面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

今日で終わる。

2008年05月31日 | Weblog
 今日で5月も終わりを告げる。劇団四季報「薫風通信」の第一号を7月上旬に発行する予定なので、制作進行も悠長に構えてはいられなくなった。なにしろ、編集、営業、宣伝、全てをひとりでやっているので、小回りは利くが時間はかかる。そろそろ広告取りも動かねばならない。中野区以外でも受けつけますので、是非、ご一報下さい。16年間の上演作品も出来るだけ詳しく掲載したいので、当初8ページの誌面を16ページに増やしたら、制作費も大きくアップしてしまった。A先生の素敵な劇評も毎回掲載の許可を頂いた。お楽しみに。

 W氏に依頼されたアイドルユニット「オレンジミクロ」のレッスンも半ばを過ぎた。初ライブに向かって懸命にレッスンに励む姿は、付き合っていても気持ちが良い。勿論、劇団のユニット「少女人形舞台」も負けてはいない。6月8日の第2回ライブに向かって励んでいる。そろそろ、7月公演「ミッドナイトフラワートレイン」のキャストも決定する。明日から、新しい6月が始まる。2008年5月よ、君は僕の一番新しい過去となる。喜びも悲しみも、嘘も裏切りも、物語の中だけなら許してあげよう。

 僕の書斎を訪れ、書棚をじっと見つめたA先生の一言「あなたは幻想のなかに生きているひとなのですね」僕はそれを褒め言葉と受け取り、ベトナム珈琲を淹れ、地獄のように熱いカップの中に、ラクトアイスクリームを入れてもてなした。A先生との夜明けまでの小説談義は、幻想のなかの人生以外のなにものでもない、素晴らしい時間だった。A先生、我が侭に付き合っていただいてありがとう御座いました。

おーい!

2008年05月30日 | Weblog
 この1週間連絡の取れない劇団員Hくんの携帯留守電に「おーい!」と入れてみた。聴き直してみると、ずいぶん間抜けな声だったので消去した。ふと考えた。僕らが子供時代から使っている「おーい!」にしろ、欧米人の「へーい!」にしろ、掛け声というのは単体では何だかわからない。間抜けで仕方がないのだ。「おーい!遊ぼうよ!」とか、「おーい!船がでるぞ!」などと、目的をしっかり告げることが重要なのである。だから、携帯留守電の場合も、「おーい!」だけではなく、「おーい!生きてるかい!?」とか、「おーい!連絡くれ!」と、目的を告げる必要があったのだ。しかし、「おーい」という自分の間抜けな声を聴いてしまった僕は、携帯に向かってその言葉を発することが出来なくなってしまった。思考錯誤の末、「もしもし、朝倉です。連絡を待っています。ガチャ」という、聴き方によっては、怒っているような冷たい伝言になってしまった。聴き直せば消去したくなるのは目に見えているので、電話を切った。留守電1回入れるのに、酷く疲れた。おーい!元気かい!

本好きな方へ

2008年05月29日 | Weblog
 愛蔵書を手放すことにした。出来れば本好きな方にお譲りしたい。劇団員に手伝ってもらって、ネットオークションとやらへ出品することも考えたが、その前に、このブログを読んで下さっている方にお知らせしたい。

 吉川英治「私本太平記」初版本全13巻と随筆私本太平記。
 「澁澤龍彦文学館」初版本全12巻
 関 義「展覧会の絵」限定800部
 唐木順三「歴史の言ひ残したこと」初版本
 小林秀雄全集全12巻と別巻二冊
 夢野久作全集初版本全7巻
 イヨネスコ戯曲全集全4巻とノート反ノート
 ロルカ戯曲全集全3巻
 その他、塚本邦雄「悦楽園園長事典」薔薇十字社刊、イザラ書房や浪速書房刊など、好事家好みの書物が多くあります。是非、コメント欄にご一報下さい。お探しの本があれば幸いです。お手数ですが、メールアドレスを添えてお願いします。

