習作「白きうさぎ雪の山から出でて来て~歌人・齋藤史と旭川とその時代~」(ブログ掲載版・後編)
前回の続きです。
今回は、後編の、第4章、第5章、エピローグを掲載します。
<登場人物>
▼齋藤 史 さいとう・ふみ 明治42(1909)年 2月生
▼瀏(父) りゅう 明治12(1879)年 4月生
▼キク(母) 明治20(1887)年11月生
▼てる(祖母) 嘉永元年(1848)生
▼案内の兵士
▼栗原 安秀 くりはら・やすひで 明治41(1908)年11月生
▼坂井 直 さかい・なおし 明治43(1910)年 8月生
▼若山 牧水 わかやま・ぼくすい 明治18(1885)年 8月生
▼若山 喜志子 わかやま・きしこ 明治21(1888)年 5月生
▼酒井 廣治 さかい・ひろじ 明治27(1894)年 4月生
▼小熊 秀雄 おぐま・ひでお 明治34(1901)年 9月生
▼山田少尉
▼林 芙美子 はやし・ふみこ 明治36(1903)年12月生
▼大家の妻
▼近所の主婦
▼晩年の史(93歳)
▼若い女
▼コロスの男 1 2 3 4 5(山田)
▼コロスの女 1 2 3
*この戯曲のうち、短歌は、「齋藤史全歌集 1928-1993」、および旭川新聞昭和2年25日掲載の紙面から引用しました。また史の独白パートの台詞、および各芝居パートの内容は、齋藤史著の「春寒記」(乾元社)、「遠景近景」(大和書房)掲載の手記、および「ひたくれなゐに生きて」(河出書房新社)、「私のなかの歴史6 不死鳥の歌 斎藤史」(北海道新聞社編)掲載の史のインタビュー、齋藤瀏著「二・二六」の掲載の手記を参考に(一部引用も)構成しました。
齋藤史(19歳)
◆ 第4章
いつの間にか退場していた史が、若い女に車椅子を押されて再び出てくる。
所定の位置に来ると、史を置いて若い女はコロスに加わる。
史(独白) ……ええ、少し外の空気を吸って来たら、だいぶ気持ちがよくなりました。いくら経ってもあの頃のことを思い出すと、胸が苦しくなります。……はい、大丈夫です。続けましょう。
……父、瀏が憲兵隊に出頭を命じられたのは、5月29日のことです。容疑は反乱のほう助、そのまま渋谷にある軍の刑務所に送られました。わたくしが初めての出産で長女を産んだ3日前のことでした。そしてあくる昭和12年1月8日、父は禁固5年を言い渡されました。判決には……父よりも階級が上の方の名は一人も出て来ません。青年将校に近い立場ということで、それまでに名前をささやかれた人も、見事に全部消えておりました。
軍事と政治は分離すべきもの、という刑死した人たちの願いとはうらはらに、彼等を葬り去った側の勢力が政治の真ん中に座りました。事件は父や栗原達の思いとは逆に作用してしまったようでした。軍は勢力を増し、やがて支那事変がぼっ発、そして大東亜戦争へと拡大してゆきました。しかし、その勢いも長くは続きませんでした。
昭和19年7月。東京・大森。瀏の自宅。
居間、史(35)と、小説家、林芙美子(40)がテーブルを挟んで談笑している。
芙美子 ねえねえ史ちゃん。こないだあたし、ショック受けちゃってさあ。
史 え、何よ。
芙美子 それが、茂吉よ、茂吉。斎藤茂吉の歌。見たでしょ、あんたも。「鼠の巣片付けながらいふこゑは」。
史 ああ、はい、はい。
芙美子 知ってんなら続けてよ。「鼠の巣片付けながらいふこゑは」。
史 「ああそれなのにそれなのにねえ」。
芙美子 そう「鼠の巣片付けながらいふこゑはああそれなのにそれなのにねえ」。これ目にしたとたんに思っちゃたのよ。あたしの書いてるちゃちな小説一編、とってもかなわないなあって。うん。つくづくそう思ったの。
史 え、ちょっと待って。今を時めく人気作家の林芙美子が? 「放浪記」の林芙美子が? この歌にかなわないって?
