面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

嬉しい人達

2006年11月30日 | Weblog
 今日、たくさんの嬉しい人達に会って
来た。その会合で、出席者の写真家の
方が、先輩の写真家の言葉を引用され
た。
 心に残る言葉だった。
 「いいか、息子よ、この世に悪い人は
いない。いるのは、悲しい人だ」
 日本より世界的に著名な写真家は、
すで亡くなられたが、いまもニューヨーク
で個展が開催されている。

夢の続き 

2006年11月28日 | Weblog
 20代の後半からいまだに見続けている
不思議な夢がある。僕は大きな犯罪に巻き
込まれ、逃げまわっている。ある時は上海
ある時は巴里、まるで映画の中に入りこん
だような感覚で、いつも追われている。
 夢の中の僕も、追いかける刑事も歳をとら
ない。他の登場人物もほとんど一緒だ。
 ギネス級の夢だが、実証不可能なので、
申請は無理だ。Tに言わせると、他人の夢の
話しを聞かされる事ほど退屈な事は無いらし
い。ので、内容を書くのはよそうと思う。
 優しい雨が続いている。風も優しく吹いてい
る。何となく、嵐の前の静けさめいている。
 戦争の合間に平和が訪れる、と、多くの作家
や評論家が、諦めにも似た発言をするが、平和
を維持する事は、本当に大偉業だと思う。
 日本は、もっと、60年の平和をアピールして
良いのでは、とも、思う。原爆二発を浴びて手に
入れた平和も、喉もと過ぎれば何とやらで、少し
ボケてきた。日本は既に美しいのだよ。磨くべき
は僕らの心です。小学校の先生が頑張っている。
 未来は絵に書いた餅、いつだって美しいさ。
21世紀は科学万能で、世界から戦争は無くなる
と、20世紀の科学者たちは、夢を語った。21世紀
の主役達は、22世紀の夢を語るのか。せめて、
芝居者の僕らは、平和を念じて今を生きよう、
と、思う雨の午後でした。

静かな月曜の午後

2006年11月27日 | Weblog
 電話をかける相手がことごとく通話中なので
変だなと思っているとTがやって来て、
「止まってますよ」と、忠告して、去った。
 静かな月曜の午後。
こんな日は、思いがけない人が訪ねて来る予感
がする。Tに言わせれば、予感は潜在的願望だ
そうだが…。
 静かな月曜の午後、電話も止まってしまった
僕は、溜まった原稿をせっせと書いていた。
こんな日は思いがけない人が訪ねて来る予感が
する。ピンポーン!ほら、玄関のチャイムが鳴
った。電話代の請求かもしれない。いや、電気、
ガス、水道の集金人かも、迂闊にドアを開けては
いけない。躊躇していると、2度目のチャイムが
遠慮がちにピンポンと、鳴った。ドアを開けた。
4Lサイズ大の背広で風船を包んだような血色の
良い青年が、泣いてもその顔じゃないかと思わせ
る笑顔で、立っていた。
「どちらさまで?」
「死に神です」
「はあ?」
「皆さん、驚かれるそうです。是非もないと即座
に理解されたのは織田信長一人だそうです」
 死に神、と、名乗る青年は、力士が金星をあげて
インタビューを受ける時のように額に汗を浮かべて
誠実そうに語った。
「そうです。と、いうのは、疑問に思われるでしょ
うが研修で学んだ知識なので、はい、私は、初出勤
なのです」
 新手の詐欺なら取材になると思い、
「立ち話もなんだから、どうぞ」と、死に神を書斎
に案内した。彼の体重で床が軋んで小さな悲鳴に聞こ
えた。
「もちろん、私の存在はとり付いたあなたにしか見え
ませんのでご安心下さい」
「とり付いた、って嫌な言い方だなあ。で、どんな用
件で僕に?」
「はい、あなたは無鉄砲で、暴飲暴食、無駄な夜更かし、
色欲等無茶をなさいますので、少し早めにとり付いてお
いた方が良いだろうと」「誰が決めたの?」「委員会で」
「何処の?」「死に神協会の」と、噛み合わない会話。
 僕の理解したところによると、(どうも織田信長を最初
に持ち出したのはテクニックのようだ)僕の寿命はまだ
かなりあるのだがヒドイ無駄づかいで調和を乱している。
そこで、死に神がガードマンのように付きそう事に決まっ
たらしい。選ばれた人間のようで悪い気はしない。
 さて、あの静かな月曜の午後から3年が過ぎた。となり
の死に神の体型が随分スリムになり、いまや、僕より細い
くらいだ。ただ、あの泣いても変わらない笑顔だけは3年
前のままだ。いや、痩せた分だけ泣いているように見える。
つまり、僕らが普通に想像する死に神の姿に近づいて来た
訳だ。そして、痩せる速度も加速してきた。
 誰にも見えないのだから、Tに相談も出来ないでいる。
心なしか彼の輪郭が薄く見え始めた。生活を改めるには
もう遅すぎる。それに、彼も初仕事で苦労したのだ。なる
べく早く解放してあげたい。僕の代わりに痩せてくれたの
だと思うと、涙さえこみ上げてくる。
 よし、思いっきり無茶をして死に神と決別しよう。いい
奴だった。
「ダメですよ。寿命は予め決まっているのですから。それ
に、私が痩せるのは仕事なのです」
すでに完全な泣き顔にしか見えない笑い顔で、死に神が
言った。木枯らしのようなウイスパー80%のその声は、
死に神に相応しい地獄が似合う、僕まで泣きたくなるよう
な情けない声だった。
 彼は立派な死に神に成長したのだ。僕は胸が熱くなった。

