撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Gyor (ジュール)の教会

2013-02-22 15:08:50 | 海外生活

<ロケーション紹介>     Györ のöスペルが違うことをご容赦下さい。

 Györ(ジュール)は、ウィーンとブダペストのちょうど中間地点で、ブダペストからは125km離れている。

 “Arrabona(アッラボナ” という地名で昔からよく知られ、呼ばれていたらしいローマ帝国の町であった。

 Arrabona の名前の由来は、Arrabo (今のRábá川)河口に横たわる町から来ている。

 ハンガリーの西の玄関口としての交易都市として古くから発展してきた。  

 人口は約13万人、国内では6番目の大きさで、古くは11世紀に国王イシュトヴァーン1世によって

 司教座が、この町に設置されたことより、宗教の中心地としても栄えてきたが、現在は自動車産業

 (Auddiの町)、繊維製品等の工業都市である。

 市街地の中には歴史ある公共、民間の建物が多く、古きを残しモダンが混在した街で、あなたに

 サプライズがあるかも、ブラリ散策をお薦め。

 

           旧市街への入り道Baross Gábor 通り

 

 

   király 通り: エステルハーズ宮殿17世紀創建(バロック建築)

 

  Jedilik Anyos 通り

  門飾り

 

 Rákóczi Ferenc 通り; 住居(1720年創建)      聖アンナ教会(1730-35年)

 

 

 Rákóczi Ferenc 通り: Xántus János Múzeum (歴史博物館18世紀創建)

 

 セーチェニ広場: ベネディクト教会(1794年建立)

 

 セーチェニ広場: マリアの石柱(1686年創建)

 

 Vörösmatly 通り: Orsolyita 教会(1762建立)

                    Karmelita (カリメリタ)教会) 1721~1725年建立

 

 

 

 

<七十五番札所; 大聖堂 (Székesegyház)>

  大きな街に有り勝ちな(たぶん財力があるせいだろう)、教会は再建、改築が繰り返され古い物が

  新しい物に置き換わってしまう。 Györ においても興味ある古い教会はここだけである。

  最初の教会は11世紀に建てられたが1241年には破壊され、1256年にロマネスク様式で再建

  された。 1460~1480年に、Monoszlói C. Demeter によって、教会の壁には花崗岩を使い、 

    高いアーチ形状の天井に対角線のリブを這わせた構造(ゴシック建築の特徴)で拡張された。

  1635~1645年には、Giovanni Battista Rana の設計をもとに、現在のバロック様式に改築。

 

   大聖堂正面                 大聖堂南側外壁

 

 

 大聖堂祭壇側外観                          尖塔

 

 

   豪華絢爛バロック様式の主内陣           主内陣天井に描かれた聖母マリアの絵

                                  Franc Anton Maulbertsch の作

 

 

北側の翼内陣の祭壇部半円天井はオリジナルのもの。 クロンフェルト司教がアイルランドより

持ち帰った(17世紀)聖母マリアの像が祭壇脇に飾ってある。

  左(北側)翼内陣          右(南側)翼内陣

  

 

 主内陣の入口側(祭壇の反対側、オルガン)

 

 大聖堂の南側内陣の隣に、聖ラスロー礼拝堂(別名ヘーデルヴァーリ礼拝堂)が

 1400年に建てられた。 天井の豪華なアーチとゴシック窓のステンドガラスが素晴らしい。

 

 

 

 

 

  

 

 


Pannonhalma(パンノンハルマ)の教会

2013-02-19 12:14:47 | 海外生活

<ロケーション紹介>

 ブダペストからならば、高速道路M1でウィーン方面119km地点で、国道82号線を

 南下すること約10kmのところで、「パンノニアの聖なる丘}が道路沿いから望めれる。

 この丘の上には、修道院、教会、礼拝堂、学校、図書館といったベネディクト派の宗教

 施設がすべて揃っており、普段生活は自給自足に努め、葡萄栽培(ワイン作り)も有名。

 ここは1996年にユネスコの世界遺産に登録された、ハンガリーのキリスト教信仰の

 出発点になった地である。

 

