスの先輩であるケイに勧められ、美奈は耳たぶへのピアスをしてみた。小さなリング状のものだった。
ケイは左右の耳にいくつもピアスを開けていた。耳の軟骨の部分にもピアスをしていた。そして、乳首やへそにもボディピアスがあった。
美奈はピアスにそれほど関心があるわけではないが、ケイが「それだけタトゥーが入っているから、当然ボディピアスにも興味を持っていると思ってた」と意外そうに言った。
タトゥー雑誌にもボディピアスの情報が多く、それではやってみようかな、という気持ちになった。それで、ケイの馴染みのピアス店に連れていってもらい、耳に穴を開けた。そのピアス店では、ピアスの穴開けだけではなく、タトゥーの施術もしていた。
しかし耳たぶだけでは収まらず、鼻にもピアスを開けてしまった。耳のピアスはもうファッションとして一般化しており、特に違和感がなかったが、左の小鼻に、赤いルビーのピアスをしたことが、美奈のキャラクターに合わない、と会社では批判されたのだ。
耳には一般的な耳たぶへのピアスだけではなく、トラガスという、耳珠(じじゅ)の軟骨部分へのピアスもした。これはリング状のものではなく、小さな宝石がついた棒状のものだった。耳へのピアスは、マルニシ商会でも、している女性社員は多いし、髪型を変えることによって隠せるので、それほど問題にはならなかった。
タトゥーが好きな美奈としては、同じ身体変工であるボディピアスにも興味を抱き、ケイと同じ場所、左右の乳首(ニップル)とへそ(ネーブル)にもピアスをしたのだが、こちらはふだん見えない部分なので、どうということはない。へそにピアスをするとき、美奈の下腹部のバラと蝶を見たピアッサーは、その見事さに目を見張った。
しかし鼻へのピアスは、目立ってしまった。ピアスを外すと、ホールが目立ち、それはかえってみっともなかった。ピアスを通す小さな穴とはいえ、メガネをかけていても、意外と目立つものだ。メガネの鼻当てやフレームでもホールは隠せなかった。
美奈はふだんは小鼻(ノストリル)のピアスは目立つ赤ではなく、無色のガラスのものに替えた。さらに会社への出勤時、肌色の絆創膏を小さく切り、ピアスの上に貼って、目立たなくした。
外見上のピアスだけでなく、やはり美奈の言動にも多少違和感を抱かれているようだ。
華やかではあるが、どろどろした風俗界の水に慣れて行くに従い、どうしても隠しきれない地というものが出てしまう。彼女は変わった、とよく噂された。
ただ、以前はどちらかといえば、野暮ったいイメージがつきまとっていた美奈だったが、化粧も洗練されて、生来の美しさが生かされてきたので、好意を持つ男性は多かった。
それに仕事は真面目にこなしているので、表面だっては特に問題は起こらなかった。
お金もかなり貯まってきて、背中一面に彫るには十分な余裕ができた。美奈は前に見せてもらった、騎龍観音の絵を思い出した。あの絵をぜひ自分の背中に背負ってみたい。
オアシスにも以前、背中一面に大きな和風の絵を彫っていたコンパニオンがいて、彼女もけっこう指名客がついていたという。それなら、私だって彫っても大丈夫だろう。
美奈はときどき、何人かの馴染みの客に、背中に観音様を彫ったらどう思う? と訊いてみた。美奈の常客の中には、堅気だが全身に彫っている人もいる。もうこれ以上増やさないほうがいい、という人もいたが、多くの人は肯定的だった。中には「もし君が恋人なら困るけど、単なるセックスフレンドなら、大歓迎。背中に彫ったら、ぜひバックから攻めたいね」と言った人もいた。
「恋人なら困るけど、か」
美奈は複雑な気分だった。
仕事でセックスはしても、本当の恋人はまだいない。将来結婚して、家庭を持って、子供も産んで。やはり女である以上、美奈も温かい家庭を築きたかった。そうした場合、タトゥーを彫ったことはどう影響するのかしら、と美奈は思う。しかし、それより、まず将来を誓い合える男性がいないことが寂しかった。でも、まだ二〇歳にもなっていないのだから、とあまり先のことは考えないようにした。
