面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

夢の扉

2005年11月28日 | Weblog
 ある夜の夢には甘美な香りの扉があった。甘美な香り、というのは、例えば、二度と戻る事の出来ぬ幼年時の記憶であったり、亡き母の温もりであったり、真紅に燃える西空の夕焼けであったり、不確かな、手の届かぬ思いでが胸をくすぐる感触とでも言うのだろうか。
 僕は暫し、扉の前で立ち止まった。扉を押せば夢の世界へ入って行ける。なのに、僕の身体は動かなかった。 小林秀雄の言葉が浮かんだ。プラトンの「国家」を論じた、素晴らしい随筆なので引用してみる。「どんな高徳な人といわれているものも、恐ろしい、無法な欲望を内に隠し持っている、ということをくれぐれも忘れるな、それは君が、君の理性が眠る夜、見る夢を観察してみればわかることだ」ソクラテスの語る洞窟の比喩の解説だが、「そういう人間が集まって集団となれば、それは一匹の巨大な獣になる。飼い馴らすことの出来ない魔物となり、その巨獣(社会)にどうしても勝てぬという認識からソクラテスが死を選択する」ことを、小林秀雄は断言している。
 僕は扉の前から引き返した。数年来僕の脳を悩ませていた深い霧が、目覚めと共にすっかり晴れた。

坂道のカフェテラス

2005年11月25日 | Weblog
 昨年越して来た住居は高台にあり、陽当たりも良く今のところ然したる不満もない。駅から上って来る坂道に、僕の引っ越しと前後して、カフェテラスがオープンした。以来、何度も利用しながら、未だに店の名前が覚えられずにいる。
 仕事の打ち合わせや友人との待ち合わせの時、「坂道のカフェテラスで」と言えば,通用するのがいけないのかも知れない。それに、「店のなまえは?」と、聞かれた事が一度もない。皆良く解かるものだ。コーヒーも美味いし、たまにいただくブランチも中々いける。それに、BGMの音量が僕にはたまらなく心地良い。他に客が居らず店主が厨房にかくれた時など、BGMに合わせて店に置いてあるギターを弾いたりする。芝居のチラシを置いてもらったりして、お世話になっている。
 三年ぶりにライブをやると言ったら、ウチでもやりませんかと誘われた。良いかもしれない。今度のライブが終わったら考えよう。

2005年11月20日 | Weblog
 古いマンションで、自室に辿り着くまで、扉の鍵が三つ必要だ。疲れていたり、酔って帰る時など面倒臭くて仕方がない。友人AとHと食事をして、僕の部屋でコーヒーを飲む流れになった。話が弾んで煙草が切れた.Hが買いに行くことになり「鍵を持っていけ」、と置いたはずのテーブルの上に鍵がない。三人で大真面目に探したが見つからない。A持参の解禁ワインとビールでほろ酔いの三人、へらへら笑いながら探すが鍵は出てこない。夜中も二時を過ぎた頃Tから電話があり、「何をしている?」と聞くから「鍵を探している」と答えると、タクシーで飛んできた。Hは煙草を買いに出かけ、今度はTを加えた三人で鍵を探した。見つからない。キッチン、トイレ、寝室、書斎と広くもない部屋に鍵がない。「どこかに忘れてきたんじゃないかい?」とTがいう。「いや、俺達は鍵を開けて入った」とA。Hが帰ってきて、僕はコーヒーを淹れ、四人でのんだ。五時過ぎ、皆が帰ろうかと言い出した時、テーブルの上に忽然と、まさに忽然と三本の鍵が現れた。Tが言った。「シュレーデインガーの猫だ」今日も眠れそうにない。