打ち上げが終わって

2006年11月27日 | Weblog
 芝居がはねて舞台をばらすと、いつもの
稽古場に。そして楽しい打ち上げ。
 手作りの料理と差し入れのシャンパンで
乾杯。質素だが笑顔に満ち溢れた稽古場。
 後援会のIさんに追加注文の「そば稲荷」
も大好評。だが、楽しい時間は瞬く間に過ぎ
るのが世の常、名残を惜しむ判れの時がきて
解散。外は雨、傘を取りに戻ると、もう破れた
ビニール傘が残っているだけ。Tが破れた個所
にガムテープを張ってくれて、カラフルな傘に。
ジーン・ケリーで帰って下さいと言われたので、
深夜、つぎはぎの傘を振りまわし、歌いながら
帰る。酔っている訳ではないのだが、酔っ払い
にしか見えないのは確かだった。
 途中、公園があったのでワンマンショーを演
っていたら時間を忘れた。
 帰って、ご祝儀を頂いた方々に礼状を書いたが
筆が随分踊ってとんでもない字がハガキに並んだ。
仕方がない(ことはないのだが)ので、そのまま、
さっき郵便局で出してきた。
 携帯電話をかける相手が全部通話中なので、変だ
と思っていたら、Tがやって来て、電話止まってま
すよ、と、教えてくれた。
 こんな静かな月曜日はない。夜の日舞のおさらい
まで、原稿を書こう。こんな日は、思いがけない人が
訪ねて来そうな予感がする。Tに言わせれば、潜在的な
願望なんだろう。

アトリエ十回目の千穐楽

2006年11月26日 | Weblog
 設立7年目頃、劇団員が100名を越え、
大所帯になった。いつのまにか自分の芝居
が見えなくなっていた。流されている自分に
薄々気付いてはいたが、対処を怠り98年に
振り出しに戻った。現在、劇団員18名と、僕の
演劇に共感してくださるゲストの方々で、芝居
を続けている。今は、大切なものが良く見える。
 劇団員の一人ひとりが、自分の夢と目標を持
ち、お互いを思い遣り、助け合って、演劇を学び
続けている。来年は15周年、研究予科生も15
期生、何人入団してくれるか2月に決定する。
 設立時の僕の夢は、自前の稽古場と、小さな
劇場を持ち、毎日芝居が打てる事だった。
 実現に向かって進んでいるのは間違いない。
だが、一人で出来る夢ではない。汗を惜しまない
仲間と、多くの方の応援があって初めて、僕の夢
は実現する。今日はアトリエ公演の千穐楽です。
 今、午前3時、打ち上げで食べてもらう特製おに
ぎりの仕込み中です。握るのは7時頃になりそうだ。
 掌に感じる熱さはみんなの情熱だと思っていつも
握っている。千穐楽の、開放感と遣りきれなかった
少しの後悔の混じった笑顔で、お握りを頬張る皆を
眺めるのは、至福のひとときです。
 今回の米は、石川能登のこしひかり、産地限定の
新米です。水は奥多摩から。水加減が難しそうだ。
 沢庵を齧りながら、熱々のお握りを頬張れるのは
僕のささやかな特権です。
 いつの日か、御観劇頂いたお客様にも食べて頂ける
時が来る時が、いや、それは大変な作業だ、が、小さな
劇場なら出来ないことはない。夢の一つに加えよう。
 まずは目出度い千穐楽、お越し下さいました皆様、
本当に有り難う御座いました。

