面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

九州旅日記その弐

2006年08月31日 | Weblog
 8月26日(土)

 7時 T・H君の迎えで熊本南カントリーへ。高校時代の
恩師を囲んでのゴルフコンペ。
 T先生御年77歳、喜寿と言う事で夜は祝宴の予定。
県内外から教え子達が集う。3年間、同じクラスを担当
されたのは僕らが最初で最後、つまり40余年の教員生活で
唯一のことらしい。
 20才も年下の僕らと張り合う姿は、若いの一言。
一緒にラウンドしたMと、先生の後ろ姿に感心し合った。
「君にいいとこ見せようと力んだよ」「僕もです」
シャワーを浴び、かき氷を食いながら、僕らは笑い合った。
 今は悠悠自適のT先生、「それじゃ、夜に」
と、洒落た車で去って行かれた。
「ほんとに、77歳か?」T君が呆れた声で言った。
 15時
 法事でゴルフに参加できなかった親友のT・Sが
佐俣の湯で親族一同酒盛りをやっているので来ないかと
誘ったので、ゴルフバッグを担いで行く事にした。
月曜日にあらためてTとゴルフをする予定なので、バッグを
Tに預ける予定。
ちらりと、母の墓参りを思ったが、明日行くから許して、と
心で母に手を合わせた。3月、5月と熊本に来ながら、1度も
墓参しないとは、本当に親不孝な奴だ。
 Tの親族に大歓迎され、雷雨の中、Tの兄上に例のTが悪に
なった事の顛末を聞いた。Tの兄上は僕らより4才年長で、
僕は高校時代、ある事件で命を助けられた事があった。
 そのお礼を言うと、「Sも高校では、俺の弟と言う事で
随分殴られたらしいな。かわいそうなことをした」
 と、静かに語って頂いた。Tは、居心地悪そうに、
他の親族と酒を酌み交わしている。
 Tの兄上は、隣の高校の番長で、相当強かったらしく
僕らの高校の先輩もかなりやられていて、Tの弟が来たと、
一年生のTは毎日のように殴られていたらしい。
一年の時寮生活だった僕は、全くその事を知らなかった。
 2年になり、自宅からバイクで通学し始めた僕は
帰途中にあるTの家に寄るのが日課で兄上にも挨拶するように
なった。
 2年の秋、中学時代の友人Uらが苛められていると聞いて
軽い義侠心から、隣の高校の3年生を呼び出して注意した。
悪かったと、その時は素直に詫びたくせに、年下から言われて
腹が立ったのか、僕は高校の裏山にある神社の境内に呼び出された。
 懲りない奴だとひとりで行くと、なんと20人程の3年生が僕を
取り囲んだ。2、3人なら経験あるが、こりゃだめだ。かといって
土下座するのも癪だし、行けるところまで行って殺されるか、と、
覚悟を決めたそのとき、Tの兄上が自転車を転がして飛んできた。
「後輩ひとりにその人数はなかろうが、それに、俺の弟の親友ばい」
兄上のひと睨みで、彼らは直立不動。映画の主人公よりかっこいい
兄上に僕もしびれて動けなかった。
 Tにはその事を黙っていた。そのころ、近隣の高校までほぼ
占めてしまっていたTに話したら、あの3年生達は無事では
済まないだろうと思ったからだ。
 一年の時殴られた奴らに、2年になってから全員きっちり礼を返した
Tは涼しい顔で高校生活を謳歌していた。

九州旅日記その壱

2006年08月30日 | Weblog
 8月25日(金)

 8時50分のぞみ13号博多行きに乗りこむ。
700Kは揺れないと、I君に薀蓄を受けていたが
滑り出しは上々。
ラジオドラマがCDになり、映画化が決まり、車中で
シナリオの箱書きを始める。
14時前に博多着。接続のリレーつばめに乗り換え
熊本へ。シナリオはほぼ仕上がって、つばめは汽車の
旅を楽しむことにする。
 ふるさとの駅にともがき待つという
        時空を超えて列車は走る

 15時54分、熊本駅着。
高校時代の親友T.S君が出迎えてくれる。
彼は番長、僕は生徒会長でとにかく他人が
不思議がるほどウマが合った。
文武両道、聡明で知的なTが何故近隣の高校
にまで鳴り響く悪だったのか、40年過ぎて
今回の帰郷でようやく判明した。
それは後ほど。
Tは熊本で一、ニを競う照明会社を経営していた。
あの悪が、と、皆不思議がるが、彼の才能を以って
すれば当然の事だ。車で案内されたアトリエには
東京でも通用する最新の機材があふれていた。
阿蘇に別荘を構え、週末はゴルフ、成功を絵に
書いた人生だろう。自分のことのように嬉しい。
熊本に帰ったら必ず寄る「ウイーンの森」という
喫茶店でA君と待ち合わせ。A君は僕の中学時代の
ガールフレンドの弟で何故か僕を慕ってくれている。
今日も僕を自宅まで送るために仕事を放って迎えに
来る。初老の男三人、洒落た喫茶店でケーキと紅茶を
囲むの図。傍から見たら不気味なのか微笑ましいのか
ふと、思った。
   
