「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦後初‽の神宮球場野球大会

2018-11-05 05:27:56 | 2012・1・1
プロ野球の日本一を決める今年の日本シリーズは福岡ソフトバンクが広島カープを4勝1敗1分で破って優勝した。これで今年の野球シーズンも終わりだが、最近はテレビの野球観戦しか、あまり興味のなくなった80半ば過ぎの老人にとっては寂しい限りだ。振りかえって見ると、戦前の昭和時代から都会の少年にとっては、野球は唯一の日常の遊びではなかっただろうか。

戦争中、野球は敵性スポーツと言われて”ストライク”も”ボール”も使用禁止だったと一般に言われているが、僕には記憶がない。昭和17年、東京の国民学校(小学校)生徒には緒戦の勝利を祝って軟球(健康ボール)が配給になったし、僕らは路地裏の通りで”ゴロ.ベース”を楽しんでいた。昭和20年、勤労動員先の工場でも昼休みにキャッチ.ボールをしていたのを想い出す。

だから、戦争が終わって野球が観戦できるようになったのは大変な喜びっだった。20年11月4日(日)の亡父の日記には、僕が何年ぶりかで弁当を持って神宮球場へ出かけたという記載がある。11月18日にも僕は“オール早慶戦“を観戦しており、その記憶はあるのだが、4日の試合の記憶がない。神宮球場史を調べると、10月28日に東京6大学OB紅白試合の記録はあるが、4日の試合の記録はない。なんの試合だったのだろうか。

プロ野球(職業野球)も11月23日の休日(新嘗祭〉、神宮球場で東西対抗戦が行われている。しかし、当時、プロ野球は今のように人気はなく、新聞も結果を報道しなかった。もちろん、テレビもなかった時代である。川上の赤バット、大下の青バット以前の話。球場の外野席は芝生だった。