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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

musician complet【完全なる音楽家】

2018-05-10 21:35:00 | 音楽
フランスには「ミュジシャン・コンプレ(完全なる音楽家)」の伝統があり、フランスの音楽家は最終的にはそこを目指すのを理想と考えている。

どういうことかというと、演奏と作曲ができる存在になる、ということだ。

ヴァイオリン界でも古くはヴィオッティ、クロイツェル、ロードに始まりエネスクやレイモン・ガロワ=モンブランなんて人もいる。

最後のR.G=モンブランを知っている人は少ないかもしれないが、管楽器界ではよく知られていて、クラリネットの作品は時々演奏されているのを見かける。そしてあの三善晃の師でもある。
でもヴァイオリニストである。私は学生時代、東京文化会館でリサイタルを聴いたのだから。

残念なのは、その時上記の事情を全く知らなかったこと。純粋にヴァイオリニストとして聴いたのである。

しかも、同じような時期に聴いたシェリング、ローザンド、メニューインなどの印象に圧されて、内容はさっぱり覚えていない。かえすがえすも残念。

続くフランスのヴァイオリニスト達に、ミュジシャン・コンプレは存在しているのだろうか。寡聞にして、全く知らないけど。

ストラヴィンスキーは大作曲家だった

2018-04-29 21:12:00 | 音楽
と、声を大にして言わなければならないほど、現在の評価は落ちているように思う。

とにかく演奏されなくなった。
三大バレエと呼ばれる《火の鳥》《ペトルーシュカ》《春の祭典》以外は非常に珍しくなった。

そんなの当然では、と思われそうだが、かすかに(?)私が生きていた1970年代は全くそうではなかった。

ストラヴィンスキーが亡くなったのは1970年だから、もう没後の話だ。とは言うものの、亡くなった直後でもあるが、《兵士の物語》や《プルチネルラ》だけではなく、《カルタ遊び》《詩篇交響曲》《3楽章の交響曲》《ラグタイム》や、何が面白いのかよくわからない《管楽八重奏曲》《木管楽器のための交響曲》なども盛んに演奏や録音がされていた。

タケミツもストラヴィンスキーに認められて日本を代表する作曲家になったし、118の質問に答えるという本が出版されるほど日本でもV.I.P.だった。

かつて日本のオーケストラは《春の祭典》が演奏できるというのがマイルストーンだったし、今よりは《ペトルーシュカ》も盛んに演奏されていたと思う。

まさかストラヴィンスキーに流行の波が襲いかかるとは思わなかった。プロコフィエフでさえ、その当時のロシアを代表する作曲家はストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ミヤスコフスキーと答えたほどだ。

現在では完全にプロコフィエフの方が上位にあるし、ショスタコーヴィチもストラヴィンスキーより上位ではなかろうか。

まあ、上位かどうかはどうでも良いことだが、ストラヴィンスキーの地位がかつてあれほど高く、現在それに比べてこれほど低くなるとは、当時は全く考えなかった。

そのうち、テレマンやレーガー並みの地位になるのだろうか。ご両人とも一世を風靡した作曲家である。三大バレエがあるから、そんなことにはならないと思うものの、時代の移り変わりに驚くばかりだ。

《赤とんぼ》はドイツの歌と言った人がいた

2018-03-17 14:57:00 | 音楽
《赤とんぼ》も、大昔、盗作論争があった。昭和30年代、中央公論誌上で、あの石原慎太郎氏と末広恭雄氏がそれぞれ論陣を張ったのを、10代の頃、祖父の家で読んだことがある。

石原氏曰く、ドイツに行った時、これが日本の代表的な歌だと《赤とんぼ》を歌ったら、ドイツ人達が「それはドイツの歌だ」と譲らなかったそうだ。そしてそのドイツ人が歌うと、なるほど細かな違いはあっても、大筋で同じだったらしい。
なので《赤とんぼ》はドイツの歌だと認めざるを得なかったという。ドイツ人に対しては「NOと言えない日本人」だったようだ。

