ものは溜めておくとたいがい腐って使いものにならなくなります。
溜めておいて腐ってくれないものが、日に日に増えて困ることもありますが。
データ類もビッグデータと呼ばれるようになると、溜めておくだけでは邪魔なだけで全く始末に負えなくなります。
量が多いだけではなく、何もかもがひっきりなしに集まってくるので、ここまでで結構ですと言うにはデータベースを閉じてしまうしかありません。
データベースは瞬時でも入口を閉じたとき、その間にどれほど大事な情報をつかみ損なうか、などと考えると、とにかく呼び込んでそれを何とかし続けなければなりません。
何とかするというのは、分析して何かに役立てることですから、始めてしまったら大変です。
途中で一休みでは、データの連続性がなくなりますから、情報の質ががくんと下がり、巻抜けの全集もののように買ってもらえなくなります。
データの塊から埋もれているものを見つけ出すぐらいのなまやさしいことでは、ビッグデータの価値は生かせません。
そこから引き出さなければならないのは「洞察」であると言われます。
洞察とはどういうことを言うのか、具体的に示せなどと要求する人には、ビッグデータは扱い切れません。
見る、読む、整理保管する、そんなことはもはや情報管理ではなくなってしまいました。
いまいちばん困っていることは、教育機関が、情報を使いこなす力や、手本のない未経験のことに立ち向かう力を育てるすべを持たないことではないかと思います。
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