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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

日本的なメロディーがなかなか作れない

2018-03-01 20:15:41 | 音楽
日本人に一番受けるのは「二六抜き短音階」、という結論は1983年、小泉文夫先生が最後の著作「歌謡曲の構造」の中で明らかにしている。

ドレミで言えば「レファソラド」、追分節やわらべ歌の音階、多分、誰でもこのレファソラドを行ったり来たりすれば、それらしい、日本風の旋律は簡単にできる。

問題はここからだ。

あまり考えずに旋律を作ると、2小節とか4小節の単位でまとまってしまう。
これは言ってみればドイツ的、日本的ではない。

日本の民謡を、便宜上2拍子でカウントすると、4小節とか8小節はまずない。6小節や7小節が多い。
これをドイツ的感覚で眺めれば、字余り、あるいは字足らず的に感じそうなのだが、もちろんそうは感じない。

ドイツ的と表現したが、例えばフランスはそのような均整感は弱く、何拍子だかわからない、ふわふわしたリズム感の民謡が目立つ。

イタリアも、あまり4とか8とかにあてはまらない感覚がある。民謡ではないけれど「フニクリフニクラ」は9小節単位、ヴィヴァルディの「春」の冒頭は3小節。

いずれの場合も不均整感は全くない。

しかし井財野はというと、プロポーションの良い6小節や7小節の旋律を、なかなか作りきらない。何故かドイツ的なものに染まってしまった我が身の腑甲斐無さを感じる今日この頃なのである。

怪獣のバラード

2018-02-24 09:11:06 | 音楽

知り合い達が「良い曲だ」と言い始めたので、私も便乗して……。

1980年代以降は、中学生用の合唱曲として定着していたと思う。
しかし、もともとはNHKの番組「ステージ101」のオリジナルソングとしてヤング101が歌っていたものだ。
なので、いわゆる「ポピュラー音楽」が教育用音楽にすんなり導入できた数少ない例だと思う。

なぜすんなり導入できたか。

一つは恋愛の歌ではないからだ。この曲が生まれた1970年代、世の中で作られる歌の9割以上が恋愛の歌だった。(それからすると現在は驚くほど恋愛の歌の比率が下がっている。)
恋愛の歌を合唱は、できない。

もう一つ、もともとが合唱曲だったからだ。これは大きい。やはり一人で歌うものと集団で歌うものは、共通する部分はあるものの、本来作りが違う。
良い歌だからといって、良い合唱曲にはならないのが普通だ。

この条件が重なって生まれた名曲なのだが、さらにこの背景にも注目したい。

「ステージ101」という音楽番組自体が、かなり手間ひまかかったものだったそうだ。
アメリカのとある番組がモデルだったらしいが、メインになる「ヤング101」は週4~5日NHKに通って、収録以外にも様々なトレーニングを受けていたという。

そして、アナウンサーよりもずっと高額の給料が支払われていた、との後日談も聞いたことがある。(この辺りは以前の記事にも書いたことがある。)

同じ時代の「8時だよ~」におけるドリフターズも、ジャンルは違えど同じような話が残っている。

やはり、手間ひまかければ良いものができるという、当たり前の結論が導きだされるのだが、現在のコンピューター時代、手間ひまかける「イメージ」自体がなくなりかけているのかもしれない。

そのことは心しておくべきだろう。

そだね。(今流行の北海道弁です。)


ラストエンペラーと戦メリ

2018-02-20 19:47:22 | 音楽
アイスダンスの村元・リード組が「桜」をテーマに演技していた。

使っていた音楽が坂本龍一作曲の映画音楽《ラストエンペラー》と《戦場のメリークリスマス》をつないだもの。

同じ作曲家の作品だから、とても自然につながっている…

というよりは、ほぼ同じモチーフでできている2曲。逆に区別がつきにくい。

後から作られた《ラストエンペラー》の音楽は、アカデミー賞を受賞している。

こんなのありかね?と思ってしまった。

先日、やはり坂本龍一作曲の《テクノポリス》をアコースティック楽器のみのアンサンブル(打楽器も使わず)で演奏したが、坂本龍一作品では《テクノポリス》が一番好きである。

オペラ《サダコと千羽鶴》

2018-02-07 20:51:00 | 音楽
原爆の話は聞くだけで胸が締め付けられるので、無意識に遠ざけているかもしれない。

それで「禎子の千羽鶴」という話があること自体、最近まで全く知らなかった。三省堂の英語の教科書にも掲載されているらしい。

それを含め国内で数十種類の本などがあり、諸外国でも数十カ国で翻訳されているそうだ。

中でもアメリカでエリノア・コアが「サダコと千羽鶴」という絵本を作ったのは有名で、アメリカとカナダの副読本になっているとのこと。

それをまたオペラ化した方がカナダにいらっしゃる。以前ヴァンクーヴァーの記事で少し触れた日系カナダ人作曲家のリタ上田さんである。そして、そこでも紹介したヴァンクーヴァー・インターカルチュラル・オーケストラの伴奏で歌われる、かなりユニークなモノ・オペラだ。

この短縮版を今年9月1日福岡で上演することになった。ソプラノ、サントゥール、ダンバウ(ベトナム)、ピパ(シナ琵琶)、箏、笙という珍しい編成で、私が指揮をする。

その直前にはアムステルダムで公演をしているが、日本では初演になる。

かく言う私もまだ実態がわかっていないのだが、まずは第一情報としてお知らせまで。

ポピュラー音楽は消滅しているかも

2017-12-24 09:21:22 | 音楽
小学校の先生になる人のための大学の授業「音楽科指導法」の教科書に「児童達はポピュラー音楽に強い親近感を抱いている」という記述があった。

そこで、受講している大学生に問うてみた。
「では皆さんは強い親近感を抱いていますか?」
手を挙げさせたら全体の1~2割程度。

そんなものかと一瞬思ったが、いや違う。全くわかっていない顔をしている。

「ポピュラー音楽って何だかわかる人は?」

今度は1割以下。
そうだよねぇ、この言葉を巷で聞かなくなって久しい。

「ポピュラー・ミュージックは言い方が少し長いので1960年代あたりからポップスという言い方に段々変わっていきました。ポップスならわかる人?」

ああ、J-PopsやK-Popsのあれか、と推測してくれるかと思ったけど、相変わらず1割以下。これは大変だ。

「ジャズを源流とする音楽の総称として、かつてポピュラー音楽というくくりがあったのです」
と、説明はしたものの、この呼び方は1980年代あたりで事実上終焉を迎えている。

恐らく教科書の執筆者はポピュラー音楽に親近感を持っていなくて、現実の認識がその時代で止まっているのではなかろうか。

だからといって、他にその手の音楽を総称する呼び方はないのである。
とは言え、世の中の方は総称する必要もなくなったから、必要としているのは音楽教育分野だけなのかもしれない。

しかし、児童達が親近感を持っているのはほぼJ-Pops、そしてヒップホップ系のものであって、ジャズやロックはクラシック音楽と同列であろうから、実際にはポピュラー音楽と総称する必要もない。

なので「児童達はJ-Pops等に強い親近感を抱いている」と書けばわかりやすい教科書だったのに、という結論に落ち着く。

いつの間にか時代は変わっている。30年間をいつの間にかと呼ぶ自分も相当なものだが。