   「パンノニアの聖なる丘」

  千年記念館(左)と聖母マリア礼拝堂(右)

 

 <七十四番札所; パンノンハルマ修道院>

   修道院の創設は996年頃より始まる。 アルパード王朝時代の大首長Géza (ゲーザ)は

  チェコのボヘミアからベネディクト派の修道士を招き、国内への宣教活動のために、この地に

  修道院を作る支援をした。

  父ゲーザ公の死後(997年)、初代国王イシュトヴァーンは、その意志を継ぎ、1002年に

  ここを “パンノニアの聖なる丘” と定める勅許状を公布し、ハンガリーのキリスト教化を

  推し進めた。 その後、タタール人やオスマントルコの襲撃等により、破壊、再建、増改築

  を繰り返し今日に至るが、主な節目は下記の通りである。

 

 ・ 1137年に発行された国王ベラ2世の公文書によれば、最初の改築が修道院長ダーヴィット

   によって行われたと記されている。 この当時の壁の一部が主内陣と南隣内陣との間に残って

   いると、その後の発掘調査で判った。

 ・ 1224年には、修道院長ウロスの在任中に今日の姿である後期ロマネスク様式の母体が

   建てられたと公文書に残っている。

 

   丘の下から眺めた修道院                 修道院入口

 

 

   主内陣祭壇側    主内陣は階段で持ち上げられている   主内陣の天井

   

 

   南側翼内陣        南側翼内陣に残る古い壁   主内陣(祭壇の反対側)

  

 

 内陣と側廊を仕切る扉        説教台        側廊壁に残るユニークな彫刻

  

 

   側廊壁に残るユニークな彫刻               煌びやかなモザイク装飾                                 

 

 

 ・ 1714年に聖母マリア礼拝堂の建立。

 

 ・ 1786年に神聖ローマ帝国ヨーゼフ2世(ハプスブルグ皇帝)の修道院廃止令で一時、

   閉鎖に追い込まれるが1802年には再興を許された。 その時に学校教育に携わるという

   新たな奉仕活動を委ねられる。 それが後に、ハンガリー国公認の、始めてのギムナジウム

   (中等教育学校)を開校することなった。

 ・ 1823年には、ヨーロッパで最も大きな教会内図書館を作った。(40万冊の所蔵)

 

  ギムナジウムの校舎と寄宿舎                    図書館

 

 

                     修道院正面          入口ブロンズ門

  

 

 ・ 聖堂の地下には、13世紀初頭に霊廟(教会)が作られた。 ほとんどオリジナルな形で

   残っている。 祭壇を挟んだ二つの墓は、ローニャイ・エレミールとステファーニア王女

   (オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子ルドルフの王妃)の墓。

   3本1組で6本の石柱(ロマネスク様式)が天井を支えている。

 

 

  

 

 

 

 


クーセグ(Vas県)の教会

2013-02-18 20:10:46 | 海外生活

<ロケーション紹介>

 Szombathely (ソンバトヘイ)を過ぎ、国道87号線を北上していくと、オーストリア国境沿いの

 小さな美しい町Köszeg (クーセグ)がある。 人口は12,000人の、ハンガリーの西の砦とも

 云うべき城下町。  古い教会はなく、教会の興味というよりは、町の美しさに魅かれ道草を

 してみた。 

 

     Köszeg の中心                        英雄の門

 

 

     Jurisics (ユリシチ)城入口            Jurisics (ユリシチ)城側門

 

 

Jézus Szive 司教教会      聖イムレ教会(右側)

  (1894年建立)           (1618年建立)

   

 

 <七十三番札所; Köszeg (クーセグ)聖ヤコブ教会>

   ところ; クーセグ町の中心にある。

    教会は1403~1407年にゴシック様式で建てられ、17~18世紀に部分的に

    バロック様式で改築された。 クーセグでは最も古く、大きかった教会である。

    (現在ではJéyus Szive 司教教会の方が外観的には大きくて立派)