迎え打ったのは末広先生、この方は東大農学部の教授なのに、童謡「秋の子」でも有名な作曲家。弘田龍太郎や山田耕筰に師事しているから立派な音楽家だ。
そして師匠に代わって反論するのだ。

結論は、その後、末広氏の著書に再掲されていたと思うが、しり切れとんぼだったように記憶している。

しかしすごいのは、これが山田耕筰存命中の出来事だったこと。
本人からのコメントが一切なかったようだ。

山田先生、ちょっとそういう「ズルい」ところがあるかも、と思う。

しかし、もし万が一ドイツの歌であっても、5~6小節めの低音進行はドイツ製ではないだろう。そのオリジナリティがあれば、名曲の条件として十分だと筆者は考える。

21世紀に遺したい歌

2018-03-14 08:23:11 | 音楽
以前も何回か取りあげたことがあるアンケートで、約20年前、20世紀が終わろうとする時にNHKが行ったものである。
タイトルはうろ覚えなので、少し違うかもしれない。

各都道府県別に3位まで結果が出ていて、なかなか興味深いものだった。

が、鹿児島以北は大同小異というところ。

全く違うのは沖縄県で《芭蕉布》《えんどうの花》《安里屋ユンタ》だったと思う。

そして、全国のベスト3は……

その結果に私は失望したので、覚えていない。

《ふるさと》と《赤とんぼ》が入っていたように思う。

筆者自身は《赤とんぼ》を名曲だと思っている。特に5~6小節めの低音進行はたまらない魅力を感じる。

筆者の「名曲基準」は歌って良し、楽器で奏でて良し、つまり器楽曲としても成立するもの。

その昔「恋は水色」というフランスの歌があったが、世界中で流れたのはポール・モーリアのオーケストラであって、歌ではない。こういうのが名曲だ。

なので《赤とんぼ》は名曲だと思っている。

ドレミを選んだ日本人は西洋人?

2018-03-10 19:41:06 | 音楽
井財野が日本的なメロディーを作れないと、前々回の記事で書いたが、文部省唱歌だって負けてない。
「ふるさと」はイギリス国家によく似ているし、「春がきた」によく似た部分がトランペットの名曲「トランペット・ヴォランタリー」に出てくる。

どうしてこんな非日本的な歌で日本人を教育するのか!と、やや怒りを感じていたのだが、かなり誤解していることに気づかされた。

再び千葉優子著「ドレミを選んだ日本人」だが、これら明治時代に作られた唱歌の数々は、日本人にも西洋的な「音楽」の感覚を何とか植え付けようと、苦心惨憺の結果の産物だったようだ。それらの唱歌が非日本的なのは当たり前、逆に何とか西洋的なものを日本人に馴染ませるためのものだったのである。

約500年前の日本人の感覚の記述が同書にある。
宣教師フロイスの「日本覚書」に……

「われらにおいては、クラヴォ、ヴィオラ、フラウタ、オルガン、チャルメラなどのメロディはきわめて快い。日本人にとってはわれらのすべての楽器は、不快であり嫌悪される。我々のカント・ドルガンの音楽の協和音とハーモニーを重んじるが、日本人はそれをカシマシとみなし、まったく好まない。」

ヴァリニャーノの「日本諸事要録」には……

「我等の声楽や器楽は、通常彼等の耳には煩わしく聞こえ、彼等自身の音楽を極端に愛好するが、それは我等の耳にはまったく苦痛であり……」

この状況からいくつもの過程を経て、その最後の仕上げとばかりに文部省唱歌が登場したようだ。

結果、私達日本人は西洋人と同等の感覚を持つに至った。多分、上述の宣教師と同じような感覚を持つ日本人、かなり多いと思うし、そこまではっきり西洋人と同等でなくとも、500年前の日本人と同じ感覚を持つ現代日本人は皆無に近いのではなかろうか。

明治時代の先人達が頑張ってくれたおかげで、今日の我々がある。

どうもありがとう。

感謝の気持ちはある、しかし、これでいいのか、どこかしっくりこない。