面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

歌詠みの末裔

2009年01月12日 | Weblog
朝倉「歌詠みの血が流れているらしい」
龍真「95歳のボケ老人のたわごとだよ」
朝倉「800年前の話ですからね。眉唾ものではあります」
龍真「ほら吹きの血なら信じるよ」
朝倉「笑いながら言うんです”65歳の息子が柿の木に登っているのを下から見上げた88歳の親父が”心配だから代わってやろうか?”って」
龍真「自分が頭脳明晰だとでも言いたいんだろう」
朝倉「しかし、老人の記憶の糸を引っ張り出すのも面白い。何がでてくるか、思わず時間を忘れてしまいますね」
龍真「原稿遅れの言い訳にはするな」
朝倉「はい」

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1 コメント

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ブログ再開してたとは・・ (ケン)
2009-01-14 01:30:05
朝倉と龍真、書いている本人には区別がついているのだろうが、
ト書きが無い言葉を読んでいる私にしてみれば、
名前が入れ違っていてもその違いに気付かないだろう。
あまりにも世界観やスタイルが似すぎている2人の言葉は心に響かない。
おそらく2人は同一人物であるのだろうけれども、もう少し極端に性格が違ってて欲しかった。
背負っているものが違う者同士の闘いほど、観ていて面白く感じるのと一緒だ。
60歳過ぎの「朝倉」に対し、「龍真」は何歳の設定なのだろう。
人間である「朝倉」に対し、「龍真」はどんな存在として位置づけているのだろう。
「龍真」の悪態のつき方が生ぬるすぎて、悪びれ方が鼻に付く。
無理して不良ぶってる中学生のような言葉使いばかりだ。
殴り倒して泣かせて本性を引き出したい心境になる。
もっと生きていることを否定するようなショッキングな言葉を浴びせて欲しいものだ。
枯れた「朝倉」に活を入れるための存在として、「龍真」が現れたのだろうか。
それとも「朝倉」から生まれた新しい種としての「龍真」なのだろうか。
もうしばらく読み続けて、その心境に近づきたい。
そう思えたブログです。
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