 

今日見られる教会の正面部は1807年     塔は15世紀に内陣の上に追加された。

に改築された。

             

 

教会内部は3層内陣構造で、祭壇背面の壁にはビザンチン風のフレスコ画が15世紀に

描かれた。 黒死病(ペスト)で苦しむ人々にマントを差しだす聖女の絵は保存度もよく必見。

 

  左側内陣

 

  左側祭壇の背面に描かれたフレスコ画

  

  右側内陣

     

 

  

 


Jak (ヤーク)教会

2013-02-17 12:49:11 | 海外生活

本日は、ハンガリーとっておきの教会、私見かも知れないが最も美しいと、皆さんにお薦めしたい

教会のひとつである。 だから他の教会と抱き合わせは避け、今回ひとつに絞った。

 

<七十二番札所; Ják Sent György (ヤーク聖ジュルジ)教会>

 ところ; Szombathely (ソンバトヘイ)の町より9kmほど、南下したJák (ヤーク)村に教会は

      存在する。  Vas 県に所属。

  教会は、バジリカタイプのベネディクト大修道院であり、ハンガリーのロマネスク様式の傑出した

  教会建造物である。 これまでに破壊することもなく、芸術性に富んだ中世の教会を代表する

  国家的な遺産と云っても過言ではないだろう。

  1220年~1256年に聖ジュルジを祀るために建てられた。 

  外観を飾るキリスト伝教師及びライオン・山羊・ドラゴンといった動物達の彫刻、豪華な多重の

  モザイク門、内陣の石柱とこれほど贅を尽くした建造物は、ハンガリーには2つとないことだろう。

  この美しさをこの村だけに享受することにこだわりがあったのか、この教会のコピー(正面のみ)を

  ブダペストの英雄広場裏にあるVajdahunyad (ヴァイダハニャド)城脇に作り、週末には多くの

  カップル達の結婚式に提供しているとは、なんとも粋な計らいではあるまいか。

 

 

 大聖堂の正面向かいにある聖Jakab(ヤコブ)礼拝堂(1250年頃の建立)

 

 

    教会正面            教会祭壇(東)側外観

 

 

 南側外観(入口門)                        塔にあるロマネスク様式窓

 

 

     南門               南門を飾る山羊とドラゴンの彫刻

 

 

正面の2つの塔(バジリカ)下にある切り妻屋根の門は絶賛。 扉を縁取る多層のモザイク模様。

 

 

屋根の傾斜に沿ったブースの中にたたずむ12人のキリスト伝教師の像

 

 

  門前のライオン像(左側)                

  門前のライオン像(右側)

 

 壁に填め込まれた動物の彫刻

 

教会内部は3層内陣構造である。  

  主内陣(祭壇側)        左翼内陣(壁に佇む聖母マリア像15世紀作)

        

 

主内陣(入口、オルガン側)       右翼内陣 

       

 

 丸天井の対角線アーチリブ    

 

 内陣の柱に飾られた動物の彫刻

 内陣の柱に飾られた植物文様

 

内陣の壁に飾られている彫刻(ドラゴンと闘う神?)        豪華な説教台

 

    

 

     

 

 

 

 

  

 


Vas(ヴァシュ)の教会

2013-02-14 13:16:07 | 海外生活

<ロケーションの紹介>

 Vas県の県庁所在地は、Szombathely (ソンバトヘイ)、ハンガリー語では

 「土曜の場所」という意味で、なんとも週末にはぶらりと旅をしてみたい地名

 である。 人口約8万人で、ハンガリーでは10番目に大きい街である。

 紀元前よりローマ帝国のひとつとして栄え、本来の町の名前の由来は、当時では

 毎週土曜日に市が立っていたことからきている。

 その後、衰退していたが1777年に、マリア・テレージア(ハプスブルグの女帝)に

 よって再興された。 幸い、オスマントルコの支配を免れたため、町中には古代

 ローマや中世の遺跡が残っている。

 今日旅する南部一帯は、Őrség (ウールシェーグ)地区といい、風光明媚で、古い美しい

 教会も多く、ぶらり旅には一押しなエリアである。 近くに、良質の湯を持つ温泉

 (Sárvárá;シャールヴァール)もあるので、途中に寄るも一考。

 

