撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Sopron(ショプロン)の教会(2)

2013-02-25 20:35:01 | 海外生活

<八十一番札所; Szent Mihály -prébánia (聖ミハーイ司教教会>

   火の見塔から見た聖ミハーイ教会

 

  教会は、13世紀にロマネスク様式で建てられ、15世紀にゴシック様式で再建された。

 今日見ることのできる教会は1800年代に、ネオ・ゴシック様式で改築されたものである。

 内陣には15世紀の彫刻、壁画が保存されている。

 西側にある塔の下には、中世のアーチ型門があり、その上には網を張ったゴシック建築の

 細長い窓が並んでいる。 これも、又、ハンガリーを代表する美しい塔のひとつであろう。

 

  教会正面外観           南門               祭壇側外観(裏側)

  

 

 

 外壁に施された彫刻                          入口のアーチ型門

 

 

  内陣の天井(ゴシック建築)

 

<八十二番札所; Ó-zsinagóga (旧ユダヤ)教会>

  ユダヤ人がショプロンに住み着いたのは、いつの頃からは定かではないが、13世紀にはすでに

 この地に10~16家族が居たことは確かである。

 しかし、1526年にユダヤ人はショプロンから追放されたため、シナゴーク(ユダヤ教会のこと)も

 破壊され、住居になってしまった。 18世紀に戻って、その住居の庭に、当時のゴシック様式の

 ユダヤ礼拝堂を再建して現在に至る。 通り(Új u.) の向かいには、新ユダヤ教会を新設した。

 

中世には、シナゴークは通りに面して建てることは許されなかったので、門より奥まった所にあった。

 

 

  小さな礼拝堂                     祭壇

 

 

 細長い窓の向こうは礼拝堂、          祭壇の外枠に施された葡萄や葉の透かし彫り

 一般の信者はこちらで祈る。

 

 

<八十三番札所; Orsolya (オルショリア)教会>

    教会は、1861~1864年に、Handler Nándor (ショプロンの著名建築家)がネオ・ゴシック様式

  で建立した。 ローマ・カトリック修道会のひとつである。 

 

   教会正面              塔は八角形で高さは32m  

 

 

    祭壇                 説教台               手水鉢

  

 

 

礼拝が出来ず(当然、賽銭も入れていない)、通り過ぎただけの教会が、以下、2点あり、番外として

次回を期する。

 

 <番外1; Evangélikus (ルター派)教会>

  火の見塔から見たプロテスタント(ルター派)教会

 

  教会は、18世紀の後期(1782~1783年頃)にルター派修道士の家の庭で建てられた。

 

 

 <番外2; Szent János (聖ヤーノシ)教会>

  火の見塔から見た聖ヤーノシ教会(右側に小さく見える)

 

  教会は、1217年に、この地に存在していたらしいが定かでない。 15世紀にゴシック様式で

  建立されたことは確かで、1890年には今ある形に改築された。

 

    

 

 このあと、「ショプロンの教会(3)郊外編」に続く。

 

   


Sopron(ショプロン)の教会(1)

2013-02-25 17:09:41 | 海外生活

<ロケーション紹介>

  ハンガリーの西端に位置し、オーストリア領土に盲腸のように小さく突起している。

 その理由は、第一次世界大戦後の1921年12月14日の住民投票でハンガリー国に帰属することを

 選んだことが、このような変形的な国土になった。 これにより雄大なリゾート湖であるフェール湖

 (Fertö...ö のスペルちょっと違う) の一部もハンガリー国に帰属するところとなった。

 当時のショプロン市民の心情は定かではないが、ハンガリー国民の愛国の証であったような気もする。

 同時期に他の近郊4つの郡でも住民投票が行われ、ブラチスラヴァのみチェコスロバキアに帰属する

 ことを選び、他はハンガリーへの帰属を選んだ。

 

 ショプロンは9~11世紀には、ローマ帝国の州のひとつとして、司教区であり、交通の要衝として栄えて

 来た。 そこにはハンガリー人はもとより、イタリア人、ドイツ人、スラブ人と共栄共存してきた。

 1989年の8月19日に東ドイツ人600人が、Pan-European-Picnic と称して、オーストリア/ハンガリー

 国境を越え西側に逃れた事件が、同年11月9日にベルリンの壁崩壊への道を開いたという話も遠い昔の

 事である。

 2012年現在、人口は61,000人、ドイツとハンガリーの両文化と言語を使うバイリンガルな街として、

 世界から多くの観光客を集めている。 その客の中には、安くて技術の優れた歯科医を訪ねてくる人

 も多く、ショプロンには300余のクリニックがあると云われ、別名 “Dental capital of the world” と 

 称せられているようだ。

 ここからは、多分に私見かも知れないが、ショプロンの街は「日本の京都」と呼べなくはないだろうか?

 歴史の古さから教会が多く、市街地には立派な教会が、郊外には質素な美しい教会が、中には尼寺

 もある。 地形的には山に囲まれた盆地で琵琶湖のようなフェール湖に面している。

 最新技術(歯科分野)も持っているし、なんといっても年中、観光客で賑わっている。

 

 以下、教会ロケーションは、すべて徒歩で行ける旧市街地内のため省略します。

 

 <七十九番札所; Kecske (山羊)教会>

  教会の名前からかショプロンで最も親しみがあり、誰もがまず最初に足を運びたい名所旧跡である。

  13世紀にベネディクト派の信者であった山羊飼いのGeisel (ガイゼル)が、山羊で掘りあてた埋蔵金

  を教会建設の為に寄付したという逸話がある。 当初は初期ゴシック様式であった。

  14世紀には、高さ48mの塔が追加された。

 

    火の見塔から見た山羊教会 

 

 

  教会正面           これほど美しい塔は他に類をみない

 

 

  入口門とゴシック様式の窓    真っ直ぐ積み上げた壁に葉紋様彫刻と

                      Geisel 家の家紋(山羊)等もある。

 

                   

 

  門飾り(左側)                 

  門飾り(右側)

 

 側門(通常は南門だが?)        側門入口

   

 

 ゴシック様式の単内陣構造で、何度も改築された(不運にも今回も改築中)が、ゴシック様式が

 うまく保存され、煌びやかバロック様式が教会のムードとよく調和している。

    左側翼内陣                 主内陣(改築中)

 

 

   内陣入口側                  祭壇脇の内陣の壁に残る中世のフレスコ画

 

 

 内陣の壁窓から眺めた隣の礼拝堂の天井(天井は典型的なゴシック: ここにも山羊家紋が)

 

 

 天井を支えている内陣の支柱を飾る彫刻(山羊、ライオン、人等)

 

 

 煌びやかなバロック様式の説教台     支柱に飾られた神と山羊の彫刻

 

 

 <八十番札所; Szent György (聖ジョルジ)教会>

  Tűztorony (火の見塔)からみた聖ジョルジ教会

 

1380~1430年にゴシック様式、単内陣構造で建てられた。1685年にはバロック様式で拡張。

一風変わったイタリア風の正面で、ゴシックの彫像を嵌めこんでいる。 門の上の透かし彫り。

  

 

 正面の彫像               内陣(祭壇側)

 

 

 内陣入口側    内陣の飾りは、1705~1706年の Pietro Antonio Conti の作。

 

 次回、Sopron の教会(2)に続く。