面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

うれしい便り

2008年02月29日 | Weblog
 郵便受けにハガキが来ていた。4年ほど前、僕の劇団を受けたのだが、有名な劇団にも合格してそちらを選んだ女優さんからの公演案内だった。携帯電話の番号が記してあったのでかけたら留守電だった。暫くして電話があった。公演の稽古中で、休憩時間とのことだった。活力のある声だった。今はフリーで活動しているらしい。

 人は一本の道を歩くしかない。だが、目的を持って歩けば、それぞれの道は交差したり、助け合い、一緒に歩けたりする。これからも僕は、一本の道を歩きつづける。いつかあなたの道と交わる日が来るだろう。その日まで歩き続けよう。

それすらも日々の果て

2008年02月28日 | Weblog
 懐かしい漫画のタイトルを思い出して独り苦笑した。「それすらも」とは実に深い言葉だ。日々の果てにある喜びも悲しみも、現実に存在するものは全て、オスカー・ワイルドが説くように、話さないでも存在する世界だ。「それすらも」である。しかし、もうひとつの世界、芸術の世界は話さなければいけない。話さなければ存在しない世界なのだから。

 それすらも日々の果て、と、嘯きながら、僕らは存在しない世界を語り続けるのだ。35歳の夏、渋谷で倒れて北青山病院に担ぎ込まれたあの日から僕は長い眠りについていたのかも知れない。倒れる数日前に書き上げた五百枚の原稿が今、机の上にある。上海から帰って1ヶ月で書き上げた「夢魔の葬列」という小説だが、焼き捨てるか、改稿するか、読み返してから決めるとしよう。僕は確実に覚醒した。大丈夫。

命の梳り方

2008年02月27日 | Weblog
 遅れに遅れた新人公演の脚本が、何故ここまで書けなかったか。それは命を梳っていないからだった。熟れで書けるほどの才能がなければ、命を梳るしかないのだ。惜しんで長生きをするほどの命でもないので、腹に力を入れて梳った。前半部を受け取りにきた司くんが、その場で読んで、面白いと言ってくれた。後半部を書いていると、稽古を終えた三田嬢、千葉嬢から相次いでメールをもらった。心のこもった褒め言葉は勇気をくれる。

 新しい時代が幕を開ける時、ひっそり幕を閉じる時代がある。長岡のレコード針をワクワクしながら買ったのも、昨日のことのようだ。煙草がハードボイルド映画に欠かせない小道具だった時代もやがて忘れられるのだろうか。梳らなくても命は尽きる。梳ればもっと早く尽きる。芯まで梳れば僕は満足です。

 第十五期生の新人公演「花衣」はアトリエで3月24日から始まります。5月6日が千穐楽です。劇団創立以来の、パワーあふれる新人たちに、ご期待下さい。

46度の湯加減?

2008年02月26日 | Weblog
 この冬の楽しみのひとつに、風呂に浸かっての読書がある。下半身だけ湯に浸かって、蓋にタオルを敷き、40分から50分間読書に没頭するのだが、はじめの頃は42、3度で30分もすれば汗が噴き出していた。それが、昨夜は46度になっていた。しかも、汗もかかなかった。確かに外気も冷え込んではいるが、徐々に設定温度をあげてしまったらしい。それにしても46度を熱く感じないとは、皮膚感覚が麻痺したのだろうか?どうもおかしいので、今夜は42度に戻して入ってみようと思う。眠らないように気をつけよう。

 昼に十五期生の司亮くんが原稿を取りに来ることになっている。待たせに待たせた脚本だ。面白いよ、と、言って渡そう。

始まりが来る。 

2008年02月25日 | Weblog
 強い風は春ニ番だと知らされた。そんな事も知らずに今日を生きていたのが嬉しい。終わりがあれば始まりもある。生きるとはそういうことだ。守られて助けられて生きていることを実感している。そのあり難さを今、僕はこみ上げる熱い涙で味合っている。

 こんなにも素晴らしい人生を、分かち合いたい。僕らの芝居を沢山の方に見て欲しい。今までになく、そう思う。新しい始まりがやって来る。僕は稽古場にいる。一緒に芝居を作りたい人は、何時でもいらっしゃい。

 

強い風の吹く昼下がりに

2008年02月24日 | Weblog
 強い風が葉のない庭の木々に吹き荒れている。もうすぐ終わる冬を惜しんでいるかのようだ。陽射しの明るさに比べて気温が低いのは、強く吹き荒れる風の仕業だ。枝にしがみついていた雀が流される様に飛び立った。2杯目のコーヒーも身体を温めてはくれない。

