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写真とコメントで紹介する旭川の郷土史エピソード集

アンコール・私の好きな旭川 VOL.4 旭川郷土史「トリビア」

2014-09-24 08:13:58 | 郷土史エピソード


かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
4回目は、私が旭川の歴史に詳しい方々から教えてもらい、「へー」と思った「トリビア」の紹介です。


                      ***********


<旭川郷土史「トリビア」>(2010年11月30日掲載)


① 明治以来、軍都として発展した旭川市。
  かつての「陸軍第七師団」は、明治天皇が「しちしだん」と読んでしまったため、
  「だいななしだん」ではなく、「だいしちしだん」と呼ばれることになった。



(写真①)旧陸軍第七師団司令部(明治44年)


(写真②)日露戦争凱旋パレード(明治39年)



「第七」は、「だいなな」と呼ぶのが一般的ですが、1896年(明治29年)、北海道に「第七師団」が創設され、宮中で行われた初代師団長の任命式の際、天皇陛下が「しちしだん」と読んだので、以来、「だいしちしだん」と呼びようになったのだそうです。

ちなみに旭川の自衛隊関係者の皆さんは、さすがに事情をよく知っていて、「しちしだん」というと「旧陸軍第七師団」、「ななしだん」というと「陸上自衛隊第七師団(千歳駐屯地)」が頭に浮かぶのだそうです。

ただこの「旧陸軍第七師団」、戦前も海軍関係者は「だいななしだん」と呼んでいました(なぜかはわかりません。海軍の数字の呼び方「マル、ヒト、フタ、サン、ゴー、ロク、ナナ・・・」に従っているとの説も・・・)。

なお以前、NHKで放送されたドラマ「坂の上の雲」では、この微妙な読み方の違いを正確に再現していました。
ドラマの中で、第七師団は日露戦争の旅順攻撃のシーンに何度か登場するのですが、陸軍関係者(品川徹さん-旭川出身!-が演じた大迫師団長など)はセリフで「だいしちしだん」と話していたのに対し、本木雅弘さん演じる秋山真之(海軍!)は「だいななしだん」と呼んでいました。

ドラマにおける時代考証の正確さ、恐るべし!です。


② その「第七師団」になじみの深い「北海道護国神社」。
  境内にある池は、上空から見ると北海道と樺太の形をしている。




(写真③)北海道護国神社


(写真④)池は大きくて地上からは形がよくわからない


図①)上空からみると、こんな形をしています



市内花咲町にある「護国神社」。
旧樺太や千島を含め、北海道関係の戦没者が祀られています。
建立は明治35年(1902年)。
2万坪に及ぶ境内の一角を占める池の名前は、ずばり「北海道池」と「樺太池」と言います。
「北海道池」は、実際の北海道より少し横長の形をしています。

また北海道池の旭川に当たるところには小島があり、また留萌市に当たる場所には、留萌の融資から贈られた灯篭(灯台を模している?)が置かれています。


③ 旭川市は、駅前から順に、宮下通り、1条通り、2条通り、3条通りと下っていくが、
  宮下通りは、かつて4~5丁目に「上川神社」が置かれていたため、
  「神社の前」という意味で「宮下」の名がついた。




(写真⑤)かつて神社があった場所


写真⑥)神楽岡にある現在の上川神社



今は、神楽岡(かぐらおか)にある上川神社ですが、そもそもは明治26年、旭川駅近くの高台(現在の宮下通り4丁目~7丁目・当時は義経台と呼ばれた)に置かれたのが始まりなのだそうです。
その後、鉄道の敷設や街の発展にともない、明治31年には6・7条通り8丁目に、明治35年には宮下通り21丁目にそれぞれ移転しました。
神楽岡への移転は大正13年です。






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