葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

日本人は変わってしまった④

2010年06月29日 18時00分51秒 | 私の「時事評論」
民主党のばらまき政策の行方

 国民の急速な高齢化とそれを加速させるような少子化の現象。これに対して切り札になるかのように宣伝して民主党が子供のいる家庭に対して子供手当の支給を始めた。民主党が国民に公約したのは月七万円、予算がないというので初年度にあたる今年は半額支給ということになったが、それでも政府の負担は飛躍的に膨らみ、税収では総国家予算の三分の一しか補いがつかないという結果になってしまった。
 政府は消費税を増して、これを補うようなことを言っているが、どう計算してもそれで財政バランスを回復するのは数字的に無理な話で、これにより、今後、日本国の経済がいよいよ立ち直りのきかない危機に陥ることだけは間違いないことのようである。
 おまけに、この子供手当は、支給しても子供の養育にすべて回るという保証はない単なるばらまき行政。新に子供のためだけに使うのなら、直接子育てに必要な社会費用を補わなくては、流用される可能性は高い。すでに子供の養育などにはさほど関心のない現代の母親たちが、「これによって仲間同士の社交や夫のいないときの主婦同士の昼食パーティが豊かになる」、「この資金でエステに行こう」などと子供以外に流用する話し合いをして歓迎しているなどとの風潮は一般的になっているし、この費用捻出のためには、急増している老人への年金支給は圧迫され、一般の人に対する所得税の控除などは圧迫されてきた。
 この種の、選挙目当てにばらまき行政を展開し、国を崩壊させた例は世界に枚挙がない。そのため多くの国では、年金問題などは政党同士のばら撒き競争の種には利用しないという国家健全のための暗黙の協定が成立しているほどだが、日本が、ばら撒きによる国家破滅の第一の候補者になるのは、もはや間違いのないところ。国家は疲弊し年金の支給は減り、社会保障も減り税金は上がる。国民にはつらい将来が押し寄せることだろう。

 出生率を高めるためには

 こんな日本の現状から脱出するには、我が国の人口構成をどうやって高めていくかの誤りなき政策を早急に見つける必要があろう。ばら撒き政治はむしろこれに逆行する政策である。
 話題は飛ぶようだが、最近近所の寺などに行くと、驚かされるのが水子地蔵の急速な増加である。水子とは本来ならこの世の中に生まれ出てくるべき赤ちゃんが「中絶その他の要因で、この世に生れ出る前に命を絶った人々のこと。それを悔やんでその子らの霊を慰めるために設けるものだ。こんな地蔵が増えるのは、単に寺の営業政策ばかりとは言い切れまい。これは子供ができたが生みたくないという親の意思が流行していることの反映だろう。そんな水子がなぜ増えるのか。それはこれからの将来が、この子が生まれ出でても決して良くないだろうと思う、両親の思いの結果だということができよう。水子の増加、それは日本の将来が、生まれてくる若い命にとって、決して明るいものではないという状況を示している。
 人口統計を見ていくと、どんな条件により出生率が低下して、どんな条件でそれは増加するかの大きな要因がそこにあるのがわかる。国民が将来に希望のある時代が来ると予測すると、子供の出生率は急増し、将来が暗いと判断するとそれは低下する。考えればすぐにわかる。子供の将来に、良い時代が来ると思えば国民の子供をつくる意欲は高まり、明日をも知れぬ状態だと思うと、人々は結婚して新しい子孫を設ける設計図をあきらめて、明日をも知れぬ現状の中で、せつな的に今だけ楽しめばよいという気分になる。
 いまの日本はまさににこの悪いほうの条件のもとにある。出生率は少々の補助金などでは上がらない。それよりも現在の、明日をも考えられない社会の空気、人口増加のブレーキを取り去ることが大切なのだ。
 第一次世界大戦ののち、国土が荒廃し国民の士気も下がり、将来への夢を失ったフランスは、出生率が低下して意気喪失、「国などには関心もない」という意識がファッシズムのドイツの占領下におかれる結果となった。フランス文化もここまでで衰退かと言われていたのだが、ドゴールが英国に亡命政権を樹立、「名誉ある独立回復」への抵抗を訴え、ようやくにしてのりきった。また第二次大戦ののちに祖国が気力を取り戻し、戦後の危機も再びドゴールが立って「栄誉あるフランスの回復」を訴えると、低下傾向にあった出生率も回復し、フランスは息を吹き返した。
 このように、将来の祖国への希望を国民が信用するようになり明日の祖国のために自分も参加しようとの機運がみなぎると、出生率はおのずから向上して、国民の目の色にも輝きが出てくる。出生率は国民意識と密接に結びついている。
 日本の戦後直後の時代の出生率の急増は団塊の世代を生みだしたが、これだってただ、戦争から若者が帰還してきただけの理由で起こったものではない。明日の日本を再生しようという機運が、天皇陛下の終戦の証書や多くのお言葉、積極的に全国を行幸して率先訴えられたお力により国民に明日への前進を訴える力となったことを忘れてはならない。歴史はそれをしっかりと証明している。
 そんな戦後の日本復興の精神的原動力になった機運は、その後の日本回復への大きな力となってきたが、やがて日本経済も一応の水準にまで回復したころから、戦後日本で徹底的に行ってきた占領政治を起点とする国民の結束刊、工場間を否定する教育の力が徐々に国民意識をむしばんできて、それとともに日本という国自体の将来への夢や希望が描けないようになり、無責任なその場限りの政治の連続が国内の将来への期待を失わせ、努力の代わりに退廃の機運をもたらし、現在のような国となってしまった。そこを見落としてはいけない。

 明日の日本のために必要なこと

 将来に夢を持たないで目先のことのみ追いかける気風が国にみなぎると、国民意識は退廃し文化は退化する。明日の希望の見えない国にはその場限りのデカダンスの気風がみなぎり、犯罪は増加し社会秩序は乱れ国民の目から輝きが薄れ、当然出生率も低下する。これは歴史が繰り返し証明しているところである。
 日本もいま、そんな事態を迎えている。この気風を打破して将来の発展を望むためには、 戦後の我が国に居座ってしまっている社会としての結束意識、その基礎となる家族を大事にする心、目先の困難に立ち向かってそれを乗り越える向上心、日本の国は、文化は延々と続いてきたし、これからも続けなければならないという向上心を回復させることである。
 日本の未来の伸び伸びとした発展は、居間の政治のま反対の方向にあることを強調してこの連続を締めくくりたい。