井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

熊本ば、ケーション、くまもっと

2018-10-10 21:21:52 | 旅行記
JRは熊本にも行ってもらうPRを怠らない。福岡の駅で見る「ば、ば、ば、」というポスターは、とりあえず目を惹く。


鹿児島と熊本のPRが多いことから、「新幹線に乗ってくれ」という裏のメッセージが読みとれる。

博多駅から普通電車で行けなくもない。2時間ちょっとだから、私が子供の頃に乗った急行「ぎんなん」とほぼ同じ所要時間だ。普通電車も、地味ながら速くなっている。

しかし、直通電車は全て廃止されてしまったから、JRの姿勢は「熊本へは新幹線で」ということだ。

当然かもしれないが、熊本市内には「ば、ば、」は一切なく、熊本駅の改札内で見納め。


同時に、奇妙なものも出迎えてくれる。



明らかにタケモトピアノ「もっともーっとたけもっと」のパロディー。

ユーモラスと言えなくはない。しかし、タケモトピアノのCMがかなりシュールなだけに、素直に受けとれない。そのとおーり……。

だが、改札を出れば、一転してくまモンの世界、と思いきや、そうでもないのだ。



金栗四三である。これは床面の写真。

流行の波を作って、そのまま東京オリンピックへという流れができますように。

ショスタコーヴィッチ:祝典序曲

2018-10-05 19:26:18 | オーケストラ

NHK-FMに「気楽にクラシック」という番組があって、イントロ当てクイズがある。

その300回記念で出題されたのがこの曲。正解した人のハガキが読まれるのだが、見事に全て「吹奏楽の思い出」。れっきとした管弦楽曲なのに、管弦楽曲として捉えている人がほぼ見当たらないという曲も、そうそう無いのではなかろうか。

何を隠そう、私のこの曲の思い出も吹奏楽がらみである。中学校のクラスで隣席の女子がパート譜を開いて眺めていたことがある。へぇ、と思いその作曲者名を見て釘付けになってしまった。

D.SHOSTAKOVICH

中一ではあるが、少なくともクラシック音楽の知識は周りの誰よりもあるつもりになっていた私にとって、衝撃の名前だった。

小学校の音楽室の年表に載っている現代ソ連の作曲家はプロコフィエフ、カバレフスキー、ショスタコーヴィチ。プロコフィエフは「ピーターと狼」、カバレフスキーは「道化師」を知っていたが、ショスタコーヴィチは1曲も知らなかった。

「先を越された・・・」

その悔しい思いが、吹奏楽部入部のきっかけの一つとなったのである。

マクドナルドのハンバーガーみたいな名前のドナルド・ハンスバーガーという人の編曲がすでにあちこちに出回っていて、これを演奏すれば大抵金賞、みたいな時代だった気がする。

そのあたりの吹奏楽曲とは一線を画した、さすがは大作曲家の作品、という私の評価は今でも変わらない。

ただしこの数年後、テレビで偶然、オーケストラの原曲が流れた時、戦慄が走った。

吹奏楽より断然良い!

基本的にオーケストラはテンポが速い。吹奏楽は演奏時間7分くらいの設定だが、オーケストラは5〜6分である。もう、何てカッコイイのか・・・。

それからLPやらCDやら、目につくと買ってしまい、聞かずに眺めて過ごしている。聴くと興奮して、他のことが手につかなくなるからだ。

にも関わらず、実演で聴く機会の少ないこと!

なぜか。

一つは、割に合わない。

5分の曲なのに、最後はバンダ(金管楽器の合奏隊)が必要だ。経費がかかるのである。別に省略してもいいと私は思うが、クラシック系の皆さんは得てしてそういうことを嫌う傾向がある。

では、続く曲にもバンダに出ていただいて、ショスタコーヴィチの交響曲第7番とかレスピーギの「ローマの松」をやるというアイディアもある。が、賑やかを通り越して「うるさい」プログラムになる。クラシック系の皆さんは得てしてこういうことも嫌う傾向にある。

そして、何よりも、この曲に価値を見出していないと思われる。ショスタコーヴィチは砂を舐めるような味のする音楽こそ価値があり、カルピスやオレンジジュースのような気軽に楽しめるものは本物では無いと思われているフシも感じる。

吹奏楽の皆さんは、あの7分に半年かけて練習するかもしれないが、プロオーケストラだと1時間かけるかどうか、くらいのものだ。確かにそれほどの価値はないかもしれない。

ショスタコーヴィチも「あ、作るの忘れてた」と、凡人からすれば恐ろしいほどの短時間で書いた曲。何かに書いてあったのだが、正確には覚えていない。確か本番1週間前をきっていて数時間だったか、1日だったかで作ったはずだ。

確かに、外見上の新味はない。 形式はバロックのフランス風序曲の形式がベース。チャイコフスキーの交響曲第5番終楽章を凝縮したようなソナタ形式と言っても良い。

第1主題は「《森の歌》でも使ったかもしれないけど、ま、いいか」的な音階の変形。第2主題は、最もポピュラーな「ソドレミ主題」。

そして、全体がショスタコーヴィチの典型リズム「タッタカタッタカ」で覆われている。

これなら書ける、とばかりに書いた作品である。

シニカルな「変な和音」も出てこない。

だから良いのだ、と言いたい。言わばモーツァルトのオペラの序曲みたいな位置付けだ。

それに、ここまで祝祭的な雰囲気を持つ曲は他に見当たらない。これも凄いことだと思う。

井財野としては見習いたい点ばかりである。まずは1日で序曲を仕上げてしまうことを目標に……。

大久保利通

2018-10-01 07:47:31 | 旅行記

鹿児島においては西郷隆盛が永遠のヒーローである。

明治維新以降、そのほかにも多くの薩摩藩士が活躍したはずだが、全く扱いが違うし、目にする機会も少ない。

それを象徴する存在が大久保利通。

鹿児島に行けば、一応銅像もある。しかし、鹿児島県民にはあまり人気がなく、県外に出ればさらに存在感は薄く……。

大久保利通の方が明治政府の中心にいたはずだが、最終的に西郷と敵味方になってしまったのが、人気のない理由かもしれない。

なんとなく「お気の毒に」と思っていた存在だったが、今年の大河ドラマに乗じて、ついに大久保利通の似顔絵が福岡のJR駅に登場。



ここでも西郷さんの方が一足先にデビューしたのではあるが、大久保利通単独の絵というのは、今まで見かけなかったと思う。

キャッチコピーも面白い。

〈なぜ大久保利通は幕末の動乱期にも常に冷静に物事を見通すことができたのか〉
【答えは鹿児島にある】

答えを見つけられた人は立派。