面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

演技する精神を支えきれるか肉体!

2008年05月07日 | Weblog
 1日中電車を乗り継ぐ取材の旅の終点は新宿。18時にH監督と待ち合わせのトップスへ。遅れてTが来る。締めきりの原稿を仕上げたばかりだと、疲れきった顔をしていた。そういう僕も、きっと腑抜けた顔をしているに違いない。一ヶ月の公演がこれほど肉体にダメージを負わせるとは、少々甘くみていた。俳優も作家も画家も作曲家もアスリートである。精神を支えきれる肉体を持たなければ、その構想は破綻する。もっと肉体を鍛えよう。

 明日もまた、旅に出る。リフレッシュが済んだら、再び芝居作りに専念しよう。しかし、明日も18時に戻らねばならない。劇団研究予科第16期生の稽古初日である。

取材を旅と呼ぶか?

2008年05月07日 | Weblog
 虚脱感克服の為に、原稿書きではなく取材に出ようと思う。行く先は、思い立った処。と、言っても取材を旅と呼ぶにはおこがましい気がする。それも、精々東京近郊である。

 思えば旅のほとんどが、結果的には取材になっている。役立ったものもあれば、まだノートやダンボールに眠っているのもある。外国だと持って帰れない資料があり、実に残念な気持ちになる。ドラキュラに魅せられて欧羅巴を旅した時など、安眠できそうな柩があったが、さすがに贖えなかった。柩のベッドで眠るのはいささか不謹慎だと、当時の僕には社会人としての常識があった、という訳ではない。装飾の施された中世貴族の柩は、手の出る額ではなかったのだ。

 今思えば残念である。悪趣味の領域ではあろうが、黒檀に真紅のビロードを敷き詰めた柩のベッドは、良く眠れそうな気がする。しかし、誰も遊びに来てくれなくなったら、淋しいな。

稽古場日記が活発に!

2008年05月07日 | Weblog
 公演が終わったら、稽古場日記が活発に動き始めた。素敵なことだ。

 さて、ルノワール・ルノワール展とは、ルノワール父子のことだった。画家の父と映画監督の息子。絵とフイルムの展覧は確かに見ごたえはあった。然し、あまりにもポピュラーなルノワールの絵画は世界中に複製が氾濫している。慣れすぎて新たな感動は湧き上がって来なかった。むしろ、彼等父子の生き様の方が興味をそそる。モデルに執拗に拘った父、その父の愛人をヒロインに映画を撮り続けた息子の愛憎劇は、絵画にも映画にも作品そのものからは窺い知ることが出来ない。

 思った以上に1ヶ月公演を終えた虚脱感が大きい。電車は載り越すし、食事を摂るのも忘れた。劇団員の体調が心配だが、まだ誰かが倒れたという情報は入ってこない。僕が倒れたら洒落にならないので、自重して睡眠を取ることにしよう。それでは、また明日。