ねずさんのひとりごと さんより転載です。
「平和主義の理念」を守るというなら
http://blog.livedoor.jp/cordial8317/archives/51855620.html
今次期民主党代表候補でもあり民主党の顔でもある細野豪志政調会長は講演で、「平和主義の理念を確り守ることが必要だ」として、次期総選挙では、改憲を掲げる自民党や日本維新の会、石原新党との対立軸を明確にする考えを示した。
だから民主党はダメなのだ。
尤も民主党は周知の通り、護憲派の自治労や日教組、同盟などが支持母体であり、「輿石支配」なのだから「憲法改正」など表明出来る訳はない。
日本の政治がいつまで経っても進歩がないのはこういうことだ。
現憲法は国の最高法規とは言えない代物で、実に矛盾だらけ。
「平和主義」にしても、憲法第9条に在る「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源であり、日本や米国、英国、仏国、伊国など多くの国が締結している。
しかし、戦争放棄の国際条約を結んで世界から戦争が無くなったかというと、皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往った。
「平和主義」を憲法で謳っている国は80ヶ国以上に上り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定がある。
護憲派は「世界で唯一の平和憲法」と賛美している様だが、これこそ無知と日本人の奢り以外の何ものでもない。
第9条第1項で、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」としながら、第2項で「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」とは理解に苦しむ。
これを読めば、悲しいことに自衛隊は憲法違反の存在なのだ。
歴代首相の靖國神社への参拝は、政教分離を謳った第20条違反であり、所謂「A級戦犯分祀論」も靖國神社への政治介入であり同法違反だ。
「私学助成金制度」は第89条違反。公金その他の財産は国とは関係のないものに使用してはならず、朝鮮学校の無償化だとか公金の流用は言語道断だ。
田中角栄は、日本が主権を回復した昭和20年4月28日に締結した「日華国交条約」という国際条約を、日中国交条約締結の際に一方的に破棄したが、これは明らかな憲法違反であり、つまり「日中国交条約」は無効であろう。
第98条には「いかなる理由があろうとも、日本が締結した条約は破棄してならない」と明記されている。抑々先の大戦で我が国が戦ったのは中華人民共和国ではなく、中華民国という現在の台湾だ。戦後独立を果たした中共ではない。
第96条には憲法改正の条項が明記されている。
「国会議員の3分の2以上が発議し国民の過半数の同意」で憲法改正が出来るととされているが、これに基づき発議すれば、憲法99条に明記されている「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」とあり、改憲発議自体、憲法を遵守していないことに問われることになるのだ。
「現内閣では憲法改正は致しません」という不毛空論の議論が繰り返されて来たのはその為だ。
石原慎太郎は憲法について、「無効論」を訴えているが蓋し正論であろう。
最早矛盾だらけの日本国憲法は改正するより破棄した方が早いのだ。
自主憲法も創ればいいが、憲法を創案出来るほどの人物は見当たらない。
ならば、大日本帝国憲法(欽定憲法)を復元し、改正、追記するのが一計だろう。
成分憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年の米国。次いでノルーウェー、ルクセンブルグ、スイスと続く。
昭和22年の日本は15番目だ。ところが米国を始め何処の国も時代に即し改正しており、一字一句改正されていない日本国憲法は、今や世界で最も古い憲法となっている。
憲法は国の基本法であり、時代の流れに応じて変えていくものだ。
環境問題、情報公開、プライバシー保護、尖閣列島や竹島に見られる主権問題など、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は変化している。
改正議論が進まない理由の一つに「護憲派」の抵抗があるのは当然だが、細野の様な「平和主義」という綺麗ごとで議論をも避けられて来た結果である。
戦後米国が我が国を統治するが、統治時代に「朝鮮戦争」が勃発する。主権を回復したのはいいが、憲法を改正し再度軍事力を持てば米国に駆り出されるのは必至であり、吉田茂らは非武装を謳っている現憲法を利用したというのが事実だろう。