別れはいつも淋しいものさ

2006年11月25日 | Weblog
 1ヶ月間共に泣いたり笑ったりしてきた今回の
カンパニーもあと二日で解散。本番中に劇団員
の誕生日があったり、今回も賑やかなメンバー
が揃った。千秋楽の幕が降りたら、すぐに12月
のライブの稽古が待っている。僕のライブが15日、
劇団、櫻井智が23、24日と続く。今年最後の
公演です。一緒に楽しみましょう。特に、僕のライブは
お酒好きなメンバーが揃って、(ゲストの堀川りょう氏
も相当いける口らしい)昨年同様、カクテルパーテェに
なりそうです。勿論、演奏は最高ですから楽しんで頂ける
こと請け合いです。
 それにしても、別れは本当に淋しいものですね。
またいつか、何処かで会えると信じてさよならしましょう。
 そして、お互い、もっと素敵な人になって微笑みあいましょう。

魔の木曜日無事通過

2006年11月24日 | Weblog
 公演で魔の木曜日と呼ぶ中だるみの日が
何と、何事もなく無事に終わった。
 思うに、休日でマチネがあった事で緊張が
途絶えなかったからだろう。月曜日から休み
なく5公演が続き、出演者の疲れもピークだ。
今日は特に気をつけよう。残すは4公演、日毎
に演技も裏方も充実してきた。大木、西内、三浦
の十代3人娘は、特に成長が著しい。
若さは冒険の起爆剤、恐れず突っ走って欲しい。
 小芝居は大人になってからで結構、今はひたすら
真っ直ぐな芝居で汗をかくことが大切です。
 千切れる程手足を振り回して、火を吹くほど大声を
張り上げて、泣いたり笑ったり、生きていることを
身体中で感じて欲しい。十年経っても二十代なのだから。
 楽しい舞台を有り難う。打ち上げには15年間作り
続けている美味しいお握りを差し入れするから。
 まだ来てくれないあなた、本当に待っているのですよ。

年賀状書きの季節

2006年11月23日 | Weblog
 郵便局に寄ったら、年賀はがきが売り出されて
いた。毎年200枚程書いているが、今年は500
枚を越えそうだ。と、いうのは、書斎を整理したら
過去に頂いた名刺や年賀状が大量に見つかって、
出来る限り書いてみようと決心したからだ。
 しかし、毎年何枚か、宛て先不明で戻ってくる。
僕も、よく引っ越すので、年賀状戻って来たよ、と、
苦情をもらう事がある。引っ越し通知を出し忘れた
ことさえ忘れて、住所間違えて書いたんじゃないか?
と、逆に文句を言ったりする。
 書くのは大変だが、年賀状を頂くのは嬉しい。
1年が始まる事をあらためて実感する。今年は、
苦しいことと嬉しいことが半々だった。毎年、そんな
気がする。嬉しいことばかりあれば良いと思うのだが
そうは運命が許してくれない。昔の女流流行作家が、
「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」と歌ったが
自分を花に例えられる神経だからまだ良い。
 これが、野良猫の命に例えた歌だったら、本当に
気が滅入るだろうと思う。この女流作家は、実は
苦しさを楽しんでいるのです。世の中の9割が
似非鬱病だと云う医者がいて、僕も似非鬱病だと
診断された。大企業の部長クラスも殆ど似非鬱病
らしい。本物は俺は鬱だ、と、言わないそうだ。
 黙って死ぬか、家族に発見されて医者に連れて
行かれるかのどっちからしい。
 鬱は遅刻しない、鬱は早退しない。鬱は責任回避
しない。鬱は、原稿を送らせない。鬱は怒鳴らない。
 だから、あなたは心配ない。と、これは、
僕の事です。本当の鬱病は治るけど、似非鬱は、
治らないそうだ。どうしよう…。
 苦しいなあ、辛いなあ、孤独だなあ、ああ、今日も
眠れないなあ、って、楽しんでいると云われても、なあ。
 確かに、生きてるしなあ。医者の方が正しいか…
明日、Tに聞いてみよう。

