‟ニッポリ”と促音が入りアイヌ語が由来ではないかともいわれるが「新堀」がなまったもので”一日暮らしても飽きない”からきているという。我が家のファミリー.ヒストリーによると、一家は明治30年台初めの数年間、日暮里町金杉に住んでいた。当時の記録によると、音無川の”清流”に沿った豪邸で、屋敷内には井戸が二つあり子供が泳げる池まであった。
今、日暮里というと駅東口を中心の繊維街だが、昭和の時代からつい最近までは駄菓子問屋街として知られていた。街には明治大正の郷愁を誘う一銭菓子や玩具を店前に置く店が立ち並んでいた。東京の下町が似合う街であった。
昔の江戸が残る界隈として「谷根千」という言い方が使われている。日暮里に隣接する谷中、根岸、千駄木の頭三文字をとったものだが、三代続く江戸っ子にはなじめない。といって目から見ればぴったりなのだが、日暮里の段々の夕日とは言わない。やはり谷中の夕焼け段々である。
北京五輪で水泳平泳ぎ二種目で金メダルを得た北島庸介選手の実家は日暮里駅前の肉屋さんである。