映画を観に行こう

2008年05月28日 | Weblog
 映画を観に行こうと思って家を出た。坂道の途中で身分証明の為の運転免許証を忘れたことに気付いて家に戻った。免許証をいれたパスケースをポケットに入れて家を出た。坂道の途中で、財布を忘れたことに気付いた。家に戻った。洗濯機に脱水が終わった洗濯物があったことを思い出した。洗濯物を乾燥機に入れた。2度目に家に戻ったとき、玄関の鍵を扉に差しこんだままにしていたことを忘れて鍵を捜した。そういえば10年前、伊豆の下田に小旅行をした時、車にキーを差しこんだままだったことを忘れて大騒ぎしたことがあった。連れがあきれて帰りの車中気まずい思いをしたが、今回は僕ひとり、捜し疲れて珈琲を淹れていたら、ふっと、思い出した。玄関の扉を開けると、鍵が差しこまれたままになっていた。どっと疲れが倍増して、出掛ける気力を失くした。夢見が良くなかったと言ってしまえばそれまでだが、こんな日もある。明日は映画を観に行こう。

 

形ある物の儚き末路

2008年05月27日 | Weblog
 吟味した土を丹精こめて捏ね、丹念にろくろを廻し、窯に入れては火加減に寝ずの番。たかが茶碗、されど茶碗。20数年来、度々の引っ越しにも耐えた愛用の茶碗を、ふとした気の緩みから手元が狂い、落として割ってしまった。無残に砕けた欠片を手にしながら、堪えきれずに泣いてしまった。形ある物はいずれ壊れる。わかっていても切ないものだ。もう、元には戻らない。縁日で初めて父に買ってもらったターザンの飛び出しナイフ、水中メガネ、野球盤、少年誌の通販で届いた鉱石ラジオ、幼い頃から数えれば、沢山の大切なものを壊してきた。形ある物で、もう僕には大切なものは書物しかない。

 然し、茶碗ひとつ壊して泣くとは思わなかった。小学校の入学記念に庭に植えたメタセコイアの木が8年程前、母が逝った春に切り倒された。父が従兄弟に頼んだらしい。僕の背丈ほどだったメタセコイアは20メートルを越えていたという。帰郷してその切り株を見ても、涙は出なかった。

 やわらかな陽射しの中、庭の隅に茶碗の欠片を埋めた。今日も1日が始まる。Tの評論がユリイカに掲載されたらしい。一歩、一歩、進めば良い。自分のことのように嬉しい。さあ、僕の中の少年よ、泣きながら走り出せ。まだ、エンドマークは出ていない。

レッスン初日

2008年05月26日 | Weblog
 19時過ぎ、個性的な3人の女の子が稽古場にやって来た。オレンジミクロのメンバーである。石川嬢は以前、W氏に紹介されて会ったことがあるが、高橋嬢、森嬢は初対面である。明朗で堂々としていて、気持ちが良い。作曲の神津先生から一曲目のカラオケがPCで送られてきた。CDにダウンロードして、早速3人の歌声を聞く。何とかなりそうだ。20時、振り付けを依頼した劇団女優の北原嬢が参加、W氏と打ち合わせ。80年代のアイドル風なスタイルでいくらしい。23時、1日目のレッスン終了。明日までの宿題を出して解散。

 初ライブは6月7日らしい。かなり無謀なスケジュールではあるが、頼まれた以上、仕上げてあげたくなった。明日から猛特訓だ。「歌って踊れておしゃべりの出来るアイドル」が当面の目標らしい。すがすがしい空気に満たされて、20年の時空を遡ったような感覚だった。10日間、体力が続けば良いが、と、その頃は考えもしなかった思いに、ひとり苦笑した。

時代は変わっても

2008年05月26日 | Weblog
 今日から10日間、W氏の依頼でアイドルグループのレッスンを引き受けた。20年程昔、レモンエンジェルというアイドルグループを育てた経験があるので、来た依頼だと思うが、W氏好みのいずれも身長150センチ弱の少女たちらしい。今日初めて彼女たちに会う。しかし、時代は変わっても、アイドルという不思議な職業は続いている。僕の育てたグループも、アーティストとして生き残るのは叶わなかった。きっと、初恋のようなもので、淡い思いでとして残るのが一番美しいのかも知れない。W氏のように、期間限定での活動と決めて始めるのが良い。アイドルは時代を彩り、駈け抜けてこそ、光輝く。

 勿論、20年前にコンビを組んだ作曲家神津裕之先生にお出まし願わねば、仕事は始まらない。当時より楽しんで出来ることは間違いない。グループ名は、「オレンジミクロ」というらしい。どうだろうか、ま、会ってみてからのことだ。

