撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

Veszprem (ベスピレーム)の教会(4)

2013-02-12 15:21:44 | 海外生活

Veszprém 市街から北西に70km離れたところに Pápa (パーパ)という町があり、

人口は約32000人でVeszprém県の県境に位置し、Veszprémの行政域内である。

Pápa は辞書を引くと「ローマ教皇/法王」という意味になる。 教会を巡ろうと志す者としては、

必見の所ではなかろうかと訪ねることにした。

Pápa はドナウ川流域の町のなかでは、プロテスタント(カルビン派/ルター派))の中心的な

町であることから、さほど古い教会がなく、革新的で文教の町であったと思われる。

その根拠として、ハンガリーを代表する作家、Petofi Sándor, Jókai Mór, Eötvös

Károly, Thaly kálmán 等の学んだ地である。

1531年に建てられた改革派のカレッジ(Református kollégium) には彼等を輩出

したことを示す文献が数多く展示されている。

但し、今日見られる学校の建物は1895年に改築されたものである。

余談ではあるが、この原稿を書いている日(2月11日)に、時を同じく、現ローマ法王

(ベネディクト16世)の退位表明が世界を駆け巡ったことは奇遇と思えてしまう。

  

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<六十四番札所; Kéttornyúlak Református (カルビン派)教会 >

  ところ; Pápa のダウンタウンを5kmほど南下(国道83号線に向け)した、パーパ通り

        沿いにあるKéttornyúlak (ケート・トルニューラク)という村にある。

    この教会は、12世紀にロマネスク様式で建てられたプロテスタント(カルビン派)の

    教会である。 この地区ではもっとも古い教会である。

 

 2つの尖塔を持ち、その下の入口門はオリジナルを保存している。

 村の名前 (Kéttorny)はハンガリー語で「2つの塔」という意味からして村の名前の方が

 あとから付けられたと推定される。           

                                                                門の縁を飾る紋様と2つ並んだ

                                  小さな窓はアンティークを感じさせる

 

 

門の庇の下に飾られたライオンノ彫刻(オリジナル)

 

 

    内陣内部

 

<六十五番札所; Pápa ローマ・カトリック教会 >

   ところ; Pápa (パーパ)の中心部にある。

    ドナウ川流域でも、屈指の大きさの教会のひとつであるが、古くはない。

    ローマカトリック司教教会として Fellner Jakab を祀る為に、バロック様式で、当時の

    領主Esterházy Károly (エステルハージ カーロイ)によって、1774~1786年に

    建立された。

     

                                 二つの塔の間には殉教者、聖イストヴァーンの像が立っている                          

 

 

三角屋根の庇の下にあるのは、エステルハージ家の家紋。

  

 

   内陣内部(祭壇側)

 

両サイドの像には、カラーラ(イタリア北西部)の大理石を使用(Prokop Fulop の作)

絵はHubert Maurer の描いた「殉教者聖イストヴァーンの描写」

 

内陣の天井ドームに描かれているフレスコ画は Maulbertch (マウルベルチ)の作品

 

<六十六番札所; Pépa Remormétus (カルビン派)教会 >

  ところ; Pápa (パーパ)の中心部にある。

      二つの尖塔を持ったネオルネサンス様式の新しい教会である(1941年建立)

   ドナウ川流域で最も大きく、ハンガリー国内で4番目のカルビン派の教会と云われている。

                        塔の中に、信者より奉献された4つの鐘がある。

   

 

<六十七番札所; Lovászpatona Evangélikus (ルター派)教会 > 

  ところ; Pápa (パーパ)の町より、北東(国道82号線)に向かって、22kmほど北上したところ

        の村 Lovászpatona (ロヴァス・パトナ)にある。

    教会はプロテスタント(ルター派)の教会で、13世紀にロマネスク様式で建てられた。

    その後、何回か建て替えられた。 最初はゴシック様式で、次に18世紀にバロック様式に。

 

   

 

外壁の一部には、中世のフレスコ画の跡が残っている。

  

 

 

内陣内部(祭壇側)                内陣入口側(祭壇の反対側)

 

 

祭壇の天井には、神のフレスコ画が残っている。           塔の下の入り口