面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

2007年への準備

2006年12月30日 | Weblog
 原稿書いて、年賀状書いて、のくり返しをしていたら、Tがやって来た。
「ずいぶん書けましたね」
「いや、こっちの束は出すのを止めた人達」
「それはいけませんね。出したくない人こそ出すべきです」
「何ゆえ?」
「いいですか、年賀状というのは年に一度のハレなのです。あなたの愛が降り注がれるのです、云々かんぬン」と、いうようなことをのたまった。
本当に、彼は他人事だと、キリストか釈迦のようなことを言う。
出さない理由は一つではない。元旦に会うであろう人、名刺の名前と顔が一致しない人、嫌われているかも知れない人、有名人なので躊躇する人、同窓会であった昔仲の良くなかった人、等など。しかし、コンコンと諭されたので、僕は、喪中(知る限り)のかた、住所が不確かな方を除いて、出来る限り書く事にした。原稿は書きあがっても、年賀状書きは終わらないような気がする。そういえばAに、「全部手書きなんですか」と、あきれたように云われた。確かに相当な量だ。届いた方に喜んでもらえたら、僕も嬉しい。
届かなかった方。僕は身内には出さないので、すごく愛されていると思っていただけると嬉しいです。

劇団納会

2006年12月28日 | Weblog
 恒例の年末大掃除、そして劇団納会。慌ただしいなかにも心温まる1日だった。
年賀状書きが終わらず、窓拭きや庭掃除の手伝いに劇団のN嬢に来てもらい大いに助かった。Aがアメ横に買い出しに行き、僕は米を炊く。N嬢がダシ巻卵を焼いて納会の準備が進む。すでに田舎へ返った者もいて、参加者は11名。 19時、稽古場の掃除もすっかり終わり、乾杯で始まり。Aの買い出したマグロの刺身とイクラがテーブルに並び、炊き立ての新米は長岡産コシヒカリ、海苔で手巻きも良し、丼で掻き込むも良し、豪快な晩餐となった。差し入れの酒は沢山あるのだが、皆食欲の方が勝っているようだ。
 満腹のまったりした時間、それぞれがそれぞれの美点を褒め合おうという趣向になった。確かに、貶し合うより和やかな気持ちになれる。これは稽古中も時々やった方が良いかもしれない。今年の劇団員昇格者は後藤享ただ一人、彼は入団六年目、学生時代から続けている中国武術の腕は相当なものになった。後輩にも慕われ、劇団員の資格は既に充分だった。今後の活躍を大いに期待しよう。N嬢の初めて作ったというダシ巻卵も好評で皆の笑顔が輝く納会、今最も苦難の中にあるのに、僕は本当に幸せ者です。

時は過ぎゆく

2006年12月27日 | Weblog
 滝に向かう流れのように、時の過ぎるのが速すぎる。相対的なものだから、やることが多過ぎるのかもしれない。29日まで原稿書き上げねばならないのに、明日は劇団の大掃除に納会。私的な雑用は山積みで、年賀状も予定の半分弱程書いたところ、猫の手よりお手伝いが欲しい。贅沢は言うまい。今年はこんなものだろう。それにしても今年は新人公演を含めて六回も公演を打った。1年中芝居漬けだった。来年は映画漬けになりそうな予感がする。いや、脚本書き続けかもしれない。1月3日、楽しみにしていた恒例の新年ゴルフも泣く泣く断った。こうなったら倒れるまで書き続けてみよう。倒れていたら誰か声をかけて下さいね。

札幌は雪の華

2006年12月25日 | Weblog
 旅人の見る景色はそこに住む人の苦労を知らない分美しさが強調されるきらいがある。
しかし、つとめて冷静に見たが、南国熊本生まれの僕にとって、雪の華咲く札幌は息を呑むほど美しい街だった。しかし、ホテルを一歩でたあの寒さは長く耐えられるものではない。
 帰京してクリスマスライブのラストステージに間に合った僕に、劇団のGが「札幌どうでしたか」と訊いたので「雪が沢山降って寒かった」と答えると「それはよかった」との返事。Gは旭川の出身なのだ。僕が夏に熊本へ行った彼に「どうだった」と訊けば「暑かった」と返ってくるだろう。そして僕は「それはよかった」と言うだろう。と、Tが分析してくれた。札幌は寒く、熊本は暑くなければ困る。一種の郷土愛か。寒い事が誇らしく暑い事が自慢なのだ。CDドラマから映画が生まれる。この素晴らしい発展に立ち会えることは嬉しいが、脚本書きとしてはかなりのプレッシャーだ。最終シナリオハンティングを終え、今年中に書き上げるのが僕の仕事。年賀状書きもまだ終わっていない。正月に届かなかったらごめんなさい。そんな訳で、雪の札幌、楽しむ時間もありませんでした。
 そうだ、行きの飛行機で面白い事があった。千歳空港の滑走路除雪の為、青森上空を1時間以上旋回して着陸を待たされたのだが、飛行機が苦手な僕は息苦しくなり、隣に座った制作会社のK氏に思わず遺言を頼んでしまった。すると、K氏曰く「僕も一緒に落ちると思うんですが…」そのとおりだ。後で、同行のW氏に話すと「やっぱり朝倉さんはアホだったんだ」と、ため息を吐かれた。よくよく考えれば隣に乗っているK氏に遺言を頼む僕はおかしい。W氏のいうとおりかも知れない。

