映画「第三の男」での名シーンといえば、プラーター遊園地と墓地のラストシーン
でしょう。 敗戦で遊園地でもあるまいにといった人っ子一人いない舞台設定はある意味
で戦争批判なんだろうか? そして当時のままのゴンドラの姿、形を今も頑なに使って
いることもあの悲惨な戦争体験を風化させない為とも解釈出来る。
12.プラーター遊園地(郊外)
1766年にハプスブルク家のヨーゼフ2世が市民の為に開放したことから遊園地は
始まった。 1873年(明治6年)に、ここで万国博が開催され日本の陶芸技術が
ハンガリーにも広がったということより、我々に関係の深い所でもある。
大観覧車Riesendradは、1897年にフランツ・ヨーゼフ皇帝即位50年を記念して作られた。
直径61m、高さ65mの大きさである。
当時のままのスタイル、形状を守っているゴンドラ。
13.中央墓地(郊外)
1874年のウィーンの都市計画の一環として造られたヨーロッパで2番目に大きい市営墓地。
墓地の入口が数か所あるが、第2入口 (2. tor)が楽聖達が眠る「名誉墓地」に近い。
入り口をはいると、真っすぐ伸びた舗道がカール・ボロメウス教会まで続いており、
左側手前の「第32区A」が楽聖達が眠る墓地である。
● 名誉墓地に眠る楽聖達の墓
ベートーベンの墓 モーツァルトの墓
シューベルトの墓 ヨハン・シュトラウスの墓
● カール・ボロメウス教会と両翼を広げる霊廟アーケード
教会はカール・ルエーガー市長により1908~1910年に建てられ、2000年から聖ボロメウス
を祀るということでカール・ルエーガー教会という名称がボロメウスに替えられた.
●「第三の男」で使われた並木道
直線距離の長い道だったのでカール・ボロメウス教会裏の墓地間の通路が使われた
ようだ。 探してみたが、同じような道ばかりで、此処だと断定出来なかった。
映画の脚本を原作のハッピーエンドから、真逆の哀愁と悲劇性に変更したのが当たった。
世界中が疲弊していたこの時代の世情に、ぴったりフィットしたのだろう。
それにアントン・カラスのあのメロディも大きな援護弾であったことは言うまでもない。
それと原作ではアンナ・シュミットはチェコ人でなく、ハンガリー人であったことは
興味深い。
<その他のウィーン市街地の教会>
● ミノリーテン教会(市庁舎そば)
ミノリーテンとはあまり聞かれない名前であるが、フランシスコ会から枝分かれした
修道会だそうで、教会は1276~1350年に建てられた。 1782年より皇帝ヨーゼフ2世
の命により、「マリアの雪」イタリア国際教会の所有となる。
内部は荘厳な石造り
内部にレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のモザイクレプリカがある。
(参考)市庁舎
● ミヒャエル教会(王宮広場脇)
1220~1240年に後期ロマネスクと初期ゴシック様式の混在する形で建てられた。
1792年に改築したものが現在の姿である。
主祭壇に雪花石膏と化粧漆喰を使ったロココ調の彫刻「天使降臨」は逸品。
(参考)王宮の入り口門
● イエズス会教会(シュテファン大聖堂の東側)
オリジナルは1631年に建てられ、1705年頃に今の姿に改築された。
ピンクやグリーンの色彩の大理石を使った美しい内装である。
天井はドームのフレスコ画のように見えるが、騙し絵になっておりドームではない。
入口側の身廊の2階には2004年に設置された美しいパイプオルガンがある。
● ドミニカ会教会(シュテファン大聖堂の東側、中央郵便局のそば)
オリジナルは、1237年にドミニカ会修道士たちによって建てられたが、オスマン・
トルコ軍の攻撃で破壊した。 その後、1634年にバロック様式で再建された。
祭壇と天井ドームのフレスコ画は素晴らしい。
● フランツィスカーナ教会(シュテファン大聖堂の南側)
この地区はウィーンの市街地で最も古く、教会は17世紀の初頭に建てられた。
教会前の広場には「モーゼの泉」や古いカフェなどがありロマンチックな場所らしい。
広場は工事中(2018, Feb.)
これにて、「ウィーンの街と教会」は、全てお終いです。
「バラトン遍路の旅」 http://motsukahu.web.fc2.com
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