本来なら自民党が改憲政党として発足した昭和30年に早々に改正すれば済むことだったのだろうが、高度成長や景気対策を優先する余り、それを怠ったのが原因であり、自民党の怠慢以外の何ものでもない。
平和主義の理念を守れば平和が訪れる時代ではない。
平和というのは自分達で創り出すものだ。今迄の平和は単なる偶然と米国の軍事力の御蔭だ。
魂なき繁栄に現を抜かし、まやかしの平和をいつまでも貪っている訳には参らないのだ。
今こそ日本衰退の元凶である日本国憲法の「平和主義」という偽善を取り払い、真の平和を創造しなければならない。
〜〜〜〜〜〜〜
実に、わかりやすく、よくまとめられた名文だと思い、そのまま転載させていただきました。
現行憲法は、国としての姿を示せない占領下において、占領軍が日本を統治するために施行した占領下の日本人に対する「占領のための目的法」です。
ですから成立の状況からして、そもそも「憲法」の名に値しません。
あくまで超法規的存在としてのGHQの存在を前提としているからです。
戦争を放棄した平和憲法というけれど、その実態は「占領軍によって軍政下におかれた国が、その交戦権を否定」しているだけのことです。
簡単にいえば「占領軍に楯突くな!」というだけの話です。
占領軍がいなくなったあとの国防なんか知ったこっちゃないというのが、現行憲法です。
そんなものをいつまでも金科玉条の如く墨守するなんていうこと自体、馬鹿な話です。
日本国憲法が「世界で唯一の平和憲法」というご説は、私も中学だか高校だかで習った記憶があるけれど、実は「平和主義」を憲法で謳っている国は80ヶ国以上。
これでは、韓国の教科書が、世界五大文明とかのデタラメを教えていることを日本人は笑えません。
憲法20条というのは信教の自由を定めたもので、そこには「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあるけれど、だったらどうして宗教法人は非課税なのか。
さらに「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」というけれど、宗教というものが人々の生き方や社会の基幹となるものと考えれば、日本国憲法なるものも一種の日本国憲法教という宗教であり、日本人は日本国憲法に基づく教育や活動をしてはならないということになってしまう。
わけがわかりません。
その他、現行憲法の矛盾は上の記事が示している通りなのですが、では、変えようとすると、そこには無効論、破棄論、改憲論等があり、またこの先どうするのかについても、様々な憲法草案があり、それぞれがそれぞれの一長一短を指摘しあっていて、なかなか議論がまとまりません。
ただ、そうした議論をする上で、大切なことが、実は、このブログ「爆ちゃん吼える」のタイトルの下に書いてあります。
それが、
〜〜〜〜〜〜
我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない。
〜〜〜〜〜〜
という西 晋一郎(にし しんいちろう)の言葉です。
西 晋一郎というのは、昭和18(1943)年正月には、昭和天皇に論語の漢籍の進講をされたこともある戦前の日本を代表する倫理哲学者です。
要するに「君国に忠、親に孝」であるか否か」
これを離れては、人類愛も平和主義も憲法論議も空理空論どころか、ただの「空想」に過ぎない。
議論は大切です。
批判も大切です。
けれど、どの批判が中傷で、どの批判が正義なのか。
正義の発露と非難中傷のどこが違うのか。
その根幹にあるのが、「君国に忠、親に孝」であるか否かであろうと思います。
日本という国は、2700年の伝統ある君主国家です。
ならば、日本を大切に思うなら、君主国家であることを忘れてはならない。
その「君」に「忠」か否か。
そして日本の建国の理念は、「八紘をおいて一宇となす」という家族国家の形成にあります。
「君国に忠、親に孝」
日本を再生するということは、日本が別な国になることではありません。
それでは支那と同じ易姓革命になってしまう。
易姓革命なら、前政権を倒した新政権は、前政権に所属する人間を徹底的に殺戮するのみならず、建物・備品・美術品そして墳墓に至るまで全て破壊し尽くすという非道国家になってしまいます。
日本を再生するということは、日本国の原点である日本の背骨を取り戻すということです。
そして日本の背骨とは何かといえば、「君国に忠、親に孝」ということです。
つまり日本には天皇がおわし(君)、すべての日本人(国)が、陛下のもとにひとつの家族となって(忠)、先祖代々続く日本人としての血統を重んじ(親)、父祖に恥じない生き方を実現する(孝)、ということです。
そこに、新しい未来の日本を築く、幹があるのではないかと、私は思っています。