鮎和竿へのノスタルジア。。。
鮎友釣りを始めた頃、憧れの和竿について思い出を語ってみようと思う。江戸和竿の職人が当時はしのぎを削って、和竿作りに邁進していたんだな。特に東作を筆頭に竿忠、俊作・・・・・・・・等々和竿師が一世を風靡していた。当時(40年前)東作の鮎和竿なんか良い物は30万以上したんだよ。現在の貨幣価値にしたら幾らになるんだろうね。自分も東作竿欲しかったけど夢の夢だったな~。
写真の3本は自分のnostalgiaなんでね。現在も時々ロッカーから出し眺めて してるんだ。勿論竿脂・火入れ等して現在も大事に保管しているよ。体力があるうちに今年は小河川で再デビューさせるつもりなんだがね。
さて写真の左は友釣りを始めて最初に手にした3間半(6.36m)の和竿。確か当時25.6才の時だったと思うな。収入も少なくて高価な和竿は無理。3万円位の安竿だったけど。。。石州作。始めての手にした和竿で、始末できずに未練がましくとってあるんだよ。
右の和竿は、先輩諸氏が多用していた島田汀石作の4間竿(7.27m)と中の和竿は同作の3間半竿(6.36m)。当時としては憧れの人気鮎和竿。
1977年でかれこれ32年前の作だよ。当時若輩者の自分にとっては非常に高価で24.5万した和竿だったな。これを手に入れるため、セッセと貯金してやっと手に入れた時は、嬉しくて2.3日寝られなかった思い出が有るな。結構人気の竿で注文して手に入れるまで2.3年待ちだった記憶があるよ。何故人気だったかと云うと、200匁(750g)を切る鮎竿が無かったが、汀石は4間で200匁を切っていたよ。今では9mで200gのカーボン鮎竿も当たり前の時代だが、当時は軽量の鮎和竿で人気だったんだ。それにしても当時200匁(700g)以上の鮎竿を一日操作する難しさは、今の若い鮎師には考えも及ばないだろうね。
真ん中の写真は2年後に出来上がった3間半の和竿。この竿も汀石作だよ。160匁を切る竿で4間に比べて軽量で操作抜群だったな。とくに当時は引き抜きなど無く引き寄せオンリー。良い和竿は鮎が掛かると上流へ平行に竿を寝かせ、2.3歩下がってじっと我慢していると、竿自体が鮎を寄せてくれて、難なくタモへゲット出来る点だったな。
この3間半竿も同様だったし、手元に伝わるオトリ鮎の泳ぎがダイレクトに伝わる優れ竿だったよ。見ても分かるように竿の節目が手元と手元2番が揃っているだろう。これが優れた鮎和竿の特徴だよ。こいつが一番のお気に入り だったね。
現在は各メーカーからカーボン含有率の高い高価な竿が出ているが、まだまだオトリの泳ぎの伝達性、掛かった鮎とのヤリトリ性は和竿を超えていないね。自分はそう思うよ。今年は是非にも小河川でカンバックさせたいと思って居るんだ。勿論バカを1m程とって、引き抜きなどせずに、往年を思い出し引き寄せでヤリトリを楽しむんだ。。。。 川で見かけたら声掛けてよ。
そうそう、メートル法で育った若い釣り人には、3間&4間と言ってもチンプンカンプンだろうから、補足だけどチョイト尺貫法を説明するよ。又、江戸和竿に興味のある人は、東作の正統を受け継つでいる友人 『稲荷町・東作』 のHPを覗くと良いよ。
1間=6尺=1.818m 1尺=0.303m
1貫=1000匁=3.75kg 1匁=3.75g
次回は、当時の掛けバリを含め、仕掛全体を語ってみようかな・・・・
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