日曜日は練習日

2008年05月25日 | Weblog
 雨は予想に反してあがっていた。オークスも気になるが、イベントや公演のない日曜日は、少女人形舞台の練習日だ。ギターを弾き続けていたら指先が破れそうになった。それでも彼女たちの歌が仕上がるのは嬉しい。次回のライブは6月8日、新曲が何曲仕上がるか楽しみである。20時過ぎ、いつも応援して下さるFさんが、差し入れに来て下さった。21時、練習が終わって、Fさんと二人、なべ横のカウボーイで遅い夕食。何年振りかでハンバーグを摂った。

 オークスの予想は外れだったが、琴欧州の優勝は印象深かった。大関昇進後、怪我やCM出演で稽古不足となり、ニ度目の角番で大関陥落が予想されていた琴欧州が、親方の一言「親孝行と相撲が強くなりたくて日本に来たのじゃなかったのか」に目覚め、猛稽古に励んだとインタビューに答えていた。日曜日も遊べない「少女人形舞台」は、必ず陽の目を見る。と、信じれば指の痛みも消え失せる。目標が希望を生み、希望が稽古を楽しくする。何よりも高い志がその人を輝かせる。夢中で駈ける事だ。僕の中の少年は今も走り続けている。

 

 

雨は夜半も降り続き

2008年05月25日 | Weblog
 17時から劇団員のプロフィール撮影があるので、ついでに僕も撮ってもらう事にしてアトリエに向かった。風が止んで雨が静かに降り始めた。今日のカメラマンは劇団女優の西本嬢。彼女の腕は定評があり、僕も楽しみだ。

 21時、撮影終了。22時半まで歌の練習をして、帰宅。昨年末、ライブをやらなかったので、歌いたくて仕方がない。来月から、僕もライブを再開しょうと、密かに計画している。歌も芝居も、死ぬまで止められないのだ。だから続けるしかない。小説でもなく、日記でもない、ブログという不思議な書き物を始めて4年になる。誰かに読んでもらっていることが、どんな意味を持つのか、まだわからない。少なくとも、心が穏やかになることだけは確実だ。誰かが悲しんだり、迷惑だけはかけない様に心掛けている。それでも、時々誰かの悪口を書いていると指摘されることがある。更に気をつけよう。

 雨は明日も降り続くらしい。東京競馬場では15時40分、オークスがスタートする。タニノギムレットの産駒でライムキャンディという牝馬が走る。1月に京都で新馬戦を勝って二戦目がクイーンステークスでリトルアマポーラの2着、3銭目のスイートピーは落鉄のアクシデントで12着、そして、4戦目が明日のオークスである。鞍上は藤岡から四位に乗り変わる。勿論、社台RHの生産馬である。人気はない。5枠9番に入った。リトルアマポーラ18から、3連単、3,4、12の3点に、9を加えてオークスの予想とした。今回は夢には出て来なかったが、3歳牝馬で500キロを越える大型馬だ。オークスでは大型馬が苦戦しているのも人気を落としている要因だ。雨が味方をすれば、ひょっとするかも知れない。

 

風と花の物語

2008年05月24日 | Weblog
 遠い昔僕は風だったのかも知れない、という書き出しの歌を作ったことがある。ラジオドラマの主題歌で、花の名前を羅列した歌を書いたこともあるが、とりわけ、僕は風の中に沢山の物語を見る。同人誌に、風に吹かれて空に舞いあがる女の子の話を書いたことがあるが、今でも、強い風が吹くと空に舞い上がりたくなる。

 朝から今にも降り出しそうな空模様が続いている。強い風が吹いているので、まだ大丈夫だが、この風が静かになると雨が降り出す。心を澄ませていると、風が木々を鳴らして雨が来るのを知らせてくれているようにも思える。若しくは、風は雨の露払い、さあさあ雨様がやってきますよ、と、ファンファーレかも知れない。まだ、15時過ぎたばかりだというのに、夕暮れ時のようだ。僕は、例によって気圧の変化による拷問の最中だ。滲み出す髄液は、脳に千本の釘を打ち込む。ドラクロア伯爵の拷問を想像して耐えている。

 トランシルバニアのトラジシ城に吹く風は、今でも血の匂いがすると言うが、30年前、「吸血鬼伝説」というアルバムを共に作った作曲家のM氏が消息を絶ってから10年になる。一緒にルーマニアへ旅をする約束は果たされぬまま、彼の作曲した音楽だけが残っている。風は僕に何かを知らせたいように強く吹いている。今の僕には風の言葉が聞き取れない。