俳優失格

2006年12月23日 | Weblog
 声で嘘が吐けないと云う事は俳優失格なのだろう。些細な事で一喜一憂している自分が情けなくもあり愛しくもある。釈迦の掌であがく孫悟空に例えるのは呑気すぎるだろうが、こうまで露骨に生かされていることを実感させられると、分かりました、降参です。と、天を仰いで叫びたくなる。なのに、まだ抗っている僕がいる。山中鹿之助の血でも引いているのか、もう充分ぺしゃんこなのに、何と云う奴だ。
 さあ、これから雪の札幌へ出発です。南国生まれの僕にとって雪国は小説の世界です。特に足寄は、僕の心に別世界を広げてくれた大切なふるさとになりました。熊襲の末裔がアイヌの地を歩く。1000年前なら偉業でしょう。今は1時間余、まさに隔世の感ですね。ところで俳優失格の話、あまりに辛かったので電話で思いきり明るく振る舞ってみたのだが、泣き声に聞こえたようで、どうしたの?と、訝しがられてしまったのです。修行、修行!

深夜の買い出し

2006年12月22日 | Weblog
 四万十川の海苔の佃煮が手に入ったら、餅を焼いて食いたくなった。坂上のスーパーオリンピックも最近深夜営業をしているので、夜の闇を突いて餅を買いに走った。この衝動は暫く忘れていた感覚だ。そう云えば、つい3、4年前までは、郡山だろうと浜松だろうと食材を求めて夜明け前の高速道路を飛ばしていた。強がりな心だけが残って、行動は臆病になり、追憶という幻の深い霧の中を彷徨っていた。それでもついて来てくれる仲間がいる。目を醒まそう。そして、目の前の問題を的確に解いていこう。庭に炭の入った七輪があるが、夜明け前に火を熾すのは不気味だと思いとどまり、ガスコンロにかなあみを敷いた。焼きあがった餅に海苔をたっぷり乗せて食えば、馥郁の世界。一人暮し8年目の1日が始まる。そろそろ、東京にも雪が降るのだろうか。明日は札幌に旅立つ。いよいよ、映画脚本の大詰め、期待して下さい。朝倉はもう壊れません。生きて大願成就します。ご支援、ご声援心から深く深く御礼申し上げます。23日、24日のクリスマスライブ、櫻井智始め劇団員一同を宜しくお願いします。留守してごめんなさい。楽しんで下さいませ。週明けは北海道便りお楽しみに。

愛玩パソコン

2006年12月19日 | Weblog
 犬や猫ではないが、昨日の朝、操作ミスでパソコンに悲鳴をあげさせてしまった。5年前、S君に秋葉原でパーツを仕入れ二万円弱で組みたててもらった愛用のパソコン。そろそろ、買い換えようかと思った矢先だったので慌てて「御免!」と謝ったが、パソコンはピーピー泣き続け、僕は謝り続けた。と、云うのも、僕には苦い経験があるのだ。愛車を買い換えようかと思うたびに大きな事故に遭い、家人から「車に乗ってるとき、買い替えようだなんて云わない方がいいのでは」と、忠告され、ハッ、と、した事がある。この前など、ハンドルを握りながら「決して嫌いになった訳じゃないからね」と、車に言ったのに、査定の前日駐車場で思いもよらぬ事故に遭い、査定は大幅にダウンした。
 で、パソコンだが、壊れたわけではなかった。本体の電源を落とし、今朝まで待って起動してみると、こうしてブログを書けるように回復した。何だか、パソコンに愛玩動物のような愛しさを覚えて、「買い換えるわけないだろう」と、慰めてしまった。SF小説に迷い込んだ気がする。と、オーディオの上に置いたピエロのオルゴールがチン、と首をかしげた。サイドボードの上のテディベアにかけたメガネがコトリ、と落ちた。風呂で溺れかけた時以来の一人暮しの恐怖を、今、感じている。