芙美子 そう、だからあたし今スランプなのよ。疎開先でもさ、毎日書こうとすんだけど、あたしの小説って何なんだろうって。……でもこんなこと言うのあんただけよ。「ダブルふみ」のよしみだからね。
史 うーん、そっかー。……でもね。あの歌って、茂吉先生の家のお手伝いさんが、本当に鼠の巣を見つけて。(歌う)「ああそれなのに、それなのに、ねえ」って、流行り歌歌いながら掃除したのをそのまま詠んだだけだって。
芙美子 ……げ。そうなの?
史 うん
芙美子 本人が?
史 うん。
芙美子 そう言った?
史 うん。
芙美子 そんなはずないよ。だって茂吉だよ、大御所だよ。そりゃ謙遜してんだよ。「鼠の巣」だってさ、深い意味があるんだよ、きっと。(自信がなくなる)……(独り言で)え? 流行り歌? まじ?
史 ああ、はいはいはいはい、芙美子さんの言う通り。なんかの意味はあると思うよ。うん。……でも、ほら、私らの短歌ってのはもともといろんな解釈ができるのがミソなんだし。小説とは比べられないよ。ね、ジャンルが違うんだから。ジャンル。
芙美子 ……ジャンルねえ。……まあそっか、そうだよね……。お茶いただくわ。
2人、お茶を飲む。
史 (落ち着いたところを見計らって)……で、きょうはどこ寄ってきたの?
芙美子 ああ、お茶の水の出版社2つ回って、ここに来て。このあと1か所寄って、あした信州に戻る。だからあんま時間ないの。
史 相変わらずの忙しさね。お茶の水はどうだった?
芙美子 かなりひどいね。空襲で焼け出されて、廃業した出版社も多いよ。……それにしてもさ、史ちゃんいつまで東京にいるつもりなのよ。信州は安全だよ。お父さんの故郷なんでしょ。世話してくれる人、いるでしょ。
史 ……そうはいってもね。ここ離れるとなると……。
芙美子 うちは旦那の親戚がいる角間(かくま)って温泉町なんだけど、いいとこだよ。もう半年近くだけど、みんなわりと親切だしさ。それに今の借家、温泉引いてあんのよ。だから風呂焚かなくても入り放題。
史 え、それは羨ましい。
芙美子 こないだなんかね、東京から連れて行ったお手伝いさんが言うのよ。「奥様、温泉って本当に便利でございますね。誰が沸かしているんございますか?」って。
2人、笑う。
史 ……芙美子さん、それネタでしょ。
芙美子 えー、違うよ。小説家は大ウソつきだけどさ、これはほんと。……でも史ちゃん。命あっての物種だよ。この先、日本がどうなるかわかんないけどさ。ここらももう時間の問題だよ。あたし信州で待ってるから。
史 ……あ、ごめんなさい。風出てきたね。窓閉めます(窓に近づき、閉め、目元をぬぐう)。……芙美子さん、ありがとう。あたし真剣に考えてみます。
芙美子 (うなづく)。
史(独白) 芙美子さんて、面白い人でしょ。……当時から、私と林芙美子が親しくしているというと、驚かれることがしばしばでした。育った環境など、あまり重なるところがないのが、かえって良かったのかもしれません。「時間がない、時間がない」が口癖だった芙美子さん。せっかく戦争が終わったというのに、たった6年であっけなく逝ってしまいました。心急ぐところがあったのかもしれない、そう思います。
林芙美子の助言は心にしみたのですが、なにしろ、父が東京を離れたくないとごねまして。……ただ昭和20年になると、もういけません。「いよいよ今度は、蒲田、大森あたり、狙って来ますね。わたしたち焼かれる番ですよ」って、ご近所の方とお互いにうなずいて。隣組の迷惑になってはいけないと、なんとか父も説き伏せて。……行くといえば、やはり父の故郷、信州しかありません。みんなで荷物抱えて、新宿から中央線に乗りました。
翌朝、松本駅の2階から見た白い山々はまあ鮮烈でした。少しも変わらないもの、どこも傷ついていないものをひさびさに目にしました。山は生きていた。人も死ぬなよって、思いました。疎開は二手に分かれ、両親は北安曇(あづみ)郡に、夫とわたくしは子どもといっしょに長野市で過ごしました。
昭和20年8月。長野市。史の疎開先である借家の庭先。
庭仕事をしている史を、隣に住む大家の妻(55)と、近所の農家の主婦(40)が訪ねてきている。
蝉の声。
大家 あれそうかい、魚2匹もらえると思ったのかい。
史 そうなんですよ。とんだ見込み違い。
主婦 なんだね。2匹って。
大家 こないだの配給さ。久しぶりに魚が配られたじゃろが。
主婦 ああ、ニシンイワシかい?