 

<六十八番札所(注1);Csempeszkopács (チェンペスコパーチ)教会>

 (注1)札所と名付けたのは、ハンガリー全土の古刹(寺を教会に替えて)を遍路しようと

     いう広大な計画を続けており、現在、この教会で68番目であることを意味する。

     56番目までの札所は、バラトン湖周辺の古刹遍路で、興味ある方は、ホームページ

     http://invitelweb.hu/otsuka をご覧ください。

 

 ところ; Szombathely より東南15km、国道87号線沿いに教会はある。

  教会の名称はSzt. Mihály (聖ミハーイ)教会で、1250年頃にロマネスク様式で建立された。

 

単内陣と半円形の祭壇は先に完成し、後に塔が追加された。

  

 

                      窓と屋根庇の縁飾り

  

 

東門は典型的なロマネスク様式であり、ハンガリーで最も美しいと呼び声高いJák教会

(次回の掲載予定)を彷彿させる気品あるモチーフになっている。

  

 

内陣の壁にはキリスト教の使徒達を描いたフレスコ画があったが、13~18世紀の間に、何度も

上塗りされ、今は見ることは出来ないが、それ以降にプロテスタントが描いた物が残っている。

 

  祭壇天井のフレスコ画

 

<六十九番札所; Őriszentpéter (ウーリセントピーテル)教会>

 ところ; Szombathely (ソンバトヘイ)より、国道86号線を南下すること50kmの

      Zalalövő (ザラルボー)を西に進路を変え、更に14kmのオーストリア国境

      沿いに教会はある。

  教会は、ローマカトリック教会であり、ロマネスク様式で1230年頃に建てられた。

  14~15世紀にゴシック様式で拡張し、オスマントルコの攻撃に対して、砦や溝を掘って

  補強し対抗した。 17~18世紀の約130年間は、プロテスタント(カルビン派)の教会として

  使われたが、1730年より再び、ローマカトリックに戻ってきた。

  1929年に改築されたものが、今日見れるものである。

  

 

当時飾られていたローマ時代のフレスコ画は破壊され、唯一、南側の外壁に、かすかに面影を

見ることが出来る。

 

屋根の下にロマネスク様式の縁取りモザイクが残っている。

 

内陣の天井壁に残されたプロテスタントが使っていた聖書の引用文(18世紀)

 

<七十番札所; Velemér (ヴェレミール)教会>

  ところ; 前出のŐriszentpéter 教会より県道を国境沿いに、11km南下したところにある。

   教会の正式名称はÁrpádkori műemlék (アルパード王朝記念)教会と訳せば良いだろうか。

   Őrség (ウールシェーグ)で最も有名な建造物と云われている。 特にフレスコ画は必見である。

   内陣いっぱいに描かれたフレスコ画は、完全に残され、専門家にとっては垂涎の遺物である。

 

 

単内陣構造で、内部にはフレスコ画の他には何もないが、何も必要ないであろう。

 

1377年に、 Aquila János (アクイラ・ヤーノシ)によって壁に描かれた聖伝説の画は

世界的にも有名である。 

 

 

 

<七十一番札所; Csesztreg (チェストレグ)の教会>

   ところ; Velemér (ヴェレミール)の教会より、更に国道86号線に向かい(東に)、10kmの

        県道沿いに教会はある。

   教会はカトリック司教教会で13世紀後半に建立された。 1803年にこの地の領主

   エステルハーズ家がバロック様式で改築した。 

   当時のオリジナルサイズを教会の壁に赤い線で描いてくれているのは、なんとも親切なことか。

 

 

 

内陣は煌びやかなフレスコ画で改築当時(1808年)に飾られた。

 

Dorffmeister Istvan の作品である。