面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

形ある物の儚き末路

2008年05月27日 | Weblog
 吟味した土を丹精こめて捏ね、丹念にろくろを廻し、窯に入れては火加減に寝ずの番。たかが茶碗、されど茶碗。20数年来、度々の引っ越しにも耐えた愛用の茶碗を、ふとした気の緩みから手元が狂い、落として割ってしまった。無残に砕けた欠片を手にしながら、堪えきれずに泣いてしまった。形ある物はいずれ壊れる。わかっていても切ないものだ。もう、元には戻らない。縁日で初めて父に買ってもらったターザンの飛び出しナイフ、水中メガネ、野球盤、少年誌の通販で届いた鉱石ラジオ、幼い頃から数えれば、沢山の大切なものを壊してきた。形ある物で、もう僕には大切なものは書物しかない。

 然し、茶碗ひとつ壊して泣くとは思わなかった。小学校の入学記念に庭に植えたメタセコイアの木が8年程前、母が逝った春に切り倒された。父が従兄弟に頼んだらしい。僕の背丈ほどだったメタセコイアは20メートルを越えていたという。帰郷してその切り株を見ても、涙は出なかった。

 やわらかな陽射しの中、庭の隅に茶碗の欠片を埋めた。今日も1日が始まる。Tの評論がユリイカに掲載されたらしい。一歩、一歩、進めば良い。自分のことのように嬉しい。さあ、僕の中の少年よ、泣きながら走り出せ。まだ、エンドマークは出ていない。