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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

一本の線の中に全てが、、

2013-08-20 | 本の紹介
あまりの暑さに「とても仕事どころでは無い!」なんて暑さのせいにすることなく、しっかり初心に戻って学ぶべく、前から憧れていた「松柏美術館」に出かけました。

この美術館は皆様もすでによくご存知のように、昭和23年(1948年)に画家として女性で初めての文化勲章を受章した上村松園の私設美術館(公益財団法人)で、嬉しいことに我が家からはすぐ近くなのです。
(と、言っても電車、バスを乗り継いで30分弱ほどかかりますが、、)

ここは池の側に建っていて、庭園が広くて松林の美しいことで有名です。
園内に茶室もあるようですが、残念ながらこの日は閉まっていました。


私の行った日はちょうど午後2時から館長の上村淳之(あつし)氏の講演もあり、ラッキーでした。

上村淳之氏は松園の孫にあたり、その父(松園の息子)の上村松こう(こうは竹冠に皇という漢字)氏も文化勲章を受章しており、親子三代にわたる日本画家です。
(正確にはこの美術館には親子三代の絵が展示されています)

松園は京都の生まれだそうですが、晩年は奈良の平城で暮らし、そこが終の住処となったことを知って、何だか嬉しくなりました。
だって、平城と言えばほんとにすぐそこで、こんな近くにそんな素晴らしい画家が住んでいたなんて、想像するだけでもワクワクします。


私の尊敬する女性画家は、他にも例えばジョージア・オキーフ、三岸節子、小倉遊亀、片岡球子、堀文子、等々たくさんいますが、上村松園(敬称略)のことを初めて知ったのは、確か宮尾登美子の新聞連載小説だった『序の舞』からだったかと思います。

宮尾登美子の小説を読んだのもその時が最初で、もちろん上村松園のこともそれまで全く知らなかったのですが、その小説は本当に面白く、二人の女性の名は深く印象に残りました。


その後、松園自身の書いた随筆『青眉抄』を読んだ時には、その文章や文体、言葉の一つひとつが、その頃短詩型文学に親しんでいた私にとってはこの上ないお手本のように思えて、その本の中から特に好きなところや気になるところを、自分のノートに書き写したものでした。
(その頃は彼女の絵のほんものに接する機会も無く、まずその考え方や随想に惹かれていたのです)


さて、話があとさきになりましたが、今回の企画展(8月13日ー10月14日)は「女性たちの物語」ということで、特に興味がありました。
なぜなら、「静御前」「楊貴妃」「草紙洗小町」その他「能」にまつわる女性たち(能面)の絵などが主に展示されていたからです。

そこで実にいろいろな発見!?がありました。
静御前が意外に華奢というか、小柄な感じで、外見はそんなに強そうな感じでは無かった(もちろん芯は強靭と思いますが)こと。

そして楊貴妃の上半身裸(上衣は着ていますが胸はあらわ)の姿をまじまじと観ることが出来たこと。
その胸はきゅっとアップして巨乳なんてことは全く無く、むしろ自然な感じて垂れて?いて、そんなに大きくも無く、お腹もふっくら?というか、決して「風と共に去りぬ」の主人公のようなウエスト53センチ!?みたいなことは無くて、柳腰というイメージでも無かったこと。

すなわち、もの凄く特別というのでは無く、「ごく普通の美女」のような感じに描かれていたのです。
喩えて言えば藤の木古墳の壁画に描かれていた美人画にも似ているような、、。

ほんとにこれならたまわーるどのたまさんだって決して負けないわ!という感じで、私の目から見ると、どうしてこの女性(楊貴妃)が国を傾けるぐらい?男性を迷わせる程の魅力があるのか!?と、思わず絵を凝視してしまいました。
(これならもしかしたらあのクレオパトラの方がさらに上だったかも、、などと内心思いながら)


もちろん松園で無ければ決して描けないぐらい優美で気品があり、非の打ちどころの無い超美人ではあるのでしょうが、私の想像では、もっともっと「妖艶」な筈と、なぜか勝手に思い込んでいたのです。
観るだけで男性なら思わずくらくら~っとなるような!?(まさか)


けれどもよくよく考えてみれば、まあ、自分の歳も関係あるのかもしれませんね。
きっと20代の頃にこの絵を観ればまた違った感想を抱くことと思いますが、今の私にとっては色気とか、女性の美というのは、宇宙よりもはるかに遠い話?なので、私の観る目も感性も曇って来ているのかもしれません。

