教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

不動産物件ラピュタに移住したい

2010-04-30 00:00:35 | オタネタ全般
ラピュタって何だろうか。
無論、天空の城ラピュタに登場する不動産物件ラピュタのことだ。

“メゾン・ド・ラピュタ” とか “ラピュタ高輪台” とか書くとホントに不動産物件っぽくなるな。
まあ、それはいいとして。

我らがヒーローたるムスカ大佐によると
「ラピュタはかつて、恐るべき科学力で天空にあり、全地上を支配した恐怖の帝国だったのだ」
との解説がなされている。

あながち間違いではない。
というか、最も的確な答えであろうとすら思う。

しかし、これだけでは説明のつかないところもある。
ラピュタのあの居住空間としての快適さを追求したところだ。
あの構造は軍事的な有用性を最優先して作ったとは考えがたい。

まず、上半分はふつうに人が住めるようなっぽい構造になっている。
最上階のドームは室内庭園になっていることから、これはかなりの高級住宅街だったであろうと推測される。

さらに、都市空間の中に池が作られている。
パズーが覗いて驚いていたところだ。

わたしの推測では、あれは勝手に水がたまってできたものではない。
人の居住スペースを水も漏れないほど密閉して作るというのも考えにくい。

毒ガス攻撃や放射能汚染をも想定した先見性のある構造というのなら話は別だが・・・。
ムスカ大佐いわく恐るべき科学力を持ったという都市国家ラピュタ同士の全面戦争が起こりうるとされ、それに具えた構造だというところまで仮定をたてるならそれもなりたつが・・・。
まあその線は飛躍しすぎなので置いておこうか。

では何かというと・・・。
恐らく、都市空間側から水の中を観賞したりダイビングして遊んだりするための構造だろうと考えるが、どうだろうか。
現代風にでも言うなら、高級マンションの共有スペースに住人専用の水族館があるようなものか。
ドバイだったらマジにありそうだな(笑)。



さて、この不動産物件ラピュタを見た人はどう思うだろうか。

シータはラピュタが入居率0%となっているのを見て
「土から離れては生きられないのよ」
と答えた。

キホン的にジブリは説教臭いのが好きな傾向があるので、これがジブリの公式見解にかなり近いと考えて良いだろう。
「土に根をおろし、風と共に生きよう
 種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう」
そう説きたいのだろう。

しかし!

ここであえて反論してみる。
土から離れて生きるのがある種の理想であると。



まず、先に解説したラピュタの構造をもう1度考え直してみる。

あの構造はどう見ても地上にある自然を再現したとしか思えない構造になっている。
わざわざ空中にいるのにだ。

なぜこんな構造をとったのか。
空中で地上を再現しなくても、単に地上に住めばいいではないか。
なんというムダなことをしているのか。

実はわたしはこれを説明するための1つの仮説を持っている。

あのラピュタの構造は、地上にない楽園を作ろうとしたものではないかと思うのだ。
地上ではないところに地上を模した地上以上のものを作り上げようとしたのだと思うのだ。

先に説明したように、デザイナーズ物件ラピュタの設計コンセプトは「自然」である。
現代日本においては「自然」というと「環境にやさしい」とか「癒し」とか「調和」だとかいうプラスイメージが強いが、実はこれは偏った解釈でしかない。
ホンモノの「自然」というのは人間が暮らすにはあまりにも過酷すぎる。
人間は自然の過酷な環境で生活したくないからこそ文明を発展させ、そして多くの死や飢えの問題を克服してきたのだ。
家を買うときには日当たりのいい物件が欲しいとか言っておきながら、いざ生活してみると自分が直射日光にさらされるのはイヤだからめったに日の光は浴びやしない、・・・なんてのも自然の解釈が偏っていることの良い例である。

ではどうだろう。
自然にはあまり係りたくない。
だから自然の真っ只中という環境だけは排除したい。
だからといって自然を完全排除してしまうとどうなるか。

そうなると逆に自然のプラスイメージ側である「癒し」とか「調和」だとかいうモノが恋しくなる。
だからマンションのベランダで植物を育てるような本末転倒的なことをする人が現れるのだ。
自然の完全排除というのもベスト解にはなりえないということだ。

ではベスト解とは何か。

人間の手で高度に管理された人工的に再現した自然。
それがラピュタ設計者の答えなのだ。
人間の手で管理しているという時点で、もはや既に自然のような何かでしかないわけだが、そのコンセプトは十分に達成できたと言えるだろう。

シータが言うように、人間は土から離れては生きられないから、それに違反したラピュタの滅びが必然だったという解釈は必ずしも正しいとは限らない。
ラピュタは理想郷の追求のため、あえてそういった構造をとっていたのではないかとすら思えるのだ。



この世に普遍的に存在するものは全て、良い面と悪い面を持っている。
だから良い面だけを取り出すために、人工的にそれを再現する。

自然というものに対してそれを行ったものがラピュタ。
ラピュタの生活というのはかなりいい線いっていたのではないだろうか。

しかし、ラピュタは理想に近いとはいえ、それは真の理想ではない。
ホンモノの自然というものに憧れるヤツも中にはいるかもしれない。
それがシータやムスカの祖先であり、最初に地上に戻ってきた世代だと思うのだ。

きっと彼らは苦労したろう。
あまりの農作業の過酷さに驚いたろう。
冬の寒さや不作の飢えに苦しんだろう。
はじめに掲げた理想論を悔いたろう。

ムスカの家系はいつかラピュタに戻ることを夢見ていた。
それは無関係なことではないかもしれない。

わたしもラピュタに移住したいと思うのだから、彼らの気持ちは良く解るのだ。


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