面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

味のちから

2007年06月30日 | Weblog
 残念ながら、干し鱈の甘辛煮は、思い出の味には
出来あがらなかった。水に浸した塩抜きも、調味料
の配分も悪くはなかった。煮込んだあとの照り具合
も見た目は良かった。食べてみたが味もそれなり
だった。ただ、50年の歳月を甦らせる力はその
味にはなかった。失敗作である。
 昨夜(金曜日)の稽古に荒井先生が見えられた。
「もう劇団員のようなつもりでいます」の一言が
とても嬉しくて、つい劇団運営の苦労話をしてしまった。
 まだ、小返しの段階なので、これから大きく芸が
花開きます。舞台は映像と違い、撮り直しがきかない。
一発勝負の打ち上げ花火に似ている。花火より楽なのは
稽古を重ねて失敗を減らすことが出来ることだ。
 当たり前のことだが、知識欲は芸の大きな肥やしだ。
俳優を志す、とは、知識の海へ泳ぎ出すことだと、
僕は考える。痩せたソクラテスも太った豚も絵にはなるが、
内面は滲み出るものだ。尻尾だってパンツからはみ出す。
 何だか疲れたようだ。夢魔と闘いに行きますか。剣呑…

懐かしい味

2007年06月29日 | Weblog
 大方そうであろうが、人生計画通り運んだ例がない。
年頭に公演計画を立てるのだが、アトリエ公演以外は、
この数年殆ど計画倒れか、途中で流れている。
 今年も、夏の新宿進出、秋の六本木ライブシアター、
そして、11月の区民センター公演と、はらはらする
計画が続いている。
 先ほどまで、鹿児島から帰ったばかりのイベンターT
さんと深夜レストランで芝居興業の話しをしていた。
 僕の芝居の九州巡演をお願いしているのだが、そう
事はうまく進まない。Tさんから大分銘菓ザビエルを
お土産に頂いたので、明日稽古場に差し入れよう。
 夕方、品川駅のホームで販売していた干し鱈を贖い
持ち歩いていた(衝動買い)のだが、たまたま別件の
打ち合わせで居合わせたTに笑われた。
 今、その干し鱈を20分ほど水に浸け、砂糖、塩、味醂
酒と鰹だしで味付けして煮込んでいるところ。
 昭和30年代、お盆に母の実家で食べた干し鱈の煮付け
を再現しようと試みているのだが、果たして記憶の味が
出来あがるのか、とろ火で4、50分経ったら味見して
みよう。50年も昔の味を憶えている筈もないが、微かに
残るのは、甘辛い鱈の味。暑い夏の昼下がり、大合唱の
蝉時雨が一瞬にして止むと、遠雷に乗って驟雨がやって来る。
 九州山脈の麓にある僕の村は山と川と石橋のまにまに民家が
点在していた。開け放った広い座敷、大人達の宴会、庭の百日紅の
木が風に揺れる。僕は其の庭を囲む厩で生まれ、5歳まで過ごした。
 母は実家の裏山にある村を見下ろす墓地に眠っている。
この夏こそ、墓参りに帰らなければ親不幸というものだろう。
 93歳にして健在の父と、鰻釣りには行けぬとしても、
梁で鮎料理に舌鼓を打ちたいと思う。
 ああ、行き当たりばったりの我が人生。

思い入れ

2007年06月28日 | Weblog
 思い入れが強い作品を再演するとき、気を
つけていることが幾つかある。
 ひとつは、過去の演出に拘らない事。
そして、過去の出演者の思いで話をしない事。
間抜けなエピソードは和むので良しとするが、
現出演者と比較するのは、両方に失礼である。
 今回の「ミッドナイトフラワートレイン」は、
5度目の上演なので、出演者も5代目である。
 無言のプレッシャーというのもあるので、
少しは過去の話題もするべきかとも思う。
 昨夜は2時間ほど遅れて稽古場に入ったので、
差し入れを持参した。
 明るい稽古場なのが嬉しい。演出していると、
一言も聞き漏らすまいと見つめる女優さんの瞳が
眩しい。心底芝居を作ってあげたくなる。
 彼女たちの持っている一番素敵な世界を引き出して
あげたいと思う。
 女系家族に育った僕は、どちらかと言うと女性の
方が馴染み易い。恋愛感情ではなく友愛として、
どんどん愛しくなる。時々、錯覚して惚れたのでは
ないかと自問する事もあるが、やはり、錯覚の方が
多い。勿論、心底惚れることもあるが、そこは、芝居が
終わるまで偲ぶ恋となる。
 終わったら勿論、僕らは共に戦った戦友となる。
色恋の入る隙間はないのである。と、書くと凛々しいが、
実際、本番を迎えるまでの稽古場は汗と涙の修羅場である。
 演技は勿論、装置、音楽、照明、衣装、小道具、チラシ、
チケット、時間も身体も5人分くらい欲しい。
 何よりも弱小劇団、制作費の捻出は劇団存続に直結する。
この作品は、全国を巡演したいという思いがあるので、
稽古もオーバーヒートする。押さえて、押さえて。
今のところ、お染の擦り傷、僕の打撲傷で済んでいるが、
みんな怪我に気をつけよう。
 さあ、みんなで今日も頑張ろう!