玲奈に背中にタトゥーを増やしたい、と相談したら、あまりいい顔をされなかった。せっかく今店でも上位を窺う人気が出てきたミクだから、しばらくはこのまま増やさないでほしい、と玲奈は言った。
六月になった。美奈が勤める事務用機器の商社は、衣替えとなった。男性は決まった制服はなく、長袖のカッターシャツを着ている人も珍しくはないが、事務の女性社員は私服ではなく、支給されるユニホームを着なくてはならない。今はまだそれほど暑くはなく、梅雨に入れば梅雨寒のときもあるので、長袖をそのまま着ていても、それほど不自然ではなかった。
しかし、かなり暑くなる日もある。省エネで六月中は冷房を控えることになっており、オフィスはけっこう暑いことがある。
そんなときでも、美奈は汗を拭きながらも長袖を着ている。やがて美奈はタトゥーを隠しているのではないか、という噂が立ち始めた。
実際、更衣室で、腕や太股の花を見た、という人も現れた。着替えのとき、人の気配がないかを十分気をつけているつもりでも、突然ドアが開く音がして、あわててタトゥーを隠したこともある。そのとき、隠しきれず、見られた可能性が高い。話は尾ひれがついて広がった。美奈はまずいと思った。いつまでとぼけていられるか。
やがて、噂を放ってはおけなくなり、美奈は直属の課長に呼び出された。
美奈は部長室に連れて行かれた。部屋には部長が待っていた。
「最近、君の腕に花の入れ墨がある、という噂を聞くが、どうなのかね」と課長が問い質した。部長は自分の席で、何も言わずに課長とのやりとりを聞いていた。
返事をできないでいると、「ちょっと腕をまくってみてくれないかね」と課長はたたみかけた。美奈は何も答えられず、じっと俯いていた。
「なぜ黙っているんだ? ちょっと腕まくりしてくれ、と頼んでいるだけだぞ。これぐらいなら、別にセクハラにはならんだろ。それとも入れ墨の件は本当かね」
「はい、事実です」
美奈はもう隠し続けるわけにもいかないと、とうとう観念して、左の二の腕の一部を見せた。赤い大輪の牡丹と、青系統のアゲハチョウの色の対比が鮮やかだった。その上の肩のあたりに彫ってある、黄色の牡丹までは見せなかった。
「反対の腕にもあるのかね」
「はい。色違いの牡丹の花が入っています」
「そうか。君は仕事もできるし、真面目なので、うちの課では必要な人材だが、残念だ」
「私はもうクビですか?」
美奈は最も気になっていることを尋ねた。
「入れ墨があるだけで解雇にはできん。今のところ、それで我が社が損害を被ったわけではないしな。ただ、うちが入れ墨がある社員を雇っている、と対外的に噂になるのもまずい。うちは役所や学校が主な取引相手だからな。今日はもう帰りなさい。上とも相談し、後日処分を連絡する」
今まで黙って成り行きを見守っていた部長が、美奈に告げた。
オフィスで帰り支度をしていると、いつも机を並べて、仲良く話をしている二年先輩の沙織が、心配そうに「どうだったの?」と訊いた。
「もう噂は知ってますよね。ごめんなさい、今まで隠していて」と言って、美奈は左の袖をまくって、沙織に牡丹を見せた。課の他の人たちもそれを見に集まってきた。
翌々日、自宅で待機していると、部長から電話がかかり、出社するよう命令された。解雇にはならなかったが、資料室への異動を命じられた。
経理を急遽監査してみたが、不正はまったくなかった。それで、解雇しなければならない大義名分は立たなかった。
資料室とは新聞、雑誌などから、社の役に立ちそうな資料を抜き出し、電子化して保存する仕事だった。インターネットなどの電子情報も対象だった。資料室なら、外部の人と接する機会もない。いわば閑職だ。給料もかなり低くなる。
上司より、〝入れ墨〟は他人の目に触れないよう、注意すること、また、今後昇進の可能性はない、自主退社は自由だ、その場合は規定の退職金は支給する、との通告があった。定年や結婚で退職するまで、資料室にずっといるか、それとも自主退職するかの選択だった。
