第二次世界大戦後、ウィーンは連合国(米、英、仏、ソ)によって4分割統治され
ていたことは前回で話した通りであるが、映画「第三の男」の冒頭で各国の統治区域
の映像が、これも数秒ながら映し出されたが、まずその場所を明確にしよう。
1.アメリカ統治区域;ヴォティーフ教会
映像はこのアングルであった。 1879年にネオゴシック様式で建立。
塔の高さは99m、 正面ファサードは工事中(2018 Feb. 時点)。
南門も美しく、豪華。
主祭壇
正面入り口側、身廊
2.英国統治区域;シェーンブルン宮殿
1696年より建築が始まったが、1743年からのマリア・テレジア時代での大幅な改築
により、現在の姿になり、ハプスブルク家の夏の離宮となる。反対側に庭園が広がる。
3.ソ連統治区域;ベルヴェデーレ宮殿
映像ではこの門(南門)が映っていたようだ。
門を入ると上宮である。 中(2階)にはクリムトの作品が展示されている。
宮殿は数々の戦いの英雄プリンツ・オイゲンの夏の離宮として建てられた。
下宮は1716年に、上宮は1723年に完成した。 1752年にハプスブルク家に売却された。
4.フランス統治区域;ウィーン西駅
西駅は二度の大再建(1754年と2011年)により、面影が全くなくなっている為、割愛する。
ナレーションが終わり、ホリー・マーティン(ジョセフ・コットン)がウィーン西駅に着き、
直ぐに、友人ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の住まいを訪ねるところからストーリー
は始まる。
5.ハリーの住まいとヨーゼフ広場;
パラヴィッチーニ宮殿をロケに使っており、現在も健在。
ハリーがトラックに轢かれて死んだという場所(ヨーゼフ2世像前)...身代わり殺人である
● アウグスティーナ教会(広場内にある);
1339年に建てられ、1634~1918年まで宮廷の教会として、ハプスブルク家の結婚式に使用。
身廊の長さは43m、高さ20m
身廊の入り口側
6.Hotel Sacher;ホリー・マーティンが泊まっていたホテル
1876年創業の老舗、世界中に知られたザッハートルテ(生菓子)は玄関横の店舗で買える
(参考) Hotel Sacher の向かいが国立オペラ座である。
7.カフェ・モーツァルト;クルツ男爵との待ち合わせ場所
撮影はホテルザッハーの1階ということになっているが、当時ホテルの損壊がひどく、ロケを
やれる状態ではなく、3ブロック北のノイア・マルクトにセットを組んで撮影したらしい。
8.ルプレヒト教会横の階段;
ハリーの住まいの管理人が殺され(口封じの為)、マーティンが下手人として疑われ、
ハリーの恋人アンナ・シュミット(アルダ・ヴァリ)と共に逃亡するルート。
「ルプレヒト教会」はウィーンで最古の教会で740年頃に建てられ、塔は11~12世紀に追加。
9.ハリーが生きていると思った瞬間と場所;
マーティンが物陰に潜む追跡者に対して、「出て来い!」と叫ぶ、ビルの一室に灯りが点り、
「うるさい! 何時だと思っているの!」というようなご婦人の罵声と同時に、そのコモレ灯
が向かいのビルの扉に隠れているハリー・ライムの顔だけを浮かび上がらせる。
なんと素晴らしい演出といつまでも記憶に残るシーンだったので、是非ともその場所を写真
に収めたいと願っていたが、残念ながら、その場所を探し出すことが出来なかった。
帰りの電車の時刻も迫るし、おまけに寒いしで、Judenplatz の方が断然、ピッタリの場所
と勝手に自分自身で決めて引き上げることにした。
後で、ネットでベートーベンの住んでいたパスクァラティハウスの裏の路地だと知ったが、
アンナの飼っていた猫の行動範囲や灯りが点いたビルの距離より、やはりJudenplatz の方
が現実性があるような気がするが、正解はネットの通りだと思うけど、またいつか確かめに
来る機会があることだろう。
ユーデンプラッツ (Judenplatz) 朱線のようにコモレ灯が射したら....
10. アム・ホーフ (Am Hof);
マーティンがハリー・ライムを追いかけて見失った広場がアム・ホーフである。
モニュメントの向こうがアム・ホーフ教会。
教会は、1386~1403年にカルメル会によって、ゴシック様式で建てられたが、広場自体
はローマ時代から存在し、バーベンブルグ時代にはロマネスク様式の宮廷礼拝堂が居城と
共にこの場所にあった。 映画では地下下水道に通じる広告塔があったが今は見当たらない。
11. ホーエルマルクト (Hoher Markt);
キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)達がハリー・ライムを張り込んでいた広場。
向こうのビルの角にマーティンが囮として、待っていたCafe Aurel があったようだ。
モニュメントの向こう側が、風船売りが立ち止まっていた場所ではないだろうか。
<参考>
上の写真で向こうのビル2つを渡り廊下で結んだ所に有名なアンカー時計がある。
<周辺の教会>
● ペーター教会
オリジナルの教会は、4世紀には既に存在しており、歴史的にはウィーンで
最も古い教会といえるだろう。現在の教会は1733年に改築されたものである。
祭壇部 バロック芸術の傑作
「マリア昇天」の天井画(1714年完成)には、目を見張らせられる。
● ショッテン教会;
バーベンブルグ家のハインリッヒ2世によって1155年より教会の建設が始まった。
修道院も併設されており、当初はアイルランド修道士によって活動をしていたが
その後、オーストリア人修道士(ベネディクト派)に引き継がれた。
正面入口とファサード
教会の手前は、フライウング広場で12月には伝統的なクリスマスマーケットが開催。
これにて、「ウィーンの街と教会(2)」はお終いです。
「バラトン遍路の旅」 http://motsukahu.web.fc2.com