軍歌: ♪青年日本の歌(昭和維新の歌) 歌:beni9jyaku(紅孔雀)
最初はクラシック音楽の動画を貼りつけようとしていたが、この曲にたどりついた。
ためしに聴いてみたが、歌詞が心を打つ。最初に出てくるのは古代中国春秋の「屈原」のことである。
「屈原」は忠臣で、王に国が他国に懐柔されるので気をつけるように忠告したが、王は聴き入れず、
屈原は悲観し、湖に身を投げる。屈原を慕う人々は、魚に食べられることがないように、「ちまき」を投げ入れた。
屈原の命日は5月5日であった・・・。
<参考>
楚辞から屈原作「漁父」(壺齋散人注)
屈原既放 屈原既に放たれて
遊於江潭 江潭に遊び
行吟澤畔 行くゆく澤畔に吟ず
顏色憔悴 顏色憔悴し
形容枯槁 形容枯槁す
漁父見而問之曰 漁父見て之に問ひて曰く
子非三閭大夫與 子は三閭大夫に非ずや
何故至於斯 何の故に斯(ここ)に至るやと
屈原既に放逐されて、川の淵に遊び、行く行く沢のほとりに吟ず、顔色はやつれ、
姿かたちは骨と皮、漁夫これを見て問うていうには、子は三閭大夫ではござらぬか、
何故かかる目にお会いになられたかと、
屈原曰 屈原曰く
舉世皆濁 世を舉げて皆濁り
我獨清 我獨り清めり
衆人皆醉 衆人皆醉ひ
我獨醒 我獨り醒めたり
是以見放 是を以て放たると
屈原曰く、世を舉げて皆濁り、自分ひとりだけが清んでいる、
衆人は皆酔い、自分ひとりだけが醒めている、だから放逐されたのだと、
漁父曰 漁父曰く
聖人不凝滯於物 聖人は物に凝滯せずして
而能與世推移 能く世と推移す
世人皆濁 世人皆濁らば
何不其泥而揚其波 何ぞ其の泥を濁(にご)して其の波を揚げざる
衆人皆醉 衆人皆醉はば
何不餔其糟 何ぞ其の糟を餔(くら)ひて
而啜其麗 其の麗(り)を啜(すす)らざる
何故深思高舉 何の故に深く思ひ高く舉がりて
自令放為 自ら放たれしむるを為すと
漁父曰く、聖人は物にこだわらず、時流に沿って推し移る、
世人が皆濁っているなら、なぜ自分もその泥を濁して濁流をあげないのか、
衆人が皆酔っているなら、なぜ自分もその糟を食らって、その汁をすすらないのか、
なぜ深く思い高く身を持して、自ら放逐される種を播いたのかと
屈原曰 屈原曰く
吾聞之 吾之を聞く
新沐者必彈冠 新たに沐する者は必ず冠を彈き
新浴者必振衣 新たに浴する者は必ず衣を振るふ
安能以身之察察 安んぞ能く身の察察たるを以て
受物之文文者乎 物の文文(もんもん)たる者を受けんや
屈原曰く、自分は聞いたことがある、新たに髪を洗うものは必ず冠の塵をはたき、
新たに水浴するものは必ず衣のよごれを払うという、
どうしてこの潔白な身をもって、汚れたものにまみれることができようぞ、
寧赴湘流 寧ろ湘流に赴きて
葬於江魚之腹中 江魚の腹中に葬らるるとも
安能以皓皓之白 安んぞ能く皓皓の白を以て
而蒙世俗之塵埃乎 世俗の塵埃を蒙むらんやと
むしろ湘流に赴いて、江魚の腹中に葬らるるとも、
この真っ白い身に、世俗の塵埃をこうむることなどどうしてできようかと、
漁父莞爾而笑 漁父莞爾として笑ひ
鼓而去 (えい)を鼓して去り
乃歌曰 乃ち歌ひて曰く
滄浪之水清兮 滄浪の水清(す)まば
可以濯吾纓 以て吾が纓を濯(あら)ふべし
滄浪之水濁兮 滄浪の水濁らば
可以濯吾足 以て吾が足を濯ふべし
遂去不復與言 遂に去って復た與(とも)に言はず
漁父はにっこりと笑い、船端を叩いて去り、このように歌った、
滄浪の水清まば、我が冠の紐を洗うがよい、滄浪の水濁らば、我が足を洗えばよいと、
遂に去って再び言葉を交わすことはなかった
これを石原氏は示したそうだ。・・・(ここから書くことは想像も含めているので間違っているかも知れない。)
そしてイッキに「憲法改正」へと進むそうで、「憲法改正」に比べるとすべてが「小異」となるそうだ。
「憲法改正」のために総てを捨ててしまう、反対していた「TPP」も「道州制」も、賛成に回った。
これは全国民の命運をかけたものだ。
「たち日」がプライドも何も捨てて邁進するというのは、これがあったからか・・・。
これで西村眞悟氏が「祖国の為に」とメルマガを書いた意味がわかった。