史 そう、そのニシンイワシ。わたしニシンとイワシがもらえると思って、お皿2枚持っていったら……(笑う)。
大家 一匹だけだったってわけかい。東京じゃニシンイワシは食べんのかい。
史 いえ食べますよ。でも身欠きニシンと呼ぶんです。
主婦 ミガキニシン。なんも磨いてありぁせんが。
史 いえ磨くんじゃなくて、「身を欠く」と書いて。
大家 身がなきゃ、どこ食べるんかい。
史 まあそうですね。(考えて)……本当、なんで身欠きなんだろう。
主婦 それにあれはイワシじゃないんかね。
史 ……あたしあんまり詳しくはないんですけど。イワシとは別で、ニシンを干したものかと……。
大家 まあここらあたりは海がないもんで、昔から魚はあまり入ってこん。こんまい魚はみなイワシじゃて。
史 あたし、ニシンイワシをお皿に載せてもらった後、もう一枚空のお皿を手にそのまま待ってたんですよ。そしたら怪訝な顔されて……。変な女だと思われたでしょうね。
大家 まああんたが東京から来たのは、みんな知ってることだに。
主婦 もうどのくらいになるかね。
史 ああここに来てからですか。3か月ちょいですね。あっという間。
主婦 まだ3か月かね。じゃまだまだ慣れんことが多いわ。
史 ああ、でもあれは覚えましたよ。「えかず言うから、えかねかと思えば、えくだ」。
主婦 そんの通りだよ。「えかず言うから、えかねかと思えば、えくだ」。
大家 信州の人は「ずら」言う人が多いが、ここらは「ず」だけだもんで。
史 ご近所の方が「あそこ行きましょう、ここ行きましょう」って誘ってくれ
るじゃないですか。でも最初「あすこえかず」、「ここえかず」っていうから、「ああ、行かないんだな」って(笑う)。大家さんに「えかず」は「行きましょう」ってことだと聞くまで、あたし頓珍漢な受け答えしてました。
主婦 だから「えかず言うから、えかねかと思えば、えくだ」なの。
史 はい。「えかず言うから、えかねかと思えば、えくだ」なんですね。
大家 おお、馬鹿話してる間に時間さ経ってしまった。きょうは昼のラジオを聞かねばならない日であった。
史 何か新しい防空注意でもあるんでしょうか。
主婦 いや知らね。
大家 うちの母屋のラジオの前に集まることにしてあっから。(立ち上がる)よっこいしょ。さあ、2人とも、えかず。
2人顔を見合わせ。
主婦 はい、はい。えかず、えかず。
史 えかず、えかず。
2人、大家の後に従って去る。蝉の声。
史(独白) 東京というところは、現在ほどではない戦争のころにしろ、8キロ、10キロと歩いたからといって、安全な山や谷に行きつける街ではありません。ですから、空襲が本格化して以降、わたくしたちは半年近く服を着たまま防空壕で眠る生活をしていました。それに比べれば、信州はのんびりとしたものです。毎晩、ズボンを脱ぎ、布団に寝られることをありがたく感じました。
この日、私たちは、後年、玉音放送と呼ばれることになるラジオを聞きました。時間が来るのを待っていると、何となくいつもと違う感じになってきて、そうするうちに部屋の奥に置かれたラジオから、改まった調子のアナウンサーの声が流れてきました。電波の調子が悪くて、細部まではわからないのですが、とにかくわたくしたちとは異なった語韻の日本語が伝わってきました。ところどころ浮き上がって、語尾がストンと沈んで、また雑音にまぎれました。かろうじて意味を汲み取ることができました。
夕方、野良仕事を終えて家に帰り、部屋の一つだけの電灯を、覆いを外してから点けました。思いがけないところまで明かりの裾が広がり、まるで別の部屋のように感じました。
コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
手を振ってあの人もこの人もゆくものか我に追ひつけぬ黄なる軍列
(リフレイン)
まなこさへかすみていひしひとことも風に逆へば聞こえざりけむ
(リフレイン)
河か船かいづれおのれが身の業のながれもやらぬ変身(メタモルフォス)
(リフレイン)
◆ 第5章
史(独白) ……ああ、はい。親父様のことですね。……ええ、そうなんです。父のことは、親父とか親父様とか呼んでおりました。その親父様……いえ父は、結局2年半、豊多摩刑務所に収監された後、仮釈放されました。軍人恩給など一切の権利を奪われた父は、かねてよりなじんでいた万葉集の解説や獄中記などを出版して生計を立てました。
そうしたなか、戦争が始まると、父はまさに激烈ともいえる愛国的な文章を様々な雑誌に寄稿し、戦意の高揚に努めました。父は天皇のためと思って青年将校を後押ししたはずが、思いがけずその天皇から逆賊の扱いを受けてしまった人です。その埋め合わせとでもいいましょうか、過剰に天皇の赤子(せきし)としての自分をアピールせざるを得なかった、そんな風にわたくしには見えました。そんな父も、戦後は気力が萎えたようで、床につくことが増えていきました。
昭和26年10月。長野市。史一家と瀏夫婦が住む家。
病床の瀏(72)を酒井廣治(57)が訪ねてきている。
瀏は史(42)に支えられて、半身を起こしている。
瀏 それで、旭川はいつ?
