撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

ウィーンの街と教会(2)

2018-02-07 11:07:10 | 旅行

 第二次世界大戦後、ウィーンは連合国(米、英、仏、ソ)によって4分割統治され

ていたことは前回で話した通りであるが、映画「第三の男」の冒頭で各国の統治区域

の映像が、これも数秒ながら映し出されたが、まずその場所を明確にしよう。

1.アメリカ統治区域;ヴォティーフ教会

  映像はこのアングルであった。 1879年にネオゴシック様式で建立。

  

   塔の高さは99m、 正面ファサードは工事中(2018 Feb. 時点)。

 

  南門も美しく、豪華。

  

 

  主祭壇

  

 

  正面入り口側、身廊

  

 

2.英国統治区域;シェーンブルン宮殿

 1696年より建築が始まったが、1743年からのマリア・テレジア時代での大幅な改築

 により、現在の姿になり、ハプスブルク家の夏の離宮となる。反対側に庭園が広がる。

 

3.ソ連統治区域;ベルヴェデーレ宮殿

 映像ではこの門(南門)が映っていたようだ。

 

 門を入ると上宮である。 中(2階)にはクリムトの作品が展示されている。

 宮殿は数々の戦いの英雄プリンツ・オイゲンの夏の離宮として建てられた。

 下宮は1716年に、上宮は1723年に完成した。 1752年にハプスブルク家に売却された。

 

4.フランス統治区域;ウィーン西駅

 西駅は二度の大再建(1754年と2011年)により、面影が全くなくなっている為、割愛する。

 

ナレーションが終わり、ホリー・マーティン(ジョセフ・コットン)がウィーン西駅に着き、

直ぐに、友人ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)の住まいを訪ねるところからストーリー

は始まる。

5.ハリーの住まいとヨーゼフ広場;

  パラヴィッチーニ宮殿をロケに使っており、現在も健在。

  

 

ハリーがトラックに轢かれて死んだという場所(ヨーゼフ2世像前)...身代わり殺人である

 

● アウグスティーナ教会(広場内にある);

 1339年に建てられ、1634~1918年まで宮廷の教会として、ハプスブルク家の結婚式に使用。

  

 

  身廊の長さは43m、高さ20m

  

 

 身廊の入り口側

  

 

6.Hotel Sacher;ホリー・マーティンが泊まっていたホテル

 1876年創業の老舗、世界中に知られたザッハートルテ(生菓子)は玄関横の店舗で買える

 

(参考) Hotel Sacher の向かいが国立オペラ座である。

 

7.カフェ・モーツァルト;クルツ男爵との待ち合わせ場所

撮影はホテルザッハーの1階ということになっているが、当時ホテルの損壊がひどく、ロケを

やれる状態ではなく、3ブロック北のノイア・マルクトにセットを組んで撮影したらしい。

 

8.ルプレヒト教会横の階段;

 ハリーの住まいの管理人が殺され(口封じの為)、マーティンが下手人として疑われ、

 ハリーの恋人アンナ・シュミット(アルダ・ヴァリ)と共に逃亡するルート。

「ルプレヒト教会」はウィーンで最古の教会で740年頃に建てられ、塔は11~12世紀に追加。

 

9.ハリーが生きていると思った瞬間と場所;

   マーティンが物陰に潜む追跡者に対して、「出て来い!」と叫ぶ、ビルの一室に灯りが点り、

 「うるさい! 何時だと思っているの!」というようなご婦人の罵声と同時に、そのコモレ灯

 が向かいのビルの扉に隠れているハリー・ライムの顔だけを浮かび上がらせる。 

 なんと素晴らしい演出といつまでも記憶に残るシーンだったので、是非ともその場所を写真

 に収めたいと願っていたが、残念ながら、その場所を探し出すことが出来なかった。

 帰りの電車の時刻も迫るし、おまけに寒いしで、Judenplatz の方が断然、ピッタリの場所

 と勝手に自分自身で決めて引き上げることにした。

 後で、ネットでベートーベンの住んでいたパスクァラティハウスの裏の路地だと知ったが、

 アンナの飼っていた猫の行動範囲や灯りが点いたビルの距離より、やはりJudenplatz の方

 が現実性があるような気がするが、正解はネットの通りだと思うけど、またいつか確かめに

 来る機会があることだろう。

 

 ユーデンプラッツ (Judenplatz)          朱線のようにコモレ灯が射したら....

                                                                              

10. アム・ホーフ (Am Hof);

      マーティンがハリー・ライムを追いかけて見失った広場がアム・ホーフである。

  モニュメントの向こうがアム・ホーフ教会。

  教会は、1386~1403年にカルメル会によって、ゴシック様式で建てられたが、広場自体

 はローマ時代から存在し、バーベンブルグ時代にはロマネスク様式の宮廷礼拝堂が居城と

 共にこの場所にあった。 映画では地下下水道に通じる広告塔があったが今は見当たらない。

 

11. ホーエルマルクト (Hoher Markt);

   キャロウェイ少佐(トレヴァー・ハワード)達がハリー・ライムを張り込んでいた広場。

 向こうのビルの角にマーティンが囮として、待っていたCafe Aurel があったようだ。

 

   モニュメントの向こう側が、風船売りが立ち止まっていた場所ではないだろうか。

                                                               

<参考>

上の写真で向こうのビル2つを渡り廊下で結んだ所に有名なアンカー時計がある。

    


<周辺の教会>

● ペーター教会

 オリジナルの教会は、4世紀には既に存在しており、歴史的にはウィーンで

 最も古い教会といえるだろう。現在の教会は1733年に改築されたものである。

 

 祭壇部  バロック芸術の傑作

 

 「マリア昇天」の天井画(1714年完成)には、目を見張らせられる。

 

● ショッテン教会;

 バーベンブルグ家のハインリッヒ2世によって1155年より教会の建設が始まった。 

 修道院も併設されており、当初はアイルランド修道士によって活動をしていたが

 その後、オーストリア人修道士(ベネディクト派)に引き継がれた。

    正面入口とファサード

  

 

  教会の手前は、フライウング広場で12月には伝統的なクリスマスマーケットが開催。

 

      これにて、「ウィーンの街と教会(2)」はお終いです。

 

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