それでもまじかに観た「楊貴妃」は、「女」というよりも、「小娘」というか、まるで少女のような清らかな雰囲気に思えたのでした。
もしかしたら彼女を溺愛した王も、その無垢さや純粋さにこそ惹かれたのかも?しれません。
おじいちゃんが幼い孫娘にメロメロになるようなそんな感じなのかもしれません。


いずれにしても上村松園の目からは「楊貴妃はこのように見えた」のだとしたら、その目はさすがだな~と脱帽しました。
そして彼女の描いた絵から、楊貴妃がそんな女性だったとわかって何だかほっとしたのです。
(まさかそれまで同じ女性として「競争心や嫉妬心を抱いていた」なんてことは、こと、私に限っては全くあり得ない話ですが、、爆笑)


さて、いつものごとく、話は長くなりますが、ここからが本日の本題です。

先述したようにこの日、上村淳之氏の講演があったのですが、時間は短いながらもほんとうに深い話が聴けました。

中でも私が感動したのは、日本画の神髄というものは、(日本画で無くても西洋画もそうかもしれませんが)一本の線にあり、しかもそれは
墨で描くので、油絵のように後で塗り重ねたり、鉛筆や木炭のデッサンのように消したりが出来ず、その一本の線の中に、全てがあるということなのです。

その一本の線の中に、色はもちろん、質感もあり、重みも空気感も、遠近感も上下も感じさせるということなのです。

例えば西洋画では、必ず天地を分ける線が描かれ、もののかたちには影が付けられることによって、立体感が出るように、また遠近感も付けられたりするわけですが、日本画では全てが平明に平面的に描かれながらも、その線だけで、全てが語られるのです。

だから天地を分ける線が引かれていないとしても、そこに描かれている立ち木が(根も無く)宙に浮いているように見えてはダメなのです。
何も無い中に鳥が描かれても、それがほんとうに空を飛んでいたり、水の上を泳いでいたり、そのリアリティというものが、ちゃんと区別が付けられて、絵を観ている者に伝わらなければ失敗作なのです。


何よりも描いた者の想いが伝わること。
その絵に込められた作者の想いや、気迫。それが何よりも大事だということ。

西洋画では、例えば天使の羽根が小さく描かれるけれど、あんな小さな羽根で空を実際に飛べる筈が無い。
日本画では「天女」に羽根が描かれることは無いけれど、何も無くても軽く浮いて確かに空を飛んでいるように、ほんとうにそのようにちゃんと見える。

つまり西洋画は「三次元」の絵だけれど、日本画では最初からさらにもっと上の次元を当たり前のように描けるのだということ!!!
これはほんとうに目からウロコのお話でした。
西洋画よりも日本画の方がずっと進化(深化)していて、「五次元すら描ける絵」なのだと知ったことはとても衝撃でした。


また、淳之氏は自宅で鳥をたくさん飼っておられるそうなのですが、鳥というのは、前と後ろを同時に囲まれることをとても嫌がるのだという、興味深いお話をしてくれました。

なるほど~。だから、あのカゴメの唄☆「後ろの正面だ~れ♪」というのは、切実感に溢れているのかもしれませんね。

私たちも今や、前も後ろも「三次元の現実」にびっしりと囲まれているような「閉塞感」の中で、誰もが相当に苦しい想いをしている気がしますが、実は羽根が無くても飛べるし、上へと、五次元へと、ガラスの天上をも「突き抜けていける」ということを思い出したいですね。


そんなわけで、今回の美術館巡りは私にとって、館長のお話と共に大いに参考になることがあり、とても有意義でした。
素敵な巡り合わせと、絵の制作にまつわるめったに聴けないような本音のお話に心から感謝です。


なお、私は館内で観た上村松こう氏の「蓮」や白い鳥(題名は忘れましたが、枝に止った鷹?が月を見上げている構図)の絵に、殊の外感銘を受けました。
絵の中にすっかり入り込んでしまい、眺めているだけでも時を忘れてしまいそうでした。

館内に今は飾られていない絵の「絵葉書」もたくさん売られていたので、何枚か気に入るのを選んで買って帰って裏を見たら、何と全部上村松こう氏の作品ばかりでした!

「美人画」もさることながら、やっぱり私は花やら、鳥やら、自然が好きなのかもしれません。
上村松園の絵はもちろん、その「生き方」もとても尊敬しているのですが、、。

そして私は(描くこと以上に?)「絵を観ること」がほんとうに好きなんだなということも再認識しました。


追記:下記の本もお薦めです。
(館内では画集や本などもいろいろ販売されていました)

☆『生きる 描く 愛する』四十二人の名画家物語 (田中 譲 著/婦人之友社)

☆ 上村松園全随想集『青眉抄・青眉抄その後』(求龍堂)






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