終わりはないが…

2006年12月18日 | Weblog
 依頼された映画のシノプシスを今、書き
終えた。採用されるか否かは判らないが、
あてもなく書いていたアマチュア時代に比
べて、依頼されての仕事は気が入る。
勿論、制限時間があり、昔の気楽さは微塵
もない。それでも、好きな仕事が出来るの
は幸せだ。ラジオドラマにしろ舞台の戯曲
にしろ、創作は何でも楽しい。漠然とだが、
僕は子供の頃から、死んでから評価される
人生になるのではないかと、思っていた。
現在の貧窮振りを客観覗すれば、当たらず
とも遠からずだ。そろそろ、痩せ我慢も限界
に近い。W氏のブログでアホ呼ばわりされて
いるが、そのとおりである。唯心論に宗旨変
えして間もないのでUFOも出現してはくれ
ない。他力本願とまでは悟っていないので、
気持ちが安らぐには時間がかかるだろう。
僕の好きな(世界中のSFファンが好きな)
フィリップ・キンドレッド・ディックは、
初の映画化作品「ブレードランナー」の公開
直前にこの世を去ったが、20作以上の長編
と100作あまりの短編小説を残し、いまも
映画化され続けている。彼を思うと勇気が
湧く。創作に終わりはないのだ。書きつづけ
れば良い。人と人が争うのではなく、人が人を
楽しませる仕事が出来ることを感謝しつつも、
この醜い現実も終わらないのだと思うと、残酷
なこの世を憾みたくもなる。いずれにしても、
僕が去っても、何も終わらないのだ。

夢のまた夢

2006年12月17日 | Weblog
 泥のように眠る、と云う言葉を誰が
考えたのかは忘れたが、土曜日の夜
11時半過ぎから日曜日の昼前まで、
寝返りを打った記憶もなく眠った。
 眠りすぎて頭が痛い。
今日の為に昨夜食料を仕込んでいた
ことを思い出して冷蔵庫を開けた。
 日曜日の予定を空白にしたのは、
依頼の原稿を仕上げる為なので、休日
ではない。因果な職業である。
 だが、空腹は身体に良くない。
土鍋に米を一合、小鍋に豆腐と油揚げ
の味噌汁。サラダ油を多めに張ったフ
ライパンで卵焼き。油揚げと葱を細か
く刻んでフライパンで炒め、納豆にま
ぶす。一応、朝食らしくなった。
 最近、ヨーグルトを良く食べる。明治
のブルガリアでアロエかブルーベリーが
多いが、ほくにゅうのフルーツサラダと
いうのも悪くはない。180グラム入り
と書いてあるので、小箱だろう。食後
にはちょうど良い。賞味期限があるので
果物同様大量に買い込めないのが、少し
面倒ではある。
 寝起きで緩慢なのか、食事を終えると
15時、外は夕暮れ時のような薄暗さだ。
 背中に悪寒が走った。まさか、これは、
夢の中の出来事ではないのだろうか。
それならそれでいい。僕のこれまでの
人生は、夢のようなものだった。これから
も、そう変わることはあるまい。沢山の
素敵な人達に出会い、楽しい日々を過ご
した。苦しみも、悩みも、危機も乗り越え
今、ここにいる。夢で良いではないか。
そう思うと、悪寒も消え去った。
 悪夢は夢魔のなせる悪戯、許してやろう。
大切なのは僕を信じてくれている人たちに、
信じて良かったと、喜んでもらえること。
その為に生きること。他には何もない。


夢から醒めて

2006年12月16日 | Weblog
 書棚の扉が音を立てて開いた。面妖しい。
書棚の扉はAが全部五寸釘で開かぬよう打
ち付けたはずだ。朦朧とする意識で懸命に
記憶を手繰り寄せた。覚醒してみれば、書棚
に扉など在る筈もなく、全ては夢魔のなせる
仕業。時計を見ると3時過ぎ、二時間は眠った
ことになる。
 昨日は午後1時からライブのリハ、小さな
ステージでも、編曲の神津さんをはじめ、決して
手を抜かない。ゲストの堀川さん、コーラスを
頼んだ劇団のまたか、まくたの両嬢の歌も入れて
15曲、17時過ぎにリハ終了。
スタッフ共々、慌ただしい食事を摂る。
18時、 今回は客席横に誂えたバーカウンター
での寸劇から始まる趣向なので、リハをやっている
とお客様がご来場、バタバタと開場。
 裏方の荷物と一緒に堀川さんの譜面が片付けられ
全員で捜す一幕もあり、年末ライヴらしく?なった。
 年の瀬の平日、大切な1日を、僕のライヴに時間を
使って下さった皆様、本当に有り難う御座いました。
この感謝の気持ちは大袈裟でなく、必ずかたちにして
御礼致します。神津さん始め大堀さん、辻さん、小野
さん、スタッフの皆さん、本当に有り難う。
 後援会のOさんがこんな平日よく来れるなと言って
いたが、そういうOさんも有り難う。
何だか、ステージからお礼をすれば良いものを、いつも
言いそびれてしまう。歌の途中、感極まったのは、実は
あの時突然、これが最期のステージになるような、妙な
感情にとらわれてしまったのです。そんなことはない!
これが最期でたまるか、と、自分の中で闘っていたら、
涙がこみ上げてしまって、大変失礼しました。
兎にも角にも、今年最後に大きなプレゼントを頂きました。
人の心の優しさをこれほど感じさせて頂いて本当に幸せです。
除夜の鐘がなるまで、今年も全力を尽くします。23日、
24日は劇団、櫻井智のライブです。裏方で頑張ります。
本当に、本当に、有り難う御座いました。