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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

市民劇 オリジナル脚本注釈

2021-09-10 13:00:00 | 郷土史エピソード



今回も本に掲載できなかった市民劇関連の資料のアップです。
アップするのは、当初、本に掲載したオリジナル脚本に添える予定だった注釈です。
本やブログ掲載の脚本と照らし合わせて見ていただくとよいのですが、単なるウンチクものの読み物として見てもらっても楽しめるかと思います。


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◆ アクト1


* 女給
・ カフェーやバーで客の接待をする女性。初期のカフェーでは、和服にエプロン姿が定番スタイルだった。

* 東西声(とうざいこえ)
・ 舞台で口上を述べる際、見物客の注目を集める言葉。「東西東西(とざい、とーざい)。今日、ご覧に入れますは・・・」などと使う。

* 師団通
・ 旭川駅前と第七師団司令部を結ぶ戦前の旭川のメインストリート。



大正末の師団通 
 

* 第一神田館
・ 明治〜大正期の旭川にあった活動写真館。

* 活弁士
・ 活動写真弁士の略。映像のみの映画=無声映画時代に、スクリーンの脇で筋や台詞を語った説明者。活弁、弁士とも。

* 美しき天然
・ 明治30年代、九州佐世保の女学校で誕生した唱歌。日本人作曲の初のワルツとされ、活動写真の伴奏や、サーカス、チンドン屋の演奏曲=ジンタとしても知られる。またこの歌の旋律をもとに、大正時代の流行歌「船頭小唄」が作られたことでも知られる。

* 神居、旭川、そして永山の三村
・ 1890(明治23)年、上川開発のため北海道庁によって設置された。

* 屯田兵
・ 明治時代、北海道の警備と開拓の2つの役割を担って配備された兵士。

* 旭川駅
・ 1898(明治31)年に開業した旭川の玄関口。

* 陸軍第七師団
・ 北海道に置かれ、北鎮部隊などと呼ばれた旧日本陸軍の組織。



春光台から見た第七師団(大正8年) 


* 常磐公園
・ 1916(大正5)年に開園した旭川初の都市型公園。

* 悲願の市制施行
・ 実際は1914(大正3)年の区制施行時の方が住民の喜びは大きかった(当時の区は市に準じる北海道のみの行政単位)。区制施行は札幌、函館、小樽に大きく遅れていたこと、市制施行は区制廃止による全道一斉の措置だったことがその理由。


◆ アクト2


* エピグラフ
・ 書物の巻や章のはじめに示す引用句。この脚本では、旭川ゆかりの文学者の詩や散文を使っている。碑銘、碑文の意味も。

* 旭ビルディング百貨店
・ ゴールデンエイジの旭川で最も高かったビル。

* 旭川美術協会展
・ 1924(大正13)年、高橋北修らが開催した美術展。

* 旭川師範学校
・ 1923(大正12)年に開校した教員養成のための教育機関。

* 出面賃(でめんちん)
・ 出面(でめん・でづら)とも言う。大工や左官などの日当のこと。幅広くアルバイト代のことを指すことも。

* 旭川新聞
・ 1915(大正4)年創刊の北海東雲(しののめ)新聞が前身。4年後、旭川新聞と改題した。1942(昭和17)年、11紙が統合して北海道新聞が誕生するまで、北海タイムス、函館新聞、小樽新聞などと並ぶ道内有力紙だった。



旭川新聞社(昭和4年) 


* 黒珊瑚(くろさんご)
・ 詩人、小熊秀雄の異名。とぐろを巻いたような特異な髪形にちなみ、本人が署名記事に使った。



小熊秀雄


* コラージュ
・ 既存の写真や絵、実物など絵の具以外のものを使って表現する美術の技法。「糊付けする」の意味のフランス語が由来。

* 菊頭
・ 小熊の特異な髪型を指して高橋北修やその仲間が言った言葉。

* はんかくさい
・ 愚かな、おかしな、の意味の北海道の方言。


◆ アクト3


* 浅草行進曲
・ 当時人気だったカフェーをテーマにした昭和初期のヒット曲。

* 北海タイムス
・ 1887(明治20)年、札幌で創刊された北海新聞が源流(北海タイムスとなったのは1901年=明治34年)。1942(昭和17)年、道内11紙が統合して北海道新聞が誕生するまで、有力紙として親しまれた。戦後、同名の新聞が発刊されたが、1998(平成10)年に廃刊した。

