「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

             「どんど焼き」と「どんどん焼き」

2013-01-14 06:42:13 | Weblog
「成人の日」が1月15日に固定されていた時、この日は昔の「小正月」であり、全国的に色々な祝事や催しがあった。「どんど焼き」(地方によっては左義長)もその一つで、正月の松飾りやしめ縄、古いお札などを神社に持ち寄り境内に積み上げておたき上げした。東京では浅草の鳥越神社の「どんど焼き」が有名で、僕は叔母一家が戦前、蔵前に住んでいたので、従弟たちと一緒によく出かけた。この「どんど焼き」も最近はハッピ―.マンデイの関係からか必ずしも15日ではなくなってきたようだ。

戦前昭和の頃、東京の下町では「どんど焼き」と名前がよく似た「どんどん焼き」というお好み焼きの店があった。池波正太郎の随筆「むかしの味」の中にも出てくるが、戦前僕が住んでいた目黒川沿いの五反田にもあった。駄菓子屋の一角に鉄板を囲んだ小部屋があり、店のおばさんが注文に応じて作ってくれた。池波正太郎の「むかしの味」にも出てくるが、鉄板の上に水で溶いた小麦粉を流し、その上に漉し餡と豆餅を入れ、ロールに巻いて食べるのが子供たちには人気があった。

これに似た食べ物がインドネシアにある。マルタバ.マニス(martabak Manis)といい、やはり同じように鉄板の上に小麦粉をしき、甘く煮た豆や蜂蜜などを入れて焼いて食べる。martabakはアラビア語のmurtabak(折りたたむ)からきているそうで、インドネシアだけでなくマレーシアなど東南アジアや中東のイスラム国でも同じようなものがあるそうだ。要するに甘口の”お好み焼き”であって、一番簡単にできる食べ物なのである。歳をとったせいか、過去への郷愁からか「どんどん焼き」が無性に食べたくなった。