 頚椎にしろ頭痛にしろ身体の痛みなら動かずにいれば何とかなってきた。厄介なのは心の方だ。悪夢は悪夢を呼び、妄想は妄想に連鎖する。舞台が面白ければ救われる。そのことだけにすがって生きている。儚きは人の夢と書くが、墓のないのは生きている証し。養老先生ではないが、誰が自分の告別式の日取りを予言出来ようか。強い風の吹く昼下がり、思いは風のようにとりとめもなく心を弄ぶ。

済し崩しのスケジュール

2008年02月23日 | Weblog
 手帳のスケジュールでは、もう九州から帰京しているところだが、まだ出発さえ出来ていない。新人公演の脚本遅れで、そうとう予定が狂ってしまった。あちこちに迷惑をかけている。特に銀行の手続きなど、もうお手上げに近い。ピンチヒッターを頼めない仕事が溜まりすぎて、悪循環を繰り返している。

 気付けばもう土曜日だ。地球が回転速度を早めたとしか思えない。1週間が2、3日の感覚だ。髭を剃りに行けば、床屋の主人に近々大地震が来ると嚇かされる始末。

 こんな時に限って料理をしたくなる。が、じっと我慢して机に向かう。コーヒーを飲む回数だけが増え、原稿は進まない。いっそ大地震でも来やがれ、と、不謹慎なことを考え、慌てて振り払う。言葉には出していないが、思いも言霊には違いないので、肝の住まいの小さな僕としては地震という言葉に怯えるのである。

 時間は容赦なく過ぎて行く。只今2時21分、ブログを開く時間があったら原稿を書け!と、自分を叱ってみる。

佳境に近づいて

2008年02月22日 | Weblog
「我に七難八苦を与えたまえ」と、三日月に祈ったのは山中鹿之助だったと記憶しているが、艱難辛苦は求めなくても身に降りかかる。新人公演の脚本に、三日月ならぬ3ヶ月を要して尚、仕上がらずに今日を生きている。

 辛いのは、時間をかけたからといって作品の出来が良い訳ではない。「沈まない船」など、二晩で仕上がった。結構難航したのは、「笑うウッデンドール」「ラブミードール」だった。あ、どちらも新人公演作品だ。今回の「花衣」に、ドールは絡んでいないが、何の因果か雑事が次々と絡んでくる。払いのけたり避けたりして、今日まで来た。しかし、間違いなく、今週でこの苦しみが幸せに変わる。

 と、急に頼まれ事が舞いこんだ。明日、某俳優養成所のオーディションに呼ばれて出掛ける事になった。どんな新人にめぐり合えるか、好奇心には勝てない。気分転換に半日を費やそう、と、自分に言い訳をした。

旅立ちの季節

2008年02月22日 | Weblog
 日本の季節は春夏秋冬何れも旅立ちが似合いすぎる。春は桜の木のしたで、夏は波の打ち寄せる浜辺で、秋はススキの高原で、冬は枯れ葉舞う停車場で、幾つもの別れの歌が生まれ、別れに涙する。

 旅立つ人を止める事は出来ない。僕は18歳で故郷を後にした。花の都に出て芸術を目指した。しかし、都会で生きる為に相手にするのは芸術ではなく、人間に他ならなかった。愛も憎しみも人間相手の戯れ事だった。相手にすべきは至高の芸術なのに、人間の渦に幻惑されて人間として傷つき傷つけて生きて来た。

 もういいだろう、優しく笑って見送ろう。旅立つ人よ、君に幸せあれと祈る。

生きるってことが

2008年02月21日 | Weblog
 劇団設立2年目の夏の芝居「ホテル夕陽館」の劇中歌(心にちょっと雨漏り)で、僕は、ソープ嬢で稼いでリゾートホテルのオーナーになったものの、昔の客が来ないかと怯えてくらす主人公に、「生きるってことが嫌になることってありますね」と、歌わせた。劇団の稽古場を持つ事が当面の目標で、ひたすら芝居作りに熱中していた。僕自身は、生きる事が嫌になるどころか、明日と言う日が待ち遠しい日々だった。

 心にちょっと雨漏りがして 大事にしていた夢を濡らした。
 それでも私は生きて行くわ 濡らした夢を乾かして。
 
 歌ってくれた女優さんの優しいまなざしを思い出す。劇団創立2年目の生意気な演出家の無茶な注文に、笑顔で応えてくれた大人の女優さんだった。大事にしていた子供の頃の夢がどうしてポケットの中でカッタン、コットン擦り減ったのか、自分で作っておきながら、僕は今でも、森進一より上手く歌えないでいる。