* 音楽大行進
・ 1929(昭和4)年に始まった音楽の街、旭川を代表するイベント。吹奏楽、マーチングバンドなど約4000人が参加し、全国屈指の規模を誇る。



第1回慰霊音楽行進(昭和4年) 


* 帝国ホテル
・ 1890(明治23)年、東京都千代田区に開業したホテル。外国人賓客の接待ができる国を代表するホテルとして建てられた。



帝国ホテル  


* フランク・ロイド・ライト
・ アメリカ人建築家で、近代建築の3大巨匠の1人と称される。1923(大正12)年に竣工した帝国ホテル新館の設計者。

* 帝展
・ 現在の日展(日本美術展覧会)につながる帝国美術院展主催の公募展。1907(明治40)年に始まった文展(文部省美術展覧会)のあとを受け、1919(大正8)年から毎年開かれた。

* 北原白秋(きたはら・はくしゅう)
・ 詩、短歌、童謡など数多くの名作を残した福岡県生まれの文学者。旭川には、1925(大正14)年8月、樺太旅行の帰りに来訪している。

* 旭川信用金庫
・ 凶作の影響により疲弊した地元商工業者の苦境打開を目的に、1914(大正3)年に発足した旭川信用組合が前身。1951(昭和26)年に信用金庫となった。



旭川信用組合(昭和2年) 


* 極粋会(きょくすいかい)
・ 架空の組織だが、戦前の旭川にあった国粋主義団体「旭粋会」をモデルとしている。

* 黒色(こくしょく)青年同盟
・ 架空の組織だが、かつて存在した無政府主義者の団体「黒色青年連盟」をモデルとしている。

* たくらんけ
・ ばかもの、たわけもの、の意味の北海道の方言。

* 無政府主義者
・ 一切の国家権力を否定し、個人の完全な自由、および個人の自主的な結合による社会の実現を目指す人々のこと。

* アナキスト
・ 無政府主義者と同じ。

* 博徒
・ サイコロ博打など、賭博を生業にしている人。

* 大杉栄(おおすぎ・さかえ)
・ 大正時代の労働運動、社会運動に大きな影響を与えたアナキスト。関東大震災の際、妻でやはりアナキストだった伊藤野枝(いとうのえ)とともに、憲兵大尉の甘粕正彦(あまかすまさひこ)らによって虐殺された。

* 伊藤野枝(いとう・のえ)
・ 福岡県生まれのアナキスト・婦人運動家。平塚らいてうのあとを継ぎ、雑誌「青鞜」の編集・発行人を務めた。



大杉栄と伊藤野枝 


* 労働争議
・ 賃金など労働を巡る労働者と使用者の間の争いのこと。

* 階級闘争
・ 資本主義における労働者と資本家など、社会的な階級間の争いのこと。


◆ アクト4


* 浅草オペラ
・ 大正時代に東京浅草で披露された大衆歌劇。絶大な人気を誇ったが、関東大震災で劇場が壊滅的な被害を受けて衰退した。

* 「ベアトリ姉ちゃん」
・ 浅草オペラの代表曲。

* ルバシカ
・ ロシアの男性用上着。ロシア文化の影響を受けた大正〜昭和の日本の芸術家が好んで着たことで知られる。ルパシカとも。

* 十勝岳の噴火
・ 1926(大正15)年5月24日に発生した大災害。

* 泥流
・ 火山噴火や山崩れの際、雪などが融け山を流れ下る現象のこと。

* モガ
・ 切りそろえた断髪で洋服を着こなすなど流行に敏感な女性、モダンガールの略。大正末から初話初期にかけての流行語。男性はモダンボーイ=モボ。  

* 抱月(ほうげつ)・須磨子(すまこ)の芸術座
・ 抱月は劇作家、演出家の島村抱月、須磨子は女優の松井須磨子のこと。芸術座は、1913(大正2)年に抱月が須磨子を擁して作った劇団。2人は翌年9月、旭川を訪れ、ヒット作「復活」を上演している。



芸術座による「復活」の舞台 


* 参謀長
・ 参謀の役割は指揮官を補佐して作戦計画案を練ることで、あくまで補佐役であって部隊への指揮権は持っていない。参謀長は、各参謀の統轄者。

* 北海ホテル
・ 現在の「星野リゾートOMO7旭川」に繋がる旭川のホテル。1920(大正9)年、小樽にあった北海屋ホテルの旭川支店として営業を始めたのが始まり。3階建ての趣のある洋館で、4条通8丁目にあった。



