面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

紫陽花につかの間の薄陽

2006年06月19日 | Weblog
 書棚の天井にあった昭和36年の新聞を読んでいると、窓から薄陽が差し込んで古い新聞紙をよりセピア色に染め上げた。浅黄色とでもいうのだろうか、部屋全体を染めたその色は黄昏時には似合い過ぎて妙に落ちつかなくなり窓を開けた。
 梅雨が終わったわけではない。つかの間の雨上がりだ。庭の紫陽花が我が世の春とばかりに咲き誇っている。人影がゆっくり動いた。懐かしいひとが僕に微笑んでいる。50年も昔に別れたひとなのに即座に思い出した。 
 「来ていたんだ」僕は、落ちつきを取り戻して声をかけた。
 「何もかも、うまくいきますよ。心配する事ありませんからね」
 そのひとは、子供を諭すように優しく答えた。
鮫小紋の着物姿は、応接間の棚に飾られたガラスケースの中にあった50年前のままだった。小袖に抱いた蛇の目傘も濡れたように艶やかだった。
 博多人形は、きらびやかな装飾はないが、その上品な佇まいが特徴とされる。
 今日は父の日だ。突然思い出して田舎の父に電話をかけた。 
 屋根裏部屋に、僕のお気に入りの博多人形が今でもあるか、訊ねるのは躊躇われた。
 「お元気で」というと、「そっちもな」と、92才とは思えないちから強い声が返って来た。
 夏は、ゆっくりと東京に向かっているに違いない。