教団「二次元愛」

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【レビュー】嫌われる勇気 ― 自己啓発の源流「アドラー」の教え

2016-05-15 21:21:23 | 経済/経済/社会


https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784478025819

嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎/古賀 史健【著】
価格 \1,620(本体\1,500)
ダイヤモンド社(2013/12発売)



この本、タイトルが世俗的すぎるので当初スルーしていたのだが、心理学に深い知見のある知り合いの推奨本なので読んでみた。

この本には衝撃を受けただとかいう意見は多く、あとがきにも

> 翌朝から景色を一変させてしまうような出会い

とまで書かれている。

だがわたしにとってはそうではなかった。

なぜか?

前から6割くらいまでのところは我輩がすでに無意識にやっていることだったからだ。



この本の言わんとするところは
「人生ゴキゲンに過ごすにはどうすればいいか?」
という問いに対し、
「人の顔色をうかがいながら自分の本心に背いて他人の期待を満たすために生きるのをやめろ」
ということであり、
「上から目線で人におしつけるのもやめろ」
ということだ。

この本のどこかに
「就職先に図書館司書を選んだところ、父親に家業の印刷所をつがないと親子の縁を切ると言われた」
といって思い悩む青年(=一般人代表)が出てくる。

我輩にしてみればそんなこと思い悩むようなテーマではない。
「よしわかった。親子の縁を切ろう」
で即答して終わりである。
就職先では親と対立したことはないが、似たようなことを実際に言ったことがある。
(ずっとお読みくださっている常連読者のかたの中には何の話かわかる人はいるかもしれないがw)

さらにいえば、図書館司書が反社会勢力なわけでもあるまし、そんなことで親子の縁を切るとまでおどかしていう事をきかせようとする親もどうかしてるというところだ。

そしてこの本のタイトルにあるアドラーの見解もしかりである。

我輩としては、「そのようなおどしには屈しない」ではなく「そのようなおどしを無効化する属性を備えている」という感覚である。
我輩にしてみればそんなこと当然だということだが、しかしながら衝撃を受けただとかいう意見はなぜか多い。
世間の人々はなんと窮屈な人生を送っているのかとお察しいたしまするというところだ。



では、なぜふつうの人はこのようなことで思い悩むのか?

この本によると、それは賞罰教育によるものであるとしている。
ようは、親や先生に褒められるから勉強する、だから人の顔色をうかがって生きる人間に育つ、というものだ。

では我輩はどうだったのか?

中学校はアドラーでいうところの賞罰教育の典型的にガッカリな教育であった。
だが中学校の教員自体が尊敬できない人間であったために、そういう人間から褒められようとして何かをするというインセンティブが働いていなかった。

高校は私立のぼっちゃん学校であった。
自分たちの幸せをつかむために勉強しろ、勉強したくないやつはそれでもかまわん後で後悔しろ、そんな賞罰教育とは対極に位置する教育方針で育てられた。

祖父や祖母は「うちの孫はどこの大学へ行った」なんて自慢して歩いてまわりの老人の嫉妬心をあおりまくるような感じではあったが、
親は親で、よくできてもうちの子ならそれくらいできて当然、できなくても大学行きたくなければかまわんから高校くらいは出ておけ、それくらいのものだった。

そういう意味では、めぐまれた環境とはお世辞でも言いたくないような時期は一部ありはしたが、アドラー心理学の見解に自分で到達できるような下地はあったように思われる。



わたしのようになりたいと思う人はいないかもしれない。
だが、今の人生が窮屈で、もっとゴキゲンに生きたいと思うなら、この本を読めばいいかもしれない。
そして今ゴキゲンな人は読んでも無駄である。


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