北海ホテル(昭和3年)


* 北鎮(ほくちん)小学校
・ 創立は1901(明治34)年。第七師団の将校の子弟が通う私立の小学校として建てられた。当時としては珍しい男女共学。北の学習院と称された。

* 若山牧水
・ 酒と旅を愛した国民的歌人。数々の叙情歌で知られる。

* 「宵待草(よいまちぐさ)」
・ 竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)の詩をもとにした流行歌。

* 竹久夢二
・ 明治末〜大正時にかけ独自の美人画で一斉を風靡した画家・詩人。

* 上川神社頓宮
・ 今のような手頃なイベントスペースが街中になかった時代には、この頓宮や真久寺(しんきゅうじ)六角堂などが主に文化団体の会合に使われた。旭川歌話会が頓宮で開催されたことはないが、そうした事実を伝えたく、劇中ではあえて開催場所とした。



上川神社頓宮(昭和2年) 


* 軍人歌人
・ 陸軍将校であり、歌人でもあった齋藤瀏を指して言った言葉。

* 酒井会長
・ 実際の旭川歌話会は、発足時、会長は置かなかった。酒井廣治は齋藤瀏らとともに顧問を務めた。

* 熊本第六師団
・ 旧陸軍の師団の一つ。熊本、大分、宮崎、鹿児島の南九州の出身兵士で編成された。司令部は熊本市にあった。

* 旅団長
・ 旅団は日本陸軍の編成の一つで、師団より小さく、連隊より大きい(旅団には2つの歩兵連隊が属し、師団には2つの旅団が属した)。旅団長はその指揮官。

* 常磐公園のボート
・ いつの頃から言われたかは定かではないが、筆者が小学生〜高校生の頃、常磐公園でボート乗りを楽しんだアベックはその後別れる、といった趣旨の話をよく耳にした。



常磐公園のボート遊び(大正末か) 


* 少将
・ 軍人の階級。将官では、大将、中将の下。旧陸軍では主に師団の旅団長、陸軍省の各部長などを務めた。

* 霧華(きばな)
・ 凍てついた朝、霧が草や木に付いて凍った姿を指す齋藤瀏による造語。旭川歌話会の合同歌集および瀏の第2歌集のタイトルでもある。旭川の銘菓「き花」のネーミングは、この言葉を元にしている。



旭川歌話会合同歌集「霧華」 


* 「魚歌(ぎょか)」
・ 1940(昭和15)年8月に刊行された齋藤史の第1歌集。装丁は版画家の棟方志功(むなかた・しこう)。新進歌人としての史の評価を定めた。


◆ アクト5


* 演歌師
・ 街頭でバイオリンやアコーディオンを弾きながら演歌と呼ばれた流行歌を歌い、歌の本を売った芸人、行商人。明治末から昭和初期に多く活動した。

* 宮越・三浦の大旅館
・ 師団通の入り口に、神社の狛犬のように鎮座していた2つの旅館。ともに一部3階建てで、7丁目に三浦屋、8丁目に宮越屋があった。



三浦屋旅館と宮越屋旅館(大正末期) 


* 丸井さん
・ 丸井今井百貨店旭川支店のこと。デパートが大型小売店業界の頂点にあった頃、道民の多くは各地にあった丸井デパートのことを敬称付きで呼んだ。



丸井今井百貨店旭川支店(昭和3年) 


* 金子寿(ことぶき)
・ 3条通7丁目角にあった食堂。創業は明治30年代末で、海産物商店として始まり、1922(大正11)年に食堂に転身した。

* 三日月
・ 4条通7丁目角、旭ビルディング百貨店の隣にあった食堂。1900(明治33)年頃の創業。金子寿と並ぶ人気店だった。

* ユニオン
・ 3条通8丁目にあったカフェー、ユニオンパーラーのこと。前身は1925(大正14)年創業の喫茶店。2年後、移転しカフェーとして新装開店した。



カフェー・ユニオンパーラー(昭和4年) 