酒井 はい。今回は東京で用事がありまして、3日前に発って、おととい上野に着きました。
瀏 そうですか。はるばる遠いところまで。
酒井 いえ、もっと早く訪ねなければならないところでした。
瀏 いやお互い様だよ。あわただしい時代だったからね。うん。あれからもう何年かな。
酒井 そうですね。……24年、ですね。
瀏 24年か。酒井さん、今は?
酒井 はい。あの後、旭川の信用組合の総代を任されまして。戦後は信用金庫となりまして、この春からは理事長を仰せつかっております。
瀏 そうか、それはおめでとう。あのころからあなたは実業家と歌人、二足の草鞋でしたな。ま、わたしも軍人と歌人の両方をしておったが。・・・うん、でもまあみな若かった。
酒井 本当に。
瀏 ……そういえば、小熊秀雄は惜しいことをしたねえ。
酒井 はい。あのまま旭川に残ってくれていたらと、今も思います。
瀏 新聞に訃報が載ったのを見てね。あれは確か昭和15~6年の頃じゃなかったっけ。
酒井 はい、そうですね。また30代でした。東京では?
史 詩集を出したり、ご活躍していたのは知っていましたけど、お会いしてはいないんです。父も私も。
瀏 そういえば牧水も。
酒井 そうですね。旭川でお会いしてからまもなく。
瀏 私の周りには、若くして逝った人間が多くてね。
酒井 ……そうそう、去年出されたご本、読ませていただきました。
瀏 ああ「二・二六」かい。何とか最後の気力で書き上げたというところです。
酒井 いやいや最後だなんて。
瀏 いやほんとなんだよ。事件の直後はね、自分まで死んだら、誰が彼らの汚名をそそいでやるのかと思ったが、実際に書くまでにはこんなに時間がかかってしまった。……ただ私は少し長生きしすぎたよ。ことに陛下の人間宣言は、彼らが聞かなくて良かったとつくづく思う。
酒井 人間宣言、ですか?