時間の配分

2007年06月27日 | Weblog
 机の上には常時2種類の原稿用紙がスタンバイしている。
北斗舎製は脚本、伊東屋製は小説。ところが、この数ヶ月、
パソコンに書きこむことで原稿用紙はメモ用紙と化し、本来の
仕事をしていない。これでは原稿用紙が可哀想である。
 そこで、今夜から、例え1日ニ枚でも、原稿用紙の桝目を
埋めることにした。
 ブログを始めてから、パソコンの便利さに目覚めてしまった
のだろうか、何かというとすぐキーボードに向かってしまう。
 中指に出来たペンだこも、今や見る影も無い。
 さて、執筆時間の配分だが、寝る前の二時間と起き立ての
2時間では、同じ2時間が倍ほど違う。前の二時間はフルに
使えるが、後の2時間は半分は目が覚めていない。ところが、
書きあがった原稿用紙の枚数はほぼ同じなのだ。夜は5枚に
2時間かかり、朝は5枚を1時間で仕上げる。
あくまでも僕の場合なのだが、結局、朝でも夜でも一緒なのだ。
夜はフルに二時間、朝は1時間無駄にして残りの1時間で夜と
同じ仕事量、さて、さて、どちらにしようかと迷ったが、先に
片付けておいた方が良いだろうと、夜の二時間を使う事にした。
 40年以上小説を書き続けて、実は1冊も発表していない。
今年あたり処女小説なる1冊を送り出したいと、密かに企んで
はいるのだが、どうなる事やら、先は見えません。
 芝居の稽古は16時から21時と、実に効率良く進んでいる。
昨夜はポスター、チラシ用の撮影をした。メイクや衣装を着けた
女優さん方は一段とあでやかで、華やいだ空気は悪くない。
 お昼に某事務所から、20歳の青年の演技レッスンを頼まれ、
半年間の約束で引き受けた。大学三年生で、学業と両立させたい
と、当人は張りきっていた。来月から、他のレッスン生に加わる。
 劇団予科生と違い、短期のレッスン生は事務所の期待も大きい
ので、教える方の僕もプレッシャーは強い。しかし、いずれも
プロを目指す気持ちは一緒だ。言葉足らずにならぬよう、僕も
気をつけよう。

始めから嘘なんだよ、お芝居だから。

2007年06月26日 | Weblog
 一年中エイプリルフールだな、と、堅い職業に就いた友人に、
半ば呆れられ、半ば尊敬の口調で笑われたことがある。
 それは、久々に会った酒の席で次回の芝居の構想を熱く
語ってしまった夜のことだった。詐欺師と紙一重だとも云われたが、
青臭く反論した。
「詐欺師は本物だと嘘を吐くが、芝居は始めから嘘だと
分かって観るだろう」
 
「ミッドナイトフラワートレイン」の稽古が今日から
荒立ちに入った。まだ台詞の入っていない俳優さんたちは
恐々と立ちまわる。そうすると余計に嘘が目立つ。
「嘘だから本当に動くんです」
 僕の演出は初心者に不親切だとTに注意される。もっと
勉強しなくてはいけない。
 芝居が解かったような中途半端な演技が大嫌いだ。だったら
棒読みの方がまだお客様には真意が伝わる。
 これから1ヶ月間の稽古で何処まで楽しい芝居に仕上げられ
るか、劇中の台詞ではないが、滴る汗を宝石に変えて、零れる
涙をティアラに変えて、頑張りましょう。
 
 20時に、日舞のおさらいを済ませて、待っていてくれた
塩山嬢、つぶら嬢となべ横のお好み焼き屋へ。
 21時、Tが合流、さらに遅れて22時、演出助手のM嬢を
伴ない劇団のN嬢が合流し、稽古の延長となってしまった。
 明日への活力につながれば、無駄話も悪くはないだろう。
 落ちこむことはないのさ、人は誰も自分の姿、声、その心
さえ自分で見る事は出来ない。だから芸術が存在する。
 鏡に、他人に映して自分を見てごらん、誰に劣って、誰に
勝てば満足かい?
 自分が出来る事に、兎に角全力を尽くしてみよう。よし!
これで決まり!!!

