かつて別ブログに掲載していた記事を再掲載する「アンコール・私の好きな旭川」。
今回は前回の「まぼろしの塔!?を追って」の続編と続々編です。
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<私の好きな旭川~まぼろしの塔!?を追って~続編!>(2011年2月10日掲載)
まずはこちらの写真を!
(写真①)こっ、これは!?
分かりますか?
以前、このブログで紹介した「大平和塔」です。
写真を引いたサイズで紹介しますと・・・。
(写真②)こんな感じ
中央にあるのは、かつての市立旭川病院です。
病院の裏(写真だと左)の空き地に塔が建っているのがはっきりと写っています!!
塔は、以前紹介した私の父が写した昭和35年の写真とアングルは違いますが同じ位置にあります(「日立テレビ」の文字も同じです)。
(写真③)35年9月撮影の写真(小さな男の子は2歳のワタクシ)
(写真④)偶然写り込んでいた「大平和塔」
(写真⑤)昭和25年、ロータリーに建てられた直後の「大平和塔」
実は、この写真、市立病院のエントランスホールに掲示されています。
ブログを読んだ方から情報提供のコメントをいただいたことで、存在を知りました。
「大平和塔」は、旭川市で開かれた「北海道開発大博覧会」のシンボルタワーとして昭和25年に現在の常磐通りロータリーに建設され、その後、昭和35年2月に市立病院裏に移設されたことが分かっています(詳しくは、11月26日のブログを参照してください)。
この写真の撮影は昭和37年ですので、写っているのは、移設後2年目の塔の姿ということになります。
(写真⑥)写真が掲示されている市立病院のエントランスホール
(写真⑦)昭和37年、昭和62年、平成14年の3枚の写真が飾られていて、それぞれ初代、2代目、3代目の市立病院の建物が確認できるようになっている
市立病院によりますと、塔は、現在、医師住宅のある場所に建てられていたそうです。
前のブログでは、記憶を頼りに塔が建っていた場所を推定しましたが、ほぼ合っていたことが確かめられ、ほっとしました。
(写真⑧)かつて塔が建っていた場所にある医師住宅
そして驚いたことに、塔を移設した時に設けた「基礎」が、今でも敷地内に残っているそうです!
(今は雪が積もっていて見ることはできませんでしたが、春になったら、写真を撮らせていただくことになっています)。
(写真⑨)現在の市立旭川病院、中央↓が医師住宅。左に写っているのは旭橋
塔が、最終的にどのような経緯で撤去されたかなどは、依然分かっていませんが、
いろいろな方のご協力で、新たな事実が少しずつ明らかになってきています。
引き続き、なにか情報がありましたが、ぜひお知らせください。
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<私の好きな旭川~まぼろしの塔!?を追って~続続編>(2011年4月28日掲載)
今回も、まずは写真から!!
(写真①)旭川市博物館所蔵
(写真②)旭川市博物館所蔵
もうお分かりですよね。
このブログではおなじみの「大平和塔」。
新たに見つかった写真です!!
①は、昭和34年頃の撮影。
ロータリーに向かう8条の斜め通り(「8条斜線」)からのショットです。
バスと一部かぶっているのは残念ですが、ここまで鮮明に「大平和塔」をとらえた写真を見るのは初めてです!
最上部にあるのは「母の鐘」(「大平和塔」から時報代わりに流されていた音楽=詳しくは2010年11月26日のブログ参照)のメロディーを奏でていたスピーカーでしょうか。
その上には照明のようなものも見えます。
広告の文字の取り付け状況など、細かい様子もよくわかります。
写真①拡大
②は、昭和34年の撮影。
旭川の初夏の名物行事、「北海道音楽大行進」のスナップです。
写真の手前側に、ロータリーに沿って行進するブラスバンドの姿が(どこかの高校でしょうか)、その奥に見物の市民が写っています(人出の多さに驚きます!!)。
注目してほしいのは「大平和塔」の〝足〟の部分です。
4人ほどがよじ登って行進を見物しています(塔の大きさが良く分かります)。
なお写真右上隅には、この写真の撮影から4か月後に竣工する「市役所庁舎」の姿が見えます(建物の周りに、工事の足場のようなものが写っているように見えます)。
写真②拡大A
また市役所庁舎から左に目を転じていくと、「8条斜線」沿いの商店などの後に、我がなつかしの母校、「中央小学校」の姿が(屋根だけですが)確認できます。
写真②拡大B
なお、「北海道音楽大行進」は、一般から小学生まで、ブラスバンドや鼓笛隊などが、演奏をしながら市内を行進する一大イベントで、参加者は数千人に及びます!!
時期は6月、昭和6年に始まり、途中中断をはさみますが、これまでに78回も行われている伝統の行事です。
(写真③)写真②と同じアングルで見た現在のロータリー
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続いては、この写真を。
ぴんと来た方は、このブログの相当熱心な読者です。
(写真④)
実はこれ、以前「まぼろしの塔!?を追って・・・続編」でふれた「大平和塔」の土台=〝基礎〟なんです!!!
(写真⑤)手前のコンクリートが見えている部分が基礎。奥に見えるのは旭橋
(写真⑥)看板と車庫の間にあるのが基礎
大きさは、1メートル×90センチほど。
場所は市立病院の敷地内にある医師用の住宅棟の裏です(雪解けを待って先日、行ってきました)。
コンクリートは劣化がかなり進んでいましたが、中に仕込まれた鉄筋の太さは尋常ではありません!
案内してくれた病院の事務局の方によりますと、地中に埋められている部分の高さ(深さ?)も1メートル程あり、建物の基礎としてはかなり規模の大きなものだということです。
労力や費用もかかることから、そのまま撤去せず残したのではないかということでした
(なお塔は4本の〝足〟で支えられていましたので、あと3つ基礎が残っているはずですが、建物の下に隠れるなどしていて、確認できませんでした)。
(写真⑦)直径3センチ近い鉄筋。
(写真⑧)↓が基礎のある場所。建物は医師住宅棟(この下に別の基礎がある)
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幼いころの遊び場所の一つだった市立病院裏は、子供にとっては十分すぎるほどのスペースがある原っぱで、私たちは日が暮れるまで、ボール遊びや鬼ごっこなどに興じていました。
そして、塔は、そんな私たちを見守るように立っていました。
調査を始める前、私の中では、実在していたかどうかさえ不確かだった塔の姿、さまざまな映像や資料(さらには実物につながる基礎という〝ブツ〟まで!)にふれるなかで、いまはしっかりと思い浮かべることができます。
協力していただいた皆さんに、改めて感謝申し上げます。
(写真⑨)2歳のワタクシと大平和塔(昭和35年・再掲)
時々、旭川に行きますが、昔の面影がどんどん消えていくのは、寂しいものがあります。
ありがとうございます。
ワタクシもかつての旭川の姿を忍ぶことができる建物などが年々少なくなっていることに、寂しい思いをしています。
昔、この塔を見た記憶があります
もうご存知の情報かもしれません
岩波写真文庫260 が「旭川・大雪山」に情報が掲載されているように思えます
p37説明文中ほどに説明
p28 右上の写真 二条通 右上に平和塔らしいものが写っています
p34右上の写真ですが、写真②より古い写真に見えます
参考までにご報告です
岩波写真文庫の記事と写真は、存じておりました。
あの冊子は、自分が育った頃の旭川の様子が写った写真がたくさん掲載されていて、とても貴重ですよね。
何かまた見つけましたら、ぜひ情報提供をお願いします。