「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「テネシー.ワルツ」の流行した時代

2013-01-04 07:10:36 | Weblog
米国の女性歌手パティ.ページさんが元旦にカリフォルニアの療養先で亡くなった。85歳であった。1950年(昭和25年)彼女が歌った「テネシー.ワルツ」は全米ヒット.チャート一位を数週間独占し、ミリオンセラーとなった。日本でもこの歌は57年、江利チエミ、美空ひばり、雪村いずみが日本語でカバーし空前の大ヒットとなった。

この時代、青春のど真ん中にいた僕にとって「テネシー,ワルツ」はボブ.ホープ主演映画「腰抜け二挺拳銃」の主題歌「ボタンとリボン」やナットキング.コールの歌った「トゥ.ヤング」などとともに忘れられない愛唱歌の一つだ。当時、日本全国の街頭放送やパチンコ屋の店先からこの歌がいつも流れていたのを覚えている。

1950年代のわが国は連合軍のまだ占領下にあった。敗戦によって米国の文化が一度に入ってきた時代であった。僕ら若者は進駐軍向けラジオ(東京地区はWVTR)にかじりついて聴き、各地にあったCIE(連合軍教育文化局)の図書館へ行き、よく理解もできない「Life」とか「ReadersDigest」「News Week」といった雑誌のページをめくってみた。雑誌からは、まだ見ぬ米国へのあこがれのような匂いがあった。

これらの雑誌もすでに廃刊になったり、紙媒体から撤退している。当時僕らが最も憧憬の的であった電気洗濯機、冷蔵庫、テレビ、自動車などで象徴された米国の文化生活は すでに日本では日常的なものになってきている。パティ.ページさんの死を聞いて、あの時代が懐かしく、パティ.ページさんへの弔文とさせてもらった。