美奈は退職しなかった。辞めようと思えば、いつでも辞められる。辞めなければならないときまで、勤務を続ける覚悟だった。ソープランドで副業をしていることは、秘密にしていた。
資料室には、もう一人年配の男性がいるだけだった。長田(おさだ)というこの六〇歳近い男は、最近資料に目を通すにも目が見にくいし、記事の電子化をするにも、パソコンの操作が、慣れたとはいえ、あまり得意ではないので、若いパソコンに詳しい人が来てくれて助かるよ、と喜んでいた。
長田は美奈のタトゥーのことを知っているはずなのに、いっさい触れないでいてくれた。
天気がよかったので、午前中、弥勒山に行きました。
テレビのニュースでは、名古屋は35℃、弥勒山のすぐ北側の多治見市では36℃以上とのことでしたが、山中は25℃で、気持ちよかったです。
体調、少しよくなり、今日はそれほど辛くはなりませんでした。
『幻影』5章を掲載します。
美奈が会社にタトゥーのことがばれ、辛い立場に追いやられます。
大阪市で職員のタトゥーのことが問題になっていますが、民間会社に勤めていた美奈も、タトゥーがばれて、外部とはいっさい関わらない部署に、配置換えをされてしまいます。
5
美奈は少しずつ仕事に慣れていった。指名客もだんだん増えていった。タトゥーを全面に出す、という店の戦略も当たった。タトゥーだけではなく、素人っぽい人擦れのなさも好感を持たれた。
美奈にあまり好意を持っていない先輩コンパニオンにいじめられることはあるが、仲のよい友人も何人かでき、その友人たちが美奈をかばってくれた。
二歳年上で、左の胸に蝶のタトゥーを入れているルミが最も気が合う友人だった。おとなしく口べたな美奈とは対照的に、明るくにぎやかな性格のルミは、まだコンパニオンになって一年足らずではあったが、美奈のよき相談相手になってくれた。
ルミは最近軽自動車から買い換えた、青いホンダフィットでドライブに行こう、とよく誘ってくれた。新しい車を運転することが、目下のルミの楽しみだった。ただ、美奈は平日はマルニシ商会に勤め、土日は店に出るので、なかなか時間を作れなかった。
美奈も店の仕事で遅くなり、最終の電車に間に合わなくなることが多いので、通勤用に赤いメタリック塗装のダイハツミラを買った。終電に乗り遅れる度に、玲奈やルミのマンションに泊めてもらうのは、気が引けた。もっともルミは美奈が泊まることを歓迎してくれたが。諸経費等合わせて三〇万円ほどで購入した、六年前の年式の、中古の軽自動車だ。貯金も徐々に増えてきて、もっといい車を買う余裕もあったが、それほど車にこだわりがない美奈にとっては、通勤用として、走りさえすればよかった。
ときどき、仕事後の深夜、ルミと車二台で夜のドライブに行くことがあった。そのとき、店の先輩のミドリ、ケイにも声をかけた。この三人が、美奈と特に仲がいい友人だった。
最近、マルニシ商会では、先輩たちから、「このごろ少しお化粧が派手になったのでは? 誰かいい人できたんじゃない?」とからかわれたりした。男性の社員からは、「君ってこんなに美人だったんか?」と言われ、少し嬉しい気もした。
コンパニオンとして、見かけも大切なので、美奈は玲奈から、自分の本来の良さを引き出す化粧の方法を学んだのだった。
しかし、美奈の変化に疑問を持つ向きも現れた。美奈としては、以前と変わらないように振る舞っているつもりだが、やはり無意識にも変化が出てしまうようだ。
会社では、最近鼻にピアスをしたことを批判された。
オアシスの先輩であるケイに勧められ、美奈は耳たぶへのピアスをしてみた。小さなリング状のものだった。
ケイは左右の耳にいくつもピアスを開けていた。耳の軟骨の部分にもピアスをしていた。そして、乳首やへそにもボディピアスがあった。
美奈はピアスにそれほど関心があるわけではないが、ケイが「それだけタトゥーが入っているから、当然ボディピアスにも興味を持っていると思ってた」と意外そうに言った。
