面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

役人

2005年12月27日 | Weblog
 農水省の役人だった。パーティに来ている.中身のない薄っぺらな生活に不安を感じながら、華やいだ日々のスケジュールに流されていた。僕の歓迎レセプションらしい。四国の高知にあるホテルだ。視察に愛人を同行している。刺すような視線に振り向くと、以前部下だった青年がいた。彼は中央で充分に活躍出来る人材であったが、高知へ赴任させられたまま埋もれかけていた。「しっかりして下さい。僕は待っているのです」青年は僕を見つめて、囁いた。そうなのだ。上司の僕が力不足で、彼を東京へ呼び戻せないのだ。  青年を誘ってバルコニーへ出た。シャンパンの酔いで火照った首筋に夜の冷気が心地よかった。「ああ、僕は書きかけの小説を前に、文が苦!などと言って逃げている。それにしても、音楽は楽で文学は何故学なのかなあ楽にしたら文楽かあ」饒舌な僕を制して「ふざけてる場合ではありません!」青年が踵を打ち鳴らして敬礼をすると、鉄の扉が開いた。そこは外務省の特務課で、目の前の机に足を投げ出して30代の三島由紀夫が眼光鋭く僕を睨み「いいか、大蔵省のあの機密だ。分かっているな?」と心地よい英国貴族らしい発音で命令を下した。                               風のない穏やかな冬の午後、機密を手に入れた僕は、大蔵省から出てきたところを以前住んでいたマンションの管理人に見られて仕舞った。反射的に逃げた。奴は自転車で追いかけてきた。三島が青筋を立て苛ついている光景が脳裏に浮かんだ。「いいか、失敗は許されない。万が一の時はこのハンカチを振れ」そう言って渡された青いハンカチの意味を僕は知っていた。管理人の通報でパトカーのサイレン音が近づいてくる。人だかりに囲まれて、僕はポケットから青いハンカチを取り出して頭上でゆっくり振った。人の波が左右に開いた。自分の顔が泣き笑いの間抜け顔であろうことが少し恥ずかしかった。     外務省に向かって歩く僕を、片膝をついた警察隊が数百人待ち構えていた。全ての銃口は僕に向けられている。ハンカチが役に立たないことは良くわかっていた。 

列車

2005年12月10日 | Weblog
 熊本駅のSホテル乗降口から、この列車は出発する。福岡に着くまでにあれになる事が出来るという特別列車だ。好き好んであれになろうという人は少ないらしく、僕の前は、選挙に落ちた元代議士が二ヶ月前に乗りこんだという話だった。
 僕がどんな経緯からあれになる事に決めたか分からないまま、出発の時間は迫っていた。Sホテルのロビーを出ると人だかりで、一瞬たじろいだ。Sホテルは新宿の西口にあったはずだが、熊本にもあったのか。
 赤い煉瓦の階段を降りると地下のプラットホームで、ホテルの制服を纏った青年達が最敬礼で僕を迎えた。ホームには、蒸気機関車に曳かれた貨車が待機していた。外見は、牛馬を運搬する貨車だが目を凝らすと、それは手の込んだ造りで、SF映画で見るタイムマシーンを想わせる。白い手袋の青年が真鍮の取手を引いた。蒸気が辺りに漂っていた。僕は余裕のあるフリをして観客に手を振った。自分のこういうところが嫌なのだ、それが僕があれになる原因なのだ。
 貨車は大きく、乗りこむと僕の身体にぴったり誂えた寝台があった。服を着たまま横たわると、ゆっくり蓋が降りてきた。これで終わるんだ、とその時に気付いた。蒸気を吐き出す音がして、蓋が閉じた。
 車のルーフに似た天窓から外が見えた。手を振る人、ハンカチを目頭に当てる人、抱き合っている人、その中に知り合いは一人もいなかった。首をねじって外を見ようとするが、動かない。ピッタリと寸法を合わせてある寝台の中で、ぼくはかすかにうめいた。
 両頬を絹布がひんやりと圧迫した。少しずつ恐怖が湧きあがった。