    生き様はさらけ出そうと隠そうと
             色も匂いも辺りに漂う

貧乏作家

2006年08月25日 | Weblog
 W氏の、日に二万人強が見るブログに貧乏劇団を
率いる貧乏作家が登場する。その貧乏作家は、何と
W氏に食事代を支払わせる唯一の業界人らしい。
今日も、某レコードメーカーのK氏に「あなたが!」
と、目を見開かれてしまった。
 僕の、細々と綴るブログとはスケールが違う。
まあ、貧乏作家には違いないので、反論は出来ない。
実は今夜も、新宿は近江牛の老舗「伊吹」でW氏に
散財させてしまった。九州へ発つ前に仕事が一区切り
ついて、さっきまで「面影屋」でW氏と雑談していて、
肝心の資料を受け取る事を忘れて帰って来た。まあ、
仕方が無いか・・・
 明日は朝から新幹線を乗り継ぎ、熊本まで7時間の旅。
飛行機の方が速くて安いのに、気まぐれな奴。
これも反論は出来ない。
 ヤン・ソギル氏の「闇の子供たち」を通読。
底知れぬ闇に目をそむけることは楽かも知れないが
足を踏みしめて凝視しなければ、何も見つける事は
出来ない。傷が深すぎるなぁ。

     ハライソがこの世の果てに在るならば
              旅してみようハラカラたちよ
             

そうかもしれない

2006年08月24日 | Weblog
 保坂延彦監督・脚本「そうかもしれない」の試写を
観せて頂いた。老夫婦の緩やかに流れる日々が、
美しい映像の中で、微笑ましくも哀しく描かれた、
観るものの魂に柔らかく染み入る珠玉の作品です。
保坂監督の品格が清清しいまでに伝わります。
主演は雪村いづみさん、桂春團冶師匠、雪村さんの
熱演を淡々と受ける春團冶師匠のなんともいえない
暖かい私小説作家が物語をとても深い味に仕上げています。
映画批評家でもないのに、語り過ぎては興醒めですね。
 東劇から歩いて4丁目のグらナータで遅い夕食を摂り
ランブルのオールドコーヒーでしめる。このところの
銀座定番。「SUKIYABASI」には、いつ行けるのだろうか。

 父と見たあの夏の日の積乱雲
           口ずさむ歌ライクライトインザレインボウ

荒磯海岸

2006年08月21日 | Weblog
  2年ぶりの海。 
 劇団のタフな連中と海へ行ってきた。 
 と、いうのも17日から19日まで 
 3日間の演劇合宿、20日の朝6時
 30分出発の強行軍。はたして、9名の
 参加者、今時の若者も捨てたものではない。
 僕は遠足の前は眠れない性分なので、弁当作り
 バーべキュウの肉や野菜はたっぷり買いこんで
 あるので爆弾お握りを一二個作った。
 茶碗3杯分の飯を海苔で巻く、見た目が爆弾
 そっくりのでかいお握りだ。
 荒磯海岸は三浦半島の磯場でも穴場だ。
 8時半に着いて、先発隊の建てたテントに
 荷物を置いてさっそく素潜り。大潮の引き潮、
 最高のコンディションだ。
 久々の別世界を堪能していると、目の前に潜水服の
 男が突然浮かび上がった。なんとAの親父様ではないか?!
 その先で母上様が手を振っている。聞けばこの海で30年
 潜っているとの事。合流してバーべキュウ、スカッと晴れた
 空のした、磯に打ち寄せる波の音、料理の旨くないわけが無い
 午後は、泳ぎ足りない面々を送り出して、テントで
 荷物の番人。うつらうつらと贅沢な時間を過ごした。
 さすがに、体力は限界近い。
 