タトゥー雑誌にもボディピアスの情報が多く、それではやってみようかな、という気持ちになった。それで、ケイの馴染みのピアス店に連れていってもらい、耳に穴を開けた。そのピアス店では、ピアスの穴開けだけではなく、タトゥーの施術もしていた。
しかし耳たぶだけでは収まらず、鼻にもピアスを開けてしまった。耳のピアスはもうファッションとして一般化しており、特に違和感がなかったが、左の小鼻に、赤いルビーのピアスをしたことが、美奈のキャラクターに合わない、と会社では批判されたのだ。
耳には一般的な耳たぶへのピアスだけではなく、トラガスという、耳珠(じじゅ)の軟骨部分へのピアスもした。これはリング状のものではなく、小さな宝石がついた棒状のものだった。耳へのピアスは、マルニシ商会でも、している女性社員は多いし、髪型を変えることによって隠せるので、それほど問題にはならなかった。
タトゥーが好きな美奈としては、同じ身体変工であるボディピアスにも興味を抱き、ケイと同じ場所、左右の乳首(ニップル)とへそ(ネーブル)にもピアスをしたのだが、こちらはふだん見えない部分なので、どうということはない。へそにピアスをするとき、美奈の下腹部のバラと蝶を見たピアッサーは、その見事さに目を見張った。
しかし鼻へのピアスは、目立ってしまった。ピアスを外すと、ホールが目立ち、それはかえってみっともなかった。ピアスを通す小さな穴とはいえ、メガネをかけていても、意外と目立つものだ。メガネの鼻当てやフレームでもホールは隠せなかった。
美奈はふだんは小鼻(ノストリル)のピアスは目立つ赤ではなく、無色のガラスのものに替えた。さらに会社への出勤時、肌色の絆創膏を小さく切り、ピアスの上に貼って、目立たなくした。
外見上のピアスだけでなく、やはり美奈の言動にも多少違和感を抱かれているようだ。
華やかではあるが、どろどろした風俗界の水に慣れて行くに従い、どうしても隠しきれない地というものが出てしまう。彼女は変わった、とよく噂された。
ただ、以前はどちらかといえば、野暮ったいイメージがつきまとっていた美奈だったが、化粧も洗練されて、生来の美しさが生かされてきたので、好意を持つ男性は多かった。
それに仕事は真面目にこなしているので、表面だっては特に問題は起こらなかった。
お金もかなり貯まってきて、背中一面に彫るには十分な余裕ができた。美奈は前に見せてもらった、騎龍観音の絵を思い出した。あの絵をぜひ自分の背中に背負ってみたい。
オアシスにも以前、背中一面に大きな和風の絵を彫っていたコンパニオンがいて、彼女もけっこう指名客がついていたという。それなら、私だって彫っても大丈夫だろう。
美奈はときどき、何人かの馴染みの客に、背中に観音様を彫ったらどう思う? と訊いてみた。美奈の常客の中には、堅気だが全身に彫っている人もいる。もうこれ以上増やさないほうがいい、という人もいたが、多くの人は肯定的だった。中には「もし君が恋人なら困るけど、単なるセックスフレンドなら、大歓迎。背中に彫ったら、ぜひバックから攻めたいね」と言った人もいた。
「恋人なら困るけど、か」
美奈は複雑な気分だった。
仕事でセックスはしても、本当の恋人はまだいない。将来結婚して、家庭を持って、子供も産んで。やはり女である以上、美奈も温かい家庭を築きたかった。そうした場合、タトゥーを彫ったことはどう影響するのかしら、と美奈は思う。しかし、それより、まず将来を誓い合える男性がいないことが寂しかった。でも、まだ二〇歳にもなっていないのだから、とあまり先のことは考えないようにした。
玲奈に背中にタトゥーを増やしたい、と相談したら、あまりいい顔をされなかった。せっかく今店でも上位を窺う人気が出てきたミクだから、しばらくはこのまま増やさないでほしい、と玲奈は言った。
六月になった。美奈が勤める事務用機器の商社は、衣替えとなった。男性は決まった制服はなく、長袖のカッターシャツを着ている人も珍しくはないが、事務の女性社員は私服ではなく、支給されるユニホームを着なくてはならない。今はまだそれほど暑くはなく、梅雨に入れば梅雨寒のときもあるので、長袖をそのまま着ていても、それほど不自然ではなかった。
