高校生のころ、深い内面的な世界にはいりました。
沈んでゆく太陽を黙って地平線に沈んでゆくのをじっとさいごまで眺めているのが、大好きでした。
お昼ご飯もわざと弁当をもたずに
椎の実をひろって、それを割ってたべてました。
学校で雑草をとる作業があれば、
先生に雑草にいのちがあるから
雑草のいのちをとれないと
良心的雑草取り拒否をしていました。
周りの人が、一体どんな気持ちで生きてるのか、知りたくて
いろんな人に質問をよくしてました。
ある日自転車で帰ってると道路のこうじで地下に穴を掘ってる人をみました。
自分は、自転車を停め、地下3mおりてゆきつるはしを振るってる男のひとに尋ねました。
(いま、どんな気持ちでつるはしをふるったのですか?)
聞かれたほうは、大迷惑だったとおもいます。
でもきいている自分は、真剣でした。
ひとは、なぜ生きてるんだろう
と。
そして、なぜ生きてるか考えないで回ってる社会が不思議に感じていました。
まだ、エホバの証人をしらないころです。
沈んでゆく太陽を黙って地平線に沈んでゆくのをじっとさいごまで眺めているのが、大好きでした。
お昼ご飯もわざと弁当をもたずに
椎の実をひろって、それを割ってたべてました。
学校で雑草をとる作業があれば、
先生に雑草にいのちがあるから
雑草のいのちをとれないと
良心的雑草取り拒否をしていました。
周りの人が、一体どんな気持ちで生きてるのか、知りたくて
いろんな人に質問をよくしてました。
ある日自転車で帰ってると道路のこうじで地下に穴を掘ってる人をみました。
自分は、自転車を停め、地下3mおりてゆきつるはしを振るってる男のひとに尋ねました。
(いま、どんな気持ちでつるはしをふるったのですか?)
聞かれたほうは、大迷惑だったとおもいます。
でもきいている自分は、真剣でした。
ひとは、なぜ生きてるんだろう
と。
そして、なぜ生きてるか考えないで回ってる社会が不思議に感じていました。
まだ、エホバの証人をしらないころです。