遠路遥遥

2007年06月25日 | Weblog
 アメリカはイリノイ州から櫻井智のイベントに
やってきた青い瞳の青年は、かなりのマニアだった。
彼が持参したアルバムには、何処で手に入れたのか
16歳のデビューから21年間の写真が満載だった。
フアンになって2年と云っていたが、たどたどしく
日本語で話そうとする姿勢も好感が持てた。
 櫻井智手作りのケーキを感激しながら食べたり、
顔を赤らめて記念写真におさまったり、3時間のイベントを
楽しんで帰ったようだった。
 思いもかけない参加者で、皆が和んだイベントだった。
終わって、喫茶店に場所を移し、復活準備委員会の会議。
活発な意見が飛び交い、有意義な会合となった。
 今日から「ミッドナイトフラワートレイン」の稽古は
荒立ちに入る。もう5時か、少し眠ろう。
 それにしても、イリノイ州は遠い。青年の無事を祈ろう。

イベントの朝

2007年06月24日 | Weblog
 朝早くから今日のイベントのメイド役N嬢が
お菓子を作りにきた。20人弱のお客様に5人の
女性が手作りのお菓子でもてなすという趣旨である。
 櫻井智手書きの招待状から始まって、すべて
手作りのイベントです。
 お茶会、撮影会、アコースティック音楽会、そして、
握手会でお別れ。
 櫻井智がまだ無名だった十代の頃から始めたイベント
だが、椅子のペンキ塗りまでやるとは思わなかった。
 夏は海合宿、冬はスキー合宿、春秋は撮遊会と称して
よく遊んだ。少ないときはタレント5人にお客様7人、
多いときはお客様が400人もあった。8年ほど前から
スタッフ任せにしていたのだが、20年前一緒に始めた
Iくんと、初心に帰ってスタッフやろうかと話し合い、
今回に至った次第である。
 Iくんが執事で僕の役どころは老オーナー、夏物の
礼服を出したが、暑そうだな。
 さて、出かけますかな。

ペンキの上塗り

2007年06月23日 | Weblog
 晴れた日曜日の朝、通勤用の運動靴を洗うのは、
横浜の山田ガラス工場に通う鈴木俊夫くんの日課
だった。何度も水洗いしたあと、使い古しの歯ブラシ
にライオンの粉歯磨きをつけて白くするのだ。
 日当たり良好のテラスに干しておくと眩しいほど
白くなる。俊夫くんが靴を磨き始めると、必ず妖精
さんが現れる。友達のいない俊夫くんにとって妖精
さんは友達だ。会話といっても一方的な俊夫くんの
お喋りに終始する。
 庭でテーブルに白いペンキを塗りながら、僕は妖精
さんをさがした。
 夢と現実は違うのだ。子供の頃、何度母に諭されただろう。
僕にとって夢と現実の区別が稀薄なのは、夢のような現実が
度々訪れるからだ。
 ペンキ塗りが終わったら、妖精さんの紹介で夢のような少女
に逢う。多分、現実だと思うのだが、逢ってみないと分からない。
 19時からアトリエ公演「ミッドナイトフラワートレイン」の
本読み最終回、来週から荒立ちに入ります。

ライオンの由来

2007年06月22日 | Weblog
 僕の動く辞書Tに、銀座三越ライオンの由来を訊ねた。
ひょっとするとオーナーの趣味かも、と、適当に考えて
いたら、其のとおりだった。
 1914年、店を改装するとき、ニ体のライオンを設置
したそうだ。創業者はよほどライオンが好きだったらしく、
息子の名前も「雷音」と付けたほどで、稽古場でその話しを
聞いて一同「へええ」であった。
 数年前、ロンドンを旅したとき、ケンジントン公園にある
ピーターパンの銅像に偶然出くわしてえらく感動したことが
あった。物語の主人公や、動物の銅像なら和むのに、政治家
や経済人のそれだと、どうも馴染めない。同じ人間でも、
ギリシャの青年像や女神像だと、つい、眺めいってしまう。
 原因は、きっとその背景に在る物語の好き嫌いかも知れない。
偉人の銅像でも、昔小学校にあった二ノ宮金次郎は、薪を背負い
歩きながら読書をしている姿で、偉ぶっていなかった。
 政治家も、故郷に錦を飾りたい気持ちは理解出来るが、鍬を
担いだり、牛を曳いたりするポーズだと親しまれるかも。
そう云えば、母親を背負って階段を昇る偉い人の銅像もあったが、
やはり、背景の物語が稀薄だったり、見えなかったりすると、
ポーズに効果は無いのだろうか。
 ライオンから話しが飛んだが、疑問が解決したのは何よりだった。
銀座のライオンは口を開けているが、咆哮している訳ではなく、
何となく間抜けで、好感が持てる。息子の名前に「雷音」かあ…。