石原さんは一日たりとも三島由紀夫を思わぬ日はなかった・・・って。
最初はクラシック音楽の動画を貼りつけようとしていたが、この曲にたどりついた。
ためしに聴いてみたが、歌詞が心を打つ。最初に出てくるのは古代中国春秋の「屈原」のことである。
「屈原」は忠臣で、王に国が他国に懐柔されるので気をつけるように忠告したが、王は聴き入れず、
屈原は悲観し、湖に身を投げる。屈原を慕う人々は、魚に食べられることがないように、「ちまき」を投げ入れた。
屈原の命日は5月5日であった・・・。
<参考>
楚辞から屈原作「漁父」(壺齋散人注)
屈原既放 屈原既に放たれて
遊於江潭 江潭に遊び
行吟澤畔 行くゆく澤畔に吟ず
顏色憔悴 顏色憔悴し
形容枯槁 形容枯槁す
漁父見而問之曰 漁父見て之に問ひて曰く
子非三閭大夫與 子は三閭大夫に非ずや
何故至於斯 何の故に斯(ここ)に至るやと
屈原既に放逐されて、川の淵に遊び、行く行く沢のほとりに吟ず、顔色はやつれ、
姿かたちは骨と皮、漁夫これを見て問うていうには、子は三閭大夫ではござらぬか、
何故かかる目にお会いになられたかと、
屈原曰 屈原曰く
舉世皆濁 世を舉げて皆濁り
我獨清 我獨り清めり
衆人皆醉 衆人皆醉ひ
我獨醒 我獨り醒めたり
是以見放 是を以て放たると
屈原曰く、世を舉げて皆濁り、自分ひとりだけが清んでいる、
衆人は皆酔い、自分ひとりだけが醒めている、だから放逐されたのだと、
漁父曰 漁父曰く
聖人不凝滯於物 聖人は物に凝滯せずして
而能與世推移 能く世と推移す
世人皆濁 世人皆濁らば
何不其泥而揚其波 何ぞ其の泥を濁(にご)して其の波を揚げざる
衆人皆醉 衆人皆醉はば
何不餔其糟 何ぞ其の糟を餔(くら)ひて
而啜其麗 其の麗(り)を啜(すす)らざる
何故深思高舉 何の故に深く思ひ高く舉がりて
自令放為 自ら放たれしむるを為すと
漁父曰く、聖人は物にこだわらず、時流に沿って推し移る、
世人が皆濁っているなら、なぜ自分もその泥を濁して濁流をあげないのか、
衆人が皆酔っているなら、なぜ自分もその糟を食らって、その汁をすすらないのか、
なぜ深く思い高く身を持して、自ら放逐される種を播いたのかと
屈原曰 屈原曰く
吾聞之 吾之を聞く
新沐者必彈冠 新たに沐する者は必ず冠を彈き
新浴者必振衣 新たに浴する者は必ず衣を振るふ
安能以身之察察 安んぞ能く身の察察たるを以て
受物之文文者乎 物の文文(もんもん)たる者を受けんや
屈原曰く、自分は聞いたことがある、新たに髪を洗うものは必ず冠の塵をはたき、
新たに水浴するものは必ず衣のよごれを払うという、
どうしてこの潔白な身をもって、汚れたものにまみれることができようぞ、
寧赴湘流 寧ろ湘流に赴きて
葬於江魚之腹中 江魚の腹中に葬らるるとも
安能以皓皓之白 安んぞ能く皓皓の白を以て
而蒙世俗之塵埃乎 世俗の塵埃を蒙むらんやと
むしろ湘流に赴いて、江魚の腹中に葬らるるとも、
この真っ白い身に、世俗の塵埃をこうむることなどどうしてできようかと、
漁父莞爾而笑 漁父莞爾として笑ひ
鼓而去 (えい)を鼓して去り
乃歌曰 乃ち歌ひて曰く
滄浪之水清兮 滄浪の水清(す)まば
可以濯吾纓 以て吾が纓を濯(あら)ふべし
滄浪之水濁兮 滄浪の水濁らば
可以濯吾足 以て吾が足を濯ふべし
遂去不復與言 遂に去って復た與(とも)に言はず
漁父はにっこりと笑い、船端を叩いて去り、このように歌った、
滄浪の水清まば、我が冠の紐を洗うがよい、滄浪の水濁らば、我が足を洗えばよいと、
遂に去って再び言葉を交わすことはなかった
これを石原氏は示したそうだ。・・・(ここから書くことは想像も含めているので間違っているかも知れない。)
そしてイッキに「憲法改正」へと進むそうで、「憲法改正」に比べるとすべてが「小異」となるそうだ。
「憲法改正」のために総てを捨ててしまう、反対していた「TPP」も「道州制」も、賛成に回った。
これは全国民の命運をかけたものだ。
「たち日」がプライドも何も捨てて邁進するというのは、これがあったからか・・・。
これで西村眞悟氏が「祖国の為に」とメルマガを書いた意味がわかった。
石原さんは一日たりとも三島由紀夫を思わぬ日はなかった・・・って。