若い友人から悲痛な電話をもらった。鬱が悪化して身動きが取れないという。昨年も、160センチそこそこの体躯で190センチの不良外人と無茶な喧嘩をしたらしく、傷だらけで現れたことがあった。才能は有り余るほどある。発揮できる場所さえあれば、ひとかどの芸術家として名を成せる。まだ30代の半ばである。何もしてやれないが昼に待ち合わせをした。
幾人の孤独な魂たちと惜別しただろう。20歳で逝った音楽の魂、36歳で逝った映画の魂、思い出せば涙が止まらない。
50歳で高校野球の監督を目指し、5年間の通信教育で教員免許を取得し、社会科教師として教壇に立ちながら甲子園制覇を目指した故高畠導宏先生(門田隆将著・甲子園への遺言)の「才能とは最後まであきらめないこと」が、ことさら辛くひびく。
孤独な魂たちには光り輝く才能があった。無力を痛感する。自分のことさえ侭ならない僕は、せめてアトリエ公演で若い才能の開花を期待するばかりである。
幾人の孤独な魂たちと惜別しただろう。20歳で逝った音楽の魂、36歳で逝った映画の魂、思い出せば涙が止まらない。
50歳で高校野球の監督を目指し、5年間の通信教育で教員免許を取得し、社会科教師として教壇に立ちながら甲子園制覇を目指した故高畠導宏先生(門田隆将著・甲子園への遺言)の「才能とは最後まであきらめないこと」が、ことさら辛くひびく。
孤独な魂たちには光り輝く才能があった。無力を痛感する。自分のことさえ侭ならない僕は、せめてアトリエ公演で若い才能の開花を期待するばかりである。