史 最近の父の口癖なんですよ。栗原たちは、陛下の人間宣言を聞かずに済んでよかったって。
瀏 お前だって、あれは陛下の逃げだって。「神様ではなく人間だ」と言われれば、人間はミスするもの、許さないわけにはいかない、とか言って、憤慨してたじゃないか。
史 ええ、まあ聞いたときはですけどね。
酒井 「逃げ」ですか。そりゃまた……。
瀏 酒井さん、わたしは逆賊とされたが、戦後はあれだけ戦意の高揚をうたっておきながら、2・26に関わっていたことが連合軍に評価されて、戦犯にされることはなかった。つくづくおかしな一生を過ごしたものだ。
酒井 ……でもあの時の皆さんの行動は純粋だった。
瀏 そう。何ら見返りを求めなかったからね。そこには計算も何もなかった。ま、だから負けてしまったんだがね。不合理といえば不合理だが、今となってはそれが救いだ。……酒井さん、旭川はもう寒いんだろうね。
酒井 ああ、はい。そうですね。もう霜も降りました。大雪の山も初雪の便りがありました。
瀏 そうか。もう一度行ってみたいものだねえ。これからますます寒くなって、石狩川のほとりでは、あの見事な霧華が咲くんだろうねえ。
酒井 ……斎藤さん、ぜひお体を治して、お越しになってください。そしてまたみんなで歌会を開きましょう。
瀏 そうだね。(酒井の手を求める)ありがとう。酒井さん、ありがとう。
2人、手を握り合う。
史(独白) 翌昭和27年、父は最後の歌集「慟哭」を出版。いよいよ体力の衰えは甚だしく、寝たきり状態となり、年が変わって7月、旅立ちました。言葉が出なくなりましてから、体を少し起こさせて、左手の手の平に、右手でサ、ヨ、と書き、次のナの字の横棒を引いた手が下がり、かろうじて縦の線、ラ、は文字になりませんでした。74歳でございました。
父の死後、母も老いが目立ってきました。緑内障を手術しましたが、思わしくなく、次第に闇になってとうとう失明してしまいました。母の面倒を見ているとき、今度は、開業医になっていた夫が突然脳血栓で倒れました。麻痺が残り、私は家と病院に2人の障害者を抱える身となりました。
3年の闘病生活の後、昭和51年の秋、夫は他界しました。そして夫の死後もいよいよ進む母の老い。真夏も細帯姿はいや、というくらいきちんとした人が、頭も体も衰えて、見るかげもなくなっていきました。夫の死から3年、朝からこん睡状態だった母は、午後になって静かに息を引き取りました。もう数日で満92歳、長命の人でした。
コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
耄(ほ)けはてて我を張る老母をもてあます冬夜の底の闇攣(ひきつ)れり
(リフレイン)
死者たちの彈く樂音を聽くとして蜻蛉(あきつ)は石に身を寄せゐたり
(リフレイン)
ある日より現神は人間(ひと)となりたまひ年号長く長く続ける昭和
(リフレイン)
◆ エピローグ
若い女が、再びコップの水を運んでくる。のどを潤す史。
史(独白) さあ、そろそろわたくしの長いお話も終わりに近づいてきたようです。大丈夫ですか。そちらこそ、お疲れになりませんか? ……そうですか(笑みを浮かべてうなづく)。
わたくしは今年2月で93歳になりました。母を長命の人などと言っていましたら、自分自身が母の生きた年月を越えてしまいました。
このところよく夢に見るのは、幼い頃と女学校卒業後を過ごした旭川のことです。古い伝統に縛られることなく、自由に魂を飛翔させることができるあの広大な大地。透明で硬質な冬の大気。春と初夏が一緒に駆け込んでくる花の季節……。そんなときは、自分自身、おかっぱ頭だったり、断髪のモダンガールのような姿だったりと、昔の姿に戻っていて、もう何年もお付き合いしている体の痛みも全くないんです。
いえ、夢ではなくて、頭の中で思い返している? ……いろいろなことを想いながら、うとうとしてしまうこともあるものですから、もうどちらか分かりませんの(笑う)。可笑しいでしょ? 年寄って。
……長く生きてきたなかで、わたくしは実に多くの方を見送ってきました。栗原達のように若くして亡くなった方もいれば、父、母のように衰えた末に逝った人もいます。そして、そうした方々の事をたくさんの歌にしてきました。最初にも申しましたが、わたくしにとっての使命だったのかもしれません。またそうあることができて良かったと、今は思っております。
……人の思い出というものは、思い出す人間がたしかに生きている間だけのもの、あとは茫々(ぼうぼう)と時の流れに没してゆくだけのものでございましょう。
きょうは、わたくしとわたくしの家族、友人、それにまつわる話にお付き合いいただきました。たいへん、ありがとうございました。
コロスによる朗誦、最初は単独で、リフレインは全員で。
君は死者われは老いたる生者にてその距離他よりいささか近き
(リフレイン)
死の側より照明(てら)せばことにかがやきてひたくれなゐの生(せい)ならずやも
(リフレイン)
最後は史による朗誦。
携帯電話持たず終らむ死んでからまで便利に呼び出されてたまるか
微笑む史。若い女、コロスから離れて史の車椅子を押し出す。
ゆっくりと舞台を回ってから退場。コロスも静かに立ち上がって退場。
音楽だけが残る。
(幕)