「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

サイパン玉砕から75年 バンザイ.クリフへ慰霊の旅

2019-05-15 05:01:41 | 2012・1・1

海外の激戦地への慰霊の旅を続けておられる岡山在住のIさんから昨年暮れぺリリユー島とアンカゥル島へ出かけられた「カメラ紀行」(私家版)を頂戴した。ぺリリユ―島では遺骨収集団の焼骨式にも参加され、その時の式の写真が表紙に掲載されてあった。痛ましい。改めて戦争の残酷さに思いをはせ、英霊のシャリコウベの写真に手をあわせた。

Iさんは今日から今度はサイパン、テニアンへの慰霊の旅に出発される。今年は激戦だったサイゴン戦(昭和19年6月28日ー7月9日)が終わってから75年に当たる。サイパン島の戦闘は激烈で、島の陸海守備軍は、上陸してきた米軍の攻撃に衆寡敵せず”今や進むも死、退くも死”として"聖寿の万歳と皇国の繁栄を祈念して”全員玉砕した。島の北部には、最後の守備軍と民間人が両手を挙げ、天皇陛下万歳を叫びながら70m崖下の海に飛び込んだマッピ岬がある。米軍はここを”Banzai cliff"と呼び、今は記念公園になっている。

明仁上皇と美智子皇太后も2005年、サイパンへ慰霊の旅をされている。Iさんも両陛下と同年配の戦前生まれ、戦争を知る最後の世代である。僕ら昭和1ケタ前半生れ世代は、残念ながら足腰が弱り、海外旅行が難しくなっていた。Iさんも”いつまで続けられるか”と言われているが、次の世代にも慰霊の旅はぜひ続けて貰いたいものだ。

 

 

 


最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (chobimame)
2019-05-15 09:06:41
昭和の時代は、こうした話しがニュースとして取り上げられていました。民間の活動も今より活発でしたし、政府も今より活動していたように見受けられました。
今はもうニュースにもなりません。忘れてはいけないのに忘れられた花になっています。こうした状況は未来の若者達の育成にも影響をするのだと思います。
戦争に関する事は何年かかっても真面目に取り組むべきです。
返信する
次の世代も (kakek)
2019-05-15 14:35:45
chobimame 様
父親が戦争で犠牲になった世代も70歳代、足腰が弱り,慰霊の旅に行きたくとも行けない世代になりました。孫の第三世代になると、残念ながら風化しきます。国で建てた慰霊碑すら参詣する者が減っていているそうです。在外公館が玉砕の日を決めて祈りを捧げる日にすべきです。ご遺骨がいまだに収集されないまま異国に眠っているとは信じがたいです。
返信する
東京空襲のためのB-29航空基地 (lordyupa)
2019-05-20 23:27:16
サイパン島での日本国軍玉砕の数か月後には航空基地の整備を終えて、東京を初め日本全土が空襲できる体制が築かれ、基地への海路補給も十分確保した上で、いよいよ本格的に、この基地から米軍はB-29で、波状的に、日本全土を襲い都市部を焼夷弾で焦土と化した。たとえ、数ヶ月といえども、本土への空襲を受ける時期を遅らせるために、決死に戦った英霊の御遺骨の収集は、ブロガーの書かれたとおり、大切だと思います。

近年、
南シナ海のサンゴ礁を埋め立てて、中共は、軍事基地を沢山建設してしまった。この埋め立てた南シナ海の基地から、中共の爆撃機はどこへ、飛び立つのだろうか?
返信する
慰霊 (kakek)
2019-05-21 12:58:18
lordyupa 様
昔の仲間(故人)の夫人から、新婚早々の義兄がサイパンで無線兵として最後まで戦った話をメールで頂戴しました。戦後、義母は”岸壁の母”と同じように復員先の港へ義兄を迎えに行っていたとのことです。
僕も激戦地だった地へ訪れるときはお線香を持参します。全く戦争に関係のない世代になったときも慰霊の気持ちはわすれないでほしいものです。
返信する

コメントを投稿