親切は有り難いが…

2006年11月22日 | Weblog
 だから、眠ろうとしていたんです。
朝の9時過ぎ、メールと電話が。親切な方から
「少しは眠らないとダメですよ」と、真心からの
御忠告。心配して下さるのは有りがたいが、僕の
生活パターンはよく御存知のはず。いえ、文句を
云っているのではありません。落ちこまないで下
さいね。お気持ちは本当に有り難いのです。
 こんなすれ違いは、良くある事です。僕は大人
ですから。
 思い返せば、僕もずいぶん周囲の人に迷惑を
かけて生きてきた。
「朝倉の人生は離れて見ていると面白いが、一緒に
生活したら地獄だろうな」と、よく云われる。
 我が侭、自分勝手、傍若無人、気まぐれ、妄想癖
夢と現実の区別がつかない(これは、悪夢から目覚
めた時、数分間暴れているらしい、と、ベッドを共に
した人の証言。僕は、否定したいが)
 その結果が、今の独り暮しなのだから、認めざるを
得ないのだろう。我が子でも一緒に住みたがらないの
も事実です。冷静に考えると、少なからず人格障害な
のかもしれない。しかし、自分では、努力して治した
つもりだ。現に30数年の付き合いがあるマネージャー
のK氏は、見違える様に人格が出来てきた、と、証言
してくれる。しかし、中には、友人が面白おかしく語る
僕のエピソードを聞いただけで、恐れをなして連絡を
絶たれる方も少なくない。
 こんな事を書いてしまうのも、まだ、修行が足りない
からだろう。やっぱり、僕は独りで生きていくしかない
のか。晩秋の木漏れ日は優し過ぎて哀しい。小高い丘に
在る僕の住まいの庭にそそぐ陽射しに柔らかく包まれて
あと15分、夢を見よう。アトリエ公演も3日目になります。
 あなたを、お待ちしているのです。

眠れない夜の過ごし方

2006年11月21日 | Weblog
 初日の幕があがって下りた。
カーテンコールでマヤ嬢の口上を聞きながら
涙ぐんでしまった。たかが10年だが、それな
りの感慨がある。櫻井智と共に劇団を支えて
くれた女優の一人だ。特に、彼女の在籍した
この10年は嵐の中だった。黙ってついて来て
くれた事が何より嬉しい。
 Tと音響のHの3人で深夜まで盛りあがった。
帰っても寝つけず、かといって、原稿も書けず、
ベッドで読書。そういえば、暇で読書三昧の頃、
寝つける本を選んだことがある。あの頃は、不
眠症といっていいくらい眠れず、朝まで何かして
いた。本で眠ろうとした試みは失敗に終わった。
 文学書は考えすぎて眠れず、推理小説は結末
が知りたくて眠れず、経済書などハナから受け付
けず雑誌の類いは面白くて隅々まで読んでしまい
古典ならと思ったが、以外と面白くて、やはり、
読書好きには無理だった。
 そこで、考えたのが料理を作って食べるという
作業だった。満腹になれば眠気も誘われるだろう
と、云うわけだ。が、これも失敗に終わった。
 料理が完成する頃には、朝日が昇っているのだ。
 そんな訳で、これから、渋谷まで打ち合わせに
出かけます。
 初日にお越し下さった皆様、本当に有り難う御座いました。
心から御礼申し上げます。