「蝶々夫人」(イタリアではマダマ・ブッテルフライ)は何度も聴いてきた有名なオペラで、日本人歌手では砂原美智子、また大学での恩師で「夕鶴」を得意としてきた伊藤京子先生、イタリア・オペラではミエッタ・シーゲレ、テレビでは数限りないほどの蝶々さんを聴いてきました。
1958年、ミトロプーロス指揮のメトロポリタンでの上演、ステッラの蝶々さん、ロッジェーロのスズキ、フェルナンディのピンカートンで鑑賞。
もう最初から違うじゃありませんか。情熱いっぱいの蝶々さん、声を全部出し切って「演劇的」ともいえる迫力、まるで「アイーダ」を歌うようなドラマティックな声で、魂の燃焼の歌唱、こんな蝶々さんはじめてです!
一生懸命で愛らしく、聴いていて可哀想で可哀想で・・・いたたまれない気持ち。
ピンカートンに騙されているのに、けなげに生きる女性であり、悲しい母であり・・・。
ミトロプーロスの指揮も最高にメリハリがきいていて引き込まれます。
メットのオケを存分に鳴らしています。そして弦がしなやかに歌っている。
可哀想過ぎます。あまりにも哀れで・・・メットの客席も涙で聴いていた、ということです。
まっすぐに表現していて「直球勝負」のステッラ、それが悲劇をよけいに色濃く感じさせます。
プッチーニはもうこのトシでは・・・と思っていましたが、ハッとさせます。
純情一路なかよわい女性というより、愛情と誠意のかたまり、暖かさのあふれる声と表現が・・・切なく哀しく・・。
また男性ファンは胸をしめつけられるような、抱きしめたくなるような魅力ではないでしょうか。
写真を見ても大変美しい蝶々さん、そしてあふれるばかりの豊かな声、DVDで見たいです。メットは記録しているはず・・・。
豊かで暖かな声、ベルベットボイスに生クリーム、という感じ・・・。
これがイタリア声、生粋の美声です。そして読みの深いこと。
文学的な・・・いろいろ説明するより、ワンフレーズでも聴けばわかります。
もう他の蝶々さんは問題になりません、たとえテバルディの大地のごとき声、
カラスの多彩な音色と鋭い感性をもってしても、この純粋な暖かい情熱の声の前には、もはや比べるなんてことはできません。
テノールのフェルナンディ、泣きを入れて「さらば愛の家」を歌っています。
このころ、やはりジーリの「張り裂けんばかり」の影響かしら・・・。
ああ、これがベルゴンツイだったら・・・。

1958年、ミトロプーロス指揮のメトロポリタンでの上演、ステッラの蝶々さん、ロッジェーロのスズキ、フェルナンディのピンカートンで鑑賞。
もう最初から違うじゃありませんか。情熱いっぱいの蝶々さん、声を全部出し切って「演劇的」ともいえる迫力、まるで「アイーダ」を歌うようなドラマティックな声で、魂の燃焼の歌唱、こんな蝶々さんはじめてです!
一生懸命で愛らしく、聴いていて可哀想で可哀想で・・・いたたまれない気持ち。
ピンカートンに騙されているのに、けなげに生きる女性であり、悲しい母であり・・・。
ミトロプーロスの指揮も最高にメリハリがきいていて引き込まれます。
メットのオケを存分に鳴らしています。そして弦がしなやかに歌っている。
可哀想過ぎます。あまりにも哀れで・・・メットの客席も涙で聴いていた、ということです。
まっすぐに表現していて「直球勝負」のステッラ、それが悲劇をよけいに色濃く感じさせます。
プッチーニはもうこのトシでは・・・と思っていましたが、ハッとさせます。
純情一路なかよわい女性というより、愛情と誠意のかたまり、暖かさのあふれる声と表現が・・・切なく哀しく・・。
また男性ファンは胸をしめつけられるような、抱きしめたくなるような魅力ではないでしょうか。
写真を見ても大変美しい蝶々さん、そしてあふれるばかりの豊かな声、DVDで見たいです。メットは記録しているはず・・・。
豊かで暖かな声、ベルベットボイスに生クリーム、という感じ・・・。
これがイタリア声、生粋の美声です。そして読みの深いこと。
文学的な・・・いろいろ説明するより、ワンフレーズでも聴けばわかります。
もう他の蝶々さんは問題になりません、たとえテバルディの大地のごとき声、
カラスの多彩な音色と鋭い感性をもってしても、この純粋な暖かい情熱の声の前には、もはや比べるなんてことはできません。
テノールのフェルナンディ、泣きを入れて「さらば愛の家」を歌っています。
このころ、やはりジーリの「張り裂けんばかり」の影響かしら・・・。
ああ、これがベルゴンツイだったら・・・。


