ソードアート・オンライン第15話「帰還」。
辛かった。
途中で我輩の精神を蝕まれて見るのをやめようかとすら思った。
でも見た。
でなければ、ここで見るのをやめてしまえば、わたしの中ではアスナは永遠にあのままになってしまうからだ。
見るのは辛い。
見ないのもまた辛い。
この世界は呪われている。
いや、この世界を呪っているのは我々だ。
こんな世界に帰還したくなかった。
こんな気持ちはいつ以来だろうか・・・。
冒険活劇の構造は、神話の時代からずっと変わらない。
悪い男を倒して、良い女を助ける。
それこそが冒険活劇であり、ダンジョンのボスを倒してアスナを助けるのがソードアート・オンラインだ。
だが。
このところ、ほんのわずかだがそれに変化が訪れている。
それは、悪い男の定義についてである。
冒険活劇における悪い男とは何か?
武力を行使することをためらわず、
相手を陥れることを躊躇せず、
女に意地悪で、
誰からも疎まれる、
強大で、強い、ぶさいくなおっさん。
それが悪役だ。
付け加えるならば、昔ながらの。
しかし!
最近の物語における悪い男とはどんなだ?
武力の行使は秘密裏に周到に準備して最小限かつ効果的に行い、
相手を陥れることを躊躇しないことは同様だが、
意外なことに女に対しては主人公より紳士的に振る舞い、
コミュ力が非常に高く周りの人間を見方につけており、
見た目はやさおとこだが金融系ビジネスマン風のエリートで年上のイケメン。
それが今の悪役だ。
第15話において我々の精神を蝕みかけるほどにまで悪事をはたらいたあの男もそうだし、
アニメ版プリンセスラバー!のラスボスの男もまたそうだ。
どうしてこうなった?
これは、我々にとってのカタルシスが昔と異なるせいなのではなかろうか。
昔ながらのカタルシスとは何か?
善が勝つこと。
物量より技巧が勝つこと。
願いが適うこと。
・・・そんなところか。
だが!
今はそれに加えてもう1つカタルシスの定石が追加された。
それは・・・
コミュ力が高いだけの上っ面だけの男はダメだということだ!
薄々そのカタルシスが我輩の中に流れていることを感じてはいたが、第15話を見てその存在を確信したのだった。
わたしもまさにそうだが、アニオタ同士諸君たちはコミュ力に自信のない者の割合がかなり高いんじゃあないかろうかという気がする。
わたしも含めてそういう人たちは、コミュ力に自信のない事に少々引け目を感じつつも、コミュ力だけで世の中を渡ろうとするお調子者を内心軽蔑している。
たとえばそれはアスナ問題においてもそうで、女のあつかいに疎い我々は、そういう時どんな声をかけていいのかわからず、戸惑い無言になってしまうだろうと考えるシーンもアニメには数多くある。
そういうとき、サラッと気の利いたセリフを口にできていいところだけをかっさらっていくイケメンどもに対し、中身の伴っていないヤツらのセリフを軽蔑しつつも、その彼我のスキルの違いに愕然として腹を立てるのだ。
「リア充は爆発しろ!」
という言葉がある。
これは、単に妬みで言っているのが全てではない。
コミュ力だけで世の中を渡れてしまう現代社会に対する怨嗟ですらある。
いつか真実は明かされるときが来る。
コミュ力など、女の化粧のごとく、ただの上っ面でしかないことがわかる時がくる。
・・・それが我々が感じてしまう新しいカタルシスだったのだ。
そして・・・
そういう自分の感情に気がついてしまったことにもまた傷ついたのだった。
辛かった。
途中で我輩の精神を蝕まれて見るのをやめようかとすら思った。
でも見た。
でなければ、ここで見るのをやめてしまえば、わたしの中ではアスナは永遠にあのままになってしまうからだ。
見るのは辛い。
見ないのもまた辛い。
この世界は呪われている。
いや、この世界を呪っているのは我々だ。
こんな世界に帰還したくなかった。
こんな気持ちはいつ以来だろうか・・・。
冒険活劇の構造は、神話の時代からずっと変わらない。
悪い男を倒して、良い女を助ける。
それこそが冒険活劇であり、ダンジョンのボスを倒してアスナを助けるのがソードアート・オンラインだ。
だが。
このところ、ほんのわずかだがそれに変化が訪れている。
それは、悪い男の定義についてである。
冒険活劇における悪い男とは何か?
武力を行使することをためらわず、
相手を陥れることを躊躇せず、
女に意地悪で、
誰からも疎まれる、
強大で、強い、ぶさいくなおっさん。
それが悪役だ。
付け加えるならば、昔ながらの。
しかし!
最近の物語における悪い男とはどんなだ?
武力の行使は秘密裏に周到に準備して最小限かつ効果的に行い、
相手を陥れることを躊躇しないことは同様だが、
意外なことに女に対しては主人公より紳士的に振る舞い、
コミュ力が非常に高く周りの人間を見方につけており、
見た目はやさおとこだが金融系ビジネスマン風のエリートで年上のイケメン。
それが今の悪役だ。
第15話において我々の精神を蝕みかけるほどにまで悪事をはたらいたあの男もそうだし、
アニメ版プリンセスラバー!のラスボスの男もまたそうだ。
どうしてこうなった?
これは、我々にとってのカタルシスが昔と異なるせいなのではなかろうか。
昔ながらのカタルシスとは何か?
善が勝つこと。
物量より技巧が勝つこと。
願いが適うこと。
・・・そんなところか。
だが!
今はそれに加えてもう1つカタルシスの定石が追加された。
それは・・・
コミュ力が高いだけの上っ面だけの男はダメだということだ!
薄々そのカタルシスが我輩の中に流れていることを感じてはいたが、第15話を見てその存在を確信したのだった。
わたしもまさにそうだが、アニオタ同士諸君たちはコミュ力に自信のない者の割合がかなり高いんじゃあないかろうかという気がする。
わたしも含めてそういう人たちは、コミュ力に自信のない事に少々引け目を感じつつも、コミュ力だけで世の中を渡ろうとするお調子者を内心軽蔑している。
たとえばそれはアスナ問題においてもそうで、女のあつかいに疎い我々は、そういう時どんな声をかけていいのかわからず、戸惑い無言になってしまうだろうと考えるシーンもアニメには数多くある。
そういうとき、サラッと気の利いたセリフを口にできていいところだけをかっさらっていくイケメンどもに対し、中身の伴っていないヤツらのセリフを軽蔑しつつも、その彼我のスキルの違いに愕然として腹を立てるのだ。
「リア充は爆発しろ!」
という言葉がある。
これは、単に妬みで言っているのが全てではない。
コミュ力だけで世の中を渡れてしまう現代社会に対する怨嗟ですらある。
いつか真実は明かされるときが来る。
コミュ力など、女の化粧のごとく、ただの上っ面でしかないことがわかる時がくる。
・・・それが我々が感じてしまう新しいカタルシスだったのだ。
そして・・・
そういう自分の感情に気がついてしまったことにもまた傷ついたのだった。