 ゴトッ!と木乃伊列車が動き始める。

幸運メッセンジャー

2005年12月05日 | Weblog
 幸運メッセンジャーという公社に勤めている。仕事の内容は、実に簡単だ。不幸のどん底で喘いでいる人に、やがて幸運が訪れる時期を知らせに行くだけだ。給料も悪くない。只、三度目の結婚にも失敗したばかりの僕には、皮肉な仕事だ。午後に出社すると、机に幸運通知の書類が置かれていた。後輩のKの名が記されている。そういえば、Kはこの二、三年不幸続きだったことを思い出した。友人Wの話しだと、入院中で長くは持たないらしい。そんなKにどんな幸運が訪れるというのだ。僕は、少し憂鬱になった。
 Kの家は郊外にあった。私鉄を乗り継いで、目の前に田園が広がる駅に降りた。木枯らしに出迎えられて、僕はコートの襟を立てた。「せんぱーい!」Kの元気な声がした。真っ赤な電動機付き自転車に跨ったKが手を振っている。入院してるんじゃないのか、と思ったが口には出さなかった。「夏には有り難うございました」人懐っこい笑顔でKは頭を掻いた。そういえば、去年の夏、僕は西瓜を提げてやまあいの病院を見舞ったような気がする。「乗ってください」僕はKに促されて自転車の荷台に跨った。「いきますよ!」Kは自転車を走らせた。風が耳に痛い。僕は左手をKの腰にまわし、右手でコートのポケットにある幸運通知を握り締めた。でこぼこの坂道をKはぐんぐん登った。病人とは思えない力強さだった。良かったなあK,来年の春、君には人生最大の幸運が訪れるんだ。ぼくは涙が止まらなかった。Kの背中に顔を押し当てて、声を殺して泣いた。「せんぱーい歌っていいすか?」Kは自転車を漕ぎながら歌い出した。「忘れられない事の中に、何でもないような事があるう」三十年も昔、一緒に歌った歌だった。
 翌朝、友人Wから電話でKの訃報を知らされた。僕は、右の手の平に、あるはずもない幸運通知の感触を捜した。

旅行

2005年12月01日 | Weblog
 二日ほど徹夜が続いた。三日目の夜半、さすがに疲れて、ひと風呂浴びて寝ることにした。42℃に設定した湯に身体を沈めた。意識ははっきりしていた、筈だった。      父は白い麻のスーツにボルサリーノ、惚れ惚れする姿で僕を待っている。姉と妹も旅支度を整えている。これから母の所へ家族で旅行するのだ。喜びが身体中を満たしている。 僕は鏡の前に立ってお気に入りのスーツに着替えた。シャツの襟がよれているよと父に指摘された。パジャマ着てる!と姉が笑った。僕はつられて笑いながらスーツを脱いでシャツを着替えた。旅行に出かける事がこんなに嬉しいことはなかった。さあ、出発するか!父の声が妙に遠くから聞こえた。それはえもいわれぬ心地良い音楽のように僕を誘った。皆、笑顔で頷き合った。                             突然、何かが僕の顔にぶつかった。瞼が切れて鮮血が飛び散った。風呂の湯が真っ赤に染まって行く。バスタブの縁に立てかけておいたプラスチックの風呂の蓋が、お湯に顔半分沈んでいた僕を直撃したのだ。鏡を覗きこむと、左目の瞼がパックリ切れて、頬から首へ幾筋も血が流れ落ちているではないか。痛みを感じるより、今見たばかりの夢が気になった。母は六年前に亡くなっている。僕らはいったい何処へ旅行に出かけようとしていたのだろう。時計を見た。風呂に入ってから40分過ぎていた。まさか、30分も風呂で眠っていたとは思えない。                               翌日、友人に「酔って立ち回りか?」と瞼の傷を冷やかされた。風呂場の出来事を正直に話すと、友人は真顔で言った。「風呂蓋が命の恩人か」