* 添田(そえだ)さつき
・ 大正〜昭和期の作詞作曲家・小説家。父親は演歌師の添田唖蟬坊(あぜんぼう)。自身も様々な演歌を作った。

* 酌婦
・ 酌をするなど客の接待をする女性。店によっては性的な接待も行った。

* 中島遊郭
・ 現在の東1〜2条2丁目にあった遊郭。1907(明治40)年に営業を開始した。

* 廃娼(はいしょう)運動
・ 娼妓の人権保護の観点から、公娼制度の廃止を訴える活動のこと。


◆ アクト6


*(北海道護国神社)招魂祭(しょうこんさい)
・ 戦死した北海道出身者を祀る北海道護国神社のお祭り(慰霊大祭)のこと。例年、6月4日が宵宮祭で5日が慰霊大祭、6日が後日祭。かつての旭川には、招魂祭に合わせ、大勢の遺族が道内各地から集まった(もちろん今もお参りをする人は少なくない)。



招魂祭の賑わい(昭和6年) 


* 常盤橋(ときわばし) 
・ 昭和初期に行われた牛朱別川(うしゅべつがわ)の流れを変える切替工事の前、今の常盤ロータリーの場所にあった橋。旭橋と並び、中心部と師団のある近文地区を結ぶ重要な橋だった。

* ロータリー
・ 旭川の中心部にある変則交差点。牛朱別川の切替工事以前は橋があった場所のため、埋め立て後は6つの道が集まる形となり、ロータリー式の交差点となった。

* 牛朱別川
・ 旭川を流れる石狩川の支流。かつては今よりも市の中心部寄りを流れ、たびたび氾濫被害が出ていたため、1930(昭和5)年から1932(昭和7)年にかけ、流路を変えて旭橋の下で石狩川に合流させる切替及び埋立工事が行われた。



切替工事前の牛朱別川(昭和4年頃) 


* 百田宗治(ももた・そうじ)
・ 大阪市出身の詩人、児童文学者。一時、愛別町安足間(あんたろま)に移住を決意するなど北海道と縁が深い。


◆ アクト7・8


* 知里幸恵(ちり・ゆきえ)
・ 登別生まれで、旭川に移り住んだアイヌ文化伝承者。

* 嵐山
・ 旭川中心部から西に約5キロ。250メートル余りの高さがあり、雄大な景観が楽しめる。京都の嵐山にちなんでこの名前が付けられた。

* 石狩川
・ 大雪山系の石狩岳を源とし、上川盆地、空知平野、石狩平野を経て石狩湾に注ぐ全長268キロの北海道第一の川。

* 大雪山
・ 北海道の屋根と称される火山群。道内最高峰の旭岳を筆頭に、北鎮岳、白雲岳などからなる。大雪山とそこから流れる石狩川などの河川の恵みにより、旭川は北海道内陸部の中核都市として発展を遂げた。

* 日章小学校
・ 1893(明治26)年、忠別小学校として開校した旭川で初の公立学校。漢字1字の学級名を伝統としていることでも知られる。



日章小学校(昭和2年) 


* スタンド・バイ・ミー
・ 1961年、ベン・E・キングが歌った世界的ヒット曲。黒人霊歌にインスピレーションを受け、キング自身が競作で作詞・作曲した。

* ベン・E・キング
・ 1938年生まれのアメリカのソウルシンガー。男声コーラスグループ、ドリフターズのリードボーカルとして活躍後、ソロ歌手となった。

* パリジャンクラブ
・ カフェー・ヤマニの速田弘が4条通7丁目に開店した新店舗。

* 国防婦人会
・ 正式には大日本国防婦人会。1932(昭和7)年に全国組織が発足し、出征兵士の慰問や家族の支援などを行った。白の割烹着にタスキ姿が会服。

* 東条首相
・ 太平洋戦争開戦時の首相、東条英機(とうじょう・ひでき)のこと。

* ノモンハン事件
・ 1939(昭和14)年、旧満州とモンゴルの国境地帯で起きた日本軍とソ連軍との軍事衝突。機械化されたソ連軍の攻撃に、日本軍は大敗した。当時、満州派遣中だった第七師団でも多くの死傷者が出た。

* 従軍記者
・ 軍隊について戦場に行き、戦況を報道する新聞社や放送局、雑誌などの記者のこと。

* 旭川市博物館
・ 1952(昭和27)年、第七師団の北鎮兵事記念館だった建物を利用し、旭川市郷土博物館として開館した。1968(昭和43)年、旧旭川偕行社(現在の旭川市彫刻美術館)に移転。さらに1993(平成5)年、現在の大雪クリスタルホール内に移転した。




北鎮兵事記念館(昭和15年)







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