面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

サーティトウ

2006年01月06日 | Weblog
 彼女は時代遅れの淡い花柄のワンピースを着ていた。白い襟元のうなじに透き通るような清潔さを感じた。僕の視線を受け止めて「ああ、これはお母様のお下がりなの」彼女は小ぶりの白い歯を見せて微笑した。
 僕が32歳で彼女は19歳、二人はそれから20年を共に生きた。その歳月が長いのか短いのか、今となっては全て記憶の中にある物語。
 昨年のクリスマスに久々のライブを演った。ゲストに来てくれた青年は25歳、僕との歳の差が32歳だった事と、二人の誕生日が1日違いだった事で即席のユニット名を‘サーティトウ‘に決め、何曲かデュエットした。19歳で作った曲を57歳と25歳が真面目に歌った。二人の声質が似ていて、とても心地良く歌えた。
 歌いながら、その曲が彼女のだいすきな歌だったことを思い出した。見交わす青年の笑顔には25年前の僕がそうだったように、翳りが少ない。瑞々しいその顔に翳りが増えるかどうかは青年の生き様次第だ。彼が57歳になった時、僕は、生きていれば89歳だ。そして、歳の差は32歳。彼には黙っていたが、生きていたら必ず一緒にライブを演ろうと自分に約束した。何故なら、約束は大方守れない事を、いくつもの反古にされた約束の欠片を屑篭に捨てた経験からようやく学んだからだ。
 僕は57歳となり、彼女は……38歳で歳をとる事を止めた。
 共に生きる人は永遠に、……その歳の差は変わらないと、信じている。

 愛しているから約束はいらない、と、僕は言った。愛していても怖いから、するのが約束、と、彼女は答えた。