しかし、かなり暑くなる日もある。省エネで六月中は冷房を控えることになっており、オフィスはけっこう暑いことがある。
そんなときでも、美奈は汗を拭きながらも長袖を着ている。やがて美奈はタトゥーを隠しているのではないか、という噂が立ち始めた。
実際、更衣室で、腕や太股の花を見た、という人も現れた。着替えのとき、人の気配がないかを十分気をつけているつもりでも、突然ドアが開く音がして、あわててタトゥーを隠したこともある。そのとき、隠しきれず、見られた可能性が高い。話は尾ひれがついて広がった。美奈はまずいと思った。いつまでとぼけていられるか。
やがて、噂を放ってはおけなくなり、美奈は直属の課長に呼び出された。
美奈は部長室に連れて行かれた。部屋には部長が待っていた。
「最近、君の腕に花の入れ墨がある、という噂を聞くが、どうなのかね」と課長が問い質した。部長は自分の席で、何も言わずに課長とのやりとりを聞いていた。
返事をできないでいると、「ちょっと腕をまくってみてくれないかね」と課長はたたみかけた。美奈は何も答えられず、じっと俯いていた。
「なぜ黙っているんだ? ちょっと腕まくりしてくれ、と頼んでいるだけだぞ。これぐらいなら、別にセクハラにはならんだろ。それとも入れ墨の件は本当かね」
「はい、事実です」
美奈はもう隠し続けるわけにもいかないと、とうとう観念して、左の二の腕の一部を見せた。赤い大輪の牡丹と、青系統のアゲハチョウの色の対比が鮮やかだった。その上の肩のあたりに彫ってある、黄色の牡丹までは見せなかった。
「反対の腕にもあるのかね」
「はい。色違いの牡丹の花が入っています」
「そうか。君は仕事もできるし、真面目なので、うちの課では必要な人材だが、残念だ」
「私はもうクビですか?」
美奈は最も気になっていることを尋ねた。
「入れ墨があるだけで解雇にはできん。今のところ、それで我が社が損害を被ったわけではないしな。ただ、うちが入れ墨がある社員を雇っている、と対外的に噂になるのもまずい。うちは役所や学校が主な取引相手だからな。今日はもう帰りなさい。上とも相談し、後日処分を連絡する」
今まで黙って成り行きを見守っていた部長が、美奈に告げた。
オフィスで帰り支度をしていると、いつも机を並べて、仲良く話をしている二年先輩の沙織が、心配そうに「どうだったの?」と訊いた。
「もう噂は知ってますよね。ごめんなさい、今まで隠していて」と言って、美奈は左の袖をまくって、沙織に牡丹を見せた。課の他の人たちもそれを見に集まってきた。
翌々日、自宅で待機していると、部長から電話がかかり、出社するよう命令された。解雇にはならなかったが、資料室への異動を命じられた。
経理を急遽監査してみたが、不正はまったくなかった。それで、解雇しなければならない大義名分は立たなかった。
資料室とは新聞、雑誌などから、社の役に立ちそうな資料を抜き出し、電子化して保存する仕事だった。インターネットなどの電子情報も対象だった。資料室なら、外部の人と接する機会もない。いわば閑職だ。給料もかなり低くなる。
上司より、〝入れ墨〟は他人の目に触れないよう、注意すること、また、今後昇進の可能性はない、自主退社は自由だ、その場合は規定の退職金は支給する、との通告があった。定年や結婚で退職するまで、資料室にずっといるか、それとも自主退職するかの選択だった。
美奈は退職しなかった。辞めようと思えば、いつでも辞められる。辞めなければならないときまで、勤務を続ける覚悟だった。ソープランドで副業をしていることは、秘密にしていた。
資料室には、もう一人年配の男性がいるだけだった。長田(おさだ)というこの六〇歳近い男は、最近資料に目を通すにも目が見にくいし、記事の電子化をするにも、パソコンの操作が、慣れたとはいえ、あまり得意ではないので、若いパソコンに詳しい人が来てくれて助かるよ、と喜んでいた。
長田は美奈のタトゥーのことを知っているはずなのに、いっさい触れないでいてくれた。