<ロケーションの紹介>
Vas県の県庁所在地は、Szombathely (ソンバトヘイ)、ハンガリー語では
「土曜の場所」という意味で、なんとも週末にはぶらりと旅をしてみたい地名
である。 人口約8万人で、ハンガリーでは10番目に大きい街である。
紀元前よりローマ帝国のひとつとして栄え、本来の町の名前の由来は、当時では
毎週土曜日に市が立っていたことからきている。
その後、衰退していたが1777年に、マリア・テレージア(ハプスブルグの女帝)に
よって再興された。 幸い、オスマントルコの支配を免れたため、町中には古代
ローマや中世の遺跡が残っている。
今日旅する南部一帯は、Őrség (ウールシェーグ)地区といい、風光明媚で、古い美しい
教会も多く、ぶらり旅には一押しなエリアである。 近くに、良質の湯を持つ温泉
(Sárvárá;シャールヴァール)もあるので、途中に寄るも一考。
<六十八番札所(注1);Csempeszkopács (チェンペスコパーチ)教会>
(注1)札所と名付けたのは、ハンガリー全土の古刹(寺を教会に替えて)を遍路しようと
いう広大な計画を続けており、現在、この教会で68番目であることを意味する。
56番目までの札所は、バラトン湖周辺の古刹遍路で、興味ある方は、ホームページ
http://invitelweb.hu/otsuka をご覧ください。
ところ; Szombathely より東南15km、国道87号線沿いに教会はある。
教会の名称はSzt. Mihály (聖ミハーイ)教会で、1250年頃にロマネスク様式で建立された。
単内陣と半円形の祭壇は先に完成し、後に塔が追加された。
窓と屋根庇の縁飾り
東門は典型的なロマネスク様式であり、ハンガリーで最も美しいと呼び声高いJák教会
(次回の掲載予定)を彷彿させる気品あるモチーフになっている。
内陣の壁にはキリスト教の使徒達を描いたフレスコ画があったが、13~18世紀の間に、何度も
上塗りされ、今は見ることは出来ないが、それ以降にプロテスタントが描いた物が残っている。
祭壇天井のフレスコ画
<六十九番札所; Őriszentpéter (ウーリセントピーテル)教会>
ところ; Szombathely (ソンバトヘイ)より、国道86号線を南下すること50kmの
Zalalövő (ザラルボー)を西に進路を変え、更に14kmのオーストリア国境
沿いに教会はある。
教会は、ローマカトリック教会であり、ロマネスク様式で1230年頃に建てられた。
14~15世紀にゴシック様式で拡張し、オスマントルコの攻撃に対して、砦や溝を掘って
補強し対抗した。 17~18世紀の約130年間は、プロテスタント(カルビン派)の教会として
使われたが、1730年より再び、ローマカトリックに戻ってきた。
1929年に改築されたものが、今日見れるものである。
当時飾られていたローマ時代のフレスコ画は破壊され、唯一、南側の外壁に、かすかに面影を
見ることが出来る。
屋根の下にロマネスク様式の縁取りモザイクが残っている。
内陣の天井壁に残されたプロテスタントが使っていた聖書の引用文(18世紀)
<七十番札所; Velemér (ヴェレミール)教会>
ところ; 前出のŐriszentpéter 教会より県道を国境沿いに、11km南下したところにある。
教会の正式名称はÁrpádkori műemlék (アルパード王朝記念)教会と訳せば良いだろうか。
Őrség (ウールシェーグ)で最も有名な建造物と云われている。 特にフレスコ画は必見である。
内陣いっぱいに描かれたフレスコ画は、完全に残され、専門家にとっては垂涎の遺物である。
単内陣構造で、内部にはフレスコ画の他には何もないが、何も必要ないであろう。
1377年に、 Aquila János (アクイラ・ヤーノシ)によって壁に描かれた聖伝説の画は
世界的にも有名である。
<七十一番札所; Csesztreg (チェストレグ)の教会>
ところ; Velemér (ヴェレミール)の教会より、更に国道86号線に向かい(東に)、10kmの
県道沿いに教会はある。
教会はカトリック司教教会で13世紀後半に建立された。 1803年にこの地の領主
エステルハーズ家がバロック様式で改築した。
当時のオリジナルサイズを教会の壁に赤い線で描いてくれているのは、なんとも親切なことか。
内陣は煌びやかなフレスコ画で改築当時(1808年)に飾られた。
Dorffmeister Istvan の作品である。