私が小学生の時、音楽室に貼ってある年表で、ショスタコビッチ等を覚えたことを以前の記事に書いた。
では、現在の小学校の音楽室には、どのような年表が貼ってあるか。
とある学校に行って、びっくり仰天。
ストラビンスキー《火の鳥》
プロコフィエフ《ピーターと狼》
山田耕筰、宮城道雄
このあたりは我々の時代から変わらない。
ガーシュイン《ラプソディー・イン・ブルー》
バーンスタイン《ウェストサイド物語》
このあたりが市民権を得た、という感じかな。
その伝でいけば、
リヒャルト・シュトラウス
ファリャ《三角帽子》
も、同様のことが言えるかもしれない。
しかし、あとは段々奇妙なラインナップになっていく。
ラベル《歌曲シェラザード》
は?《ボレロ》でも《ダフニスとクロエ》なくて……
この選者は歌ものがよほど好きなのか、マーラーは《大地の歌》、バルトークは《青ひげ公の城》、ショスタコビッチは《森の歌》になっている。
傑作ではあるけど、1曲挙げるとき、私なら選ばない。
極めつけの不可解は
黛敏郎《素数の比系列による正弦波の音楽》
黛先生はどう考えても代表作は《涅槃交響曲》でしょ。
それ以上に、中田喜直、團伊玖磨、武満徹を退けて黛敏郎とは、またユニークな見識である。
一般的には、ここに武満なのだと思う。しかし私の見解は、武満も三善晃も百年後には音楽史上にのみ残る作曲家になるのではないかと思っている。バロック時代のビーバーやロカテルリのような存在である。(両者とも音楽史上重要な足跡を残している。)
なので、武満が載らないことに関しては納得するのだが、他のラインナップは、やはりいただけない。
シュトックハウゼンではなくてメシアンでしょっ!
こういう年表を眺めながら育つ私のような子どももいるのだから、もっと考えて作成してほしいものだ。