   身を捨てて浮かぶ瀬もある海ならば
        飛んでみようか飛沫の中へ 

友情について

2006年08月16日 | Weblog
 三十数年来の友人がいる。彼は大学時代に結成した
フォークバンドで一躍時の人となり、当時武道館で開催された
レコード大賞の授賞式で、彼はアーチスト僕は週刊誌記者として
出会った。
初印象は生意気な奴、気心が知れてから理解出来たが、
ハードスケジュールで物言う気力もなかったそうだ。
 人気絶頂でバンドを解散し、最大手のレコードメーカーに
就職した。僕は、出版業界から音楽業界に移り、
イベント会社からプロダクション、大病を患ったりして、
42歳で劇団を創った。
 彼は、組織一筋に生き抜いている。音楽業界の常識を覆す
ヒット曲も数多く世に送り出し、世代を代表するアイドルや
スターを育てた。
 増長もせず、いつも謙虚に、僕とは正反対の性格だ。
 僕の経済観念の無さをいつも指摘してくれる。
僕らはお互いに親友だと思ってはいるが、出会いから今日まで
一度も口にした事は無い。
 今日、かねて頼んであった品物を受け取りにいってお茶をのんだ。
僕の仕事の話になり、代理人が彼も知りあいらしく、
「俺の親友から搾取するな、と言っとくよ」と、初めて「親友」と
いう言葉を口にした。そして、自分の言葉に照れてせわしなく
煙草をふかした。もうすぐ社長になる地位にいる彼が、こう言った。
「社長の辞令がきたら、朝倉のマネージャーになるので会社やめます
って言うよ」
「バカな事言うなよ。社長になってから辞めてくれ」
 例え冗談だとしても、僕はうれしかった。沈みそうなボロ船の
船長として、この船を沈める事は出来ない。金銭的な援助や、
助け合うことばかりが友情ではない。歯を食いしばって
耐える勇気を与え合える事こそ親友の称号に値する。
 あらためて、僕は幸せ者だと確信した。ボロ船の仲間達、
陽気に貧乏を謳歌しようぜ。金持ちになったら味わえない
貧乏自慢のネタ作りさ!ほんと、強がりだね。
 
 君になら背中を向けて立てるよと
         ばっさり切られた五十路の晩夏 

幸せかと問われれば

2006年08月15日 | Weblog
 気付かずに踊っていた。お師匠さんは絹の手鞠をついた様に笑うお方で、
「誰か縫ってくださる方いらっしゃらないの?」僕の稽古着の袖は
見事に綻びていた。「自分で縫えます」
8年の一人暮しを、哀れむ人もいれば、気ままで良いなと羨む人もいる。
 週に1度のおさらいで日舞が上達するとは思えないが、続けている。
身体は中古車もいいところ、頚椎、腰椎、腕、膝、脳は生まれつきだが、
Gランクが並んでいる。前立腺など8年前からGランクだ。
自慢してどうする?劇団員から、病院に行ってくれと再三泣かれるが,
そのうち、と言って8年が過ぎた。
 そうだ、ボロボロの身体をいたわって欲しいのだ。なんて淋しい奴。
お師匠さんに「今度は足を地に付けてね」と、忠告されたが、
今度、があるかは判らない。今が幸せかと問われれば、幸せだと答える。
 稽古着の袖の綻び気付かずに 踊る男の十三夜
 

終わりのない旅

2006年08月14日 | Weblog
 母の夢を見た。何処かへ出かけるところだろうか、着物の帯を
締めていた。僕は縁側のカーテンを閉め、窓の鍵を確認しながら、
母の着替えを待っていた。
 のんびりした日差しがカーテンの隙間に揺れた。
蝉時雨がひときわ庭にさんざめいた。
先日帰郷の折、高校の恩師と友人たちが僕を囲む会を開いてくれた。
 僕の作品が高名な監督で映画化されることになり、
その監督と並んで記者会見したりして、地元のテレビや新聞が
騒いでくれたのだ。
 その時、母の墓参りもしなかった後ろめたさが見せた夢かもしれない。
などと、しおらしく思ったりしてみた。白々とした追憶に、痛めた頚椎が
疼いた。母の死期は予測されていた。なのに、僕は公演を打っていて、
臨終にも立ち会わなかった。心の底に重く沈んだ後悔のおもいを、
これから幾つ増やすのだろう。十五の春に旅に出て、
立ち寄りはするが帰れぬ故郷。終の棲家も見つからない旅は、今日も続く。
 西瓜とマンゴー、どっちがバナナ?高沢は元気だろうか・・・。

旅立ち

2006年08月08日 | Weblog
 かつて、プレゼントのない誕生日を迎えた事はなかった。
 自慢の一つが、終わった。TとAで男三人、赤坂のローリーで
 洒落たパーティをやった。ビールにワインにブランディにグラッパで
リブステーキだ。店の女のこがケーキにローソクつけてバースデーソングを
高らかに歌ってくれた。なんか、ヤケッパチのようだが、楽しかった。
 ローリーは素敵だ。TもAも素敵だ。
 ローリーは連れて行く女の子を選ぶのがちと、つらい。
 もう何年も女の子を連れていっていない。淋しい限りです。
 ところがだ、素敵な仕事にめぐり合えた。最高の誕生日プレゼントではないかと
Tが慰めてくれた。まだ公表は出来ないが、素晴らしい俳優、歌手との出会い、
劇団のメンバーも加えての緊張感絶頂の仕事だった。
 新しい旅立ちだ。残された人生を賭けて日々を生きていこう。九月公演、
乞う御参加!!劇団まで連絡をば!