面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

柏の狐

2006年02月28日 | Weblog
 王子の狐ならぬ柏の狐が姿を消して五年が過ぎた。
 あの頃ぼくは妻を亡くして毎日嘆き暮らしていた。仕事も手につかず、寝酒の量も夜毎増えつづけた。大切な友人も四十歳を待たずに酒で逝った。このままだと、ぼくも後を追うことになるな、と、ボンヤリ思ったりした。
 三月の桃の花も開こうとする夜明け前、狐はするりとぼくのベッドに潜りこんできた。少女に化けているが、しなやかな身のこなしといい、肌の柔らかさといい、狐に違いなかった。「何処から来た?」と聞くと、「かしわ」と、声ではなく心に直接答えが届いた
 妖しいな、ぼくの部屋はマンションの五階にある。閉め忘れた窓のカーテンが風に揺れた。寝返りを打って狐に触ろうとしたら、ふっと、姿が消えた。
 そんな幻覚のような夜が三日続いた。四日目、ぼくは狐に言った。
「今日の昼、青山のアンデルセンに来てくれ。決して狐だと見破られるなよ」
 狐は、頷いて消えた。
 ぼくは安心して眠りに落ちた。十一時に目覚めてあわてて青山へ向かった。
 約束通り二階の隅に花柄のワンピース姿で、狐は見事に少女に化けて座っていた。
 彼女の席に向かおうとしてはじめて気付いた。しまった、ぼくはあわててパジャマのままで来てしまったようだ。
 お気に入りの鶯色のスーツは、父の家にある。急がなくちゃ、焦る気持ちと裏腹に表参道の人込みの中、ぼくは前に進めなかった。父の家に着いたのは夕暮れ時で、縁側に鶯色のスーツが掛けてあった。父は分かってくれていたんだ。着替えようとすると、ソースの匂いがした。見ると肩から胸の辺りにかけて真っ黒にソースの染みが付いている。時間がない。泣きたい気持ちを押さえてスーツを着た。
 遅かった。二階の席に狐の姿はなかった。ばれて捕らえられたのか、それとも、待ちくたびれて帰ってしまったのか。狐は二度と戻ってこなかった。
 あれから五年、ぼくは何度か引っ越して、坂の上の小さなマンションに住んでいる。
 狐がやってきたのは、二月の終わり、まだ桃の花も蕾の頃。暖かい風の吹く夜明け前だった。子狐を抱いてしあわせそうに微笑む姿に、思わず涙がこみあげた。
「よかった。無事に生き延びていたんだ」手を伸ばした先に、窓のカーテンが揺れていた。

君がなりたいのは?

2006年02月26日 | Weblog
 夜明け前の電話、受話器を取ると、去年の夏突然姿を消したSの声。
「あのですね、警察が来たんですよ」 お久しぶり、とか、その節は、とかの挨拶もない、まるで昨日まで隣に居たような物言いに、「何やったんだよ」と、思わず普通に返して苦笑した。
「駐車料金を払えって言うんですよ」「いくら?」「それが24万5千円も、どうも東京湾に沈めたのがばれちゃったみたいで」
 噂には聞いていたが、僕の元を離れる原因となったY嬢をやっぱり沈めていたのか。Sには悪いが、助けてやれそうにない話しだ。
「で、どうするんだ」「もちろん払いますよ」「いや、彼女の方だよ」Sは少し照れた声で「あはっ、Yなら犬に化けてるから大丈夫ですよ」「彼女、そんな力持っていたのか」
 Y嬢は3ヶ月程僕の所に居候していたが、毎日怪しげな薬を飲んでいたのを思い出した。「何言ってるんですか、先生が教えたんじゃないですか」 そうだ、僕が教えたんだ。犬だけじゃない。ミドリガメ、ヘビ、ネズミ、人間が嫌になった友達をなりたい動物に変えてあげたことが何度もあった。
「先生、ぼくもドラエモンに変えて下さい」Sに泣き声で頼まれた。「うーん、ドラエモンは動物じゃないからなあ」「トホホホ」Sは漫画のふきだしのような擬音で心情を表現した。本当に困っているのが伝わってきた。Sが子犬と仲良く暮らしているとAから聞いたことを思い出したので、犬を連れた銅像になることを勧めた。
「銅像はいいぞ。風に吹かれて、人間を見下ろして」Sをなだめていると、R嬢がエスプレッソのカップを「あっちい!あっちい!」と宙に浮かせながらやって来た。
「先生、好きな女のこの誕生日を、カードの暗誦番号にしちゃダメですよ」「何故?」「それって、別れたくないからでしょ?先生、みんな別れてるじゃないですか!私、絶対暗誦番号になりたくない!!」
 忘れたくないということは、忘れることを前提にしているのか。僕はR嬢の誕生日を暗誦してみた。 

映画「ミュンヘン」を観た夜

2006年02月11日 | Weblog
 どうしても自分の節穴から映画を観る悪い癖がある。自分の瞳孔は見えないくせにね。然し、今回は入れ替えのない劇場で二回も続けて観る事が出来たことで、より打ちのめされて幸せな気分になる事が出来た。スピルバーグ監督の映画研鑚の凄まじさにまずは脱帽。つづいて、世界の名優達の演技力に拍手。そして、彼らと同時代を生きる幸福に乾杯である。国家を考えると、どうしても生殺しにされた1945年8月以後の日本人として、全てが仮想でしか物言えぬ「ぬるま湯」半植民地人たる僕らは、立ち竦むしかない。だから、僕は芸術を隠れ蓑にして、その穴から思考を発信する。どう考えても独立してより良い国家が出来る程僕らは頭が良くない。かといって、言語を奪われるほど惨めな国民にもなりたくない。で、今の僕らが存在する訳だ。(民主主義的多数決でね)……だから、映画の話に戻ろう。まず、練りこまれた脚本がいい。無駄な台詞が一つもない。なのに、明確に問い台詞に対して受け台詞が書かれている。明かしてしまいたいエピソードを、じっと我慢して観客に提供する、まさしく娯楽映画の王道だ。スクリプトをたどるだけでも楽しい映画はそう多くはない。フィルムに関しては驚嘆するばかり。銀を残した現像だと、あとで映画通の知人に教えてもらったのだが、引き込まれるリアリティはやはり、映画の魔術であったか。僕は、CGだとも気付かず画面に見入ってしまった。イエス、と、ノーの一言がこれほど重い映画は久々だったので、眠れぬ夜を過ごしてしまった。コーヒー15杯の夜。

夜の葬列

2006年02月04日 | Weblog
 深夜だ。ジェレミー・アイアンズに似た紳士が訪ねてきた。仕立ての良い三つ揃えのスーツがあまりにも似合っていたので、無遠慮に見つめてしまった。「着替えるので少し待ってください」僕はパジャマのうえから皮のパンツとセーターを着て、紳士を近所にあるインドレストランへ誘った。マサラティを頼んで紳士にも勧めると、「1948年以来です」と目を細めた。どう見ても僕と同年代の風貌なのに可笑しなことを言うな、と、思ったが黙っていた。「姪が貴方を見初めたのです」紳士は申し訳なさそうな顔をして、瞬きをした。長い睫毛だった。思い出した。去年の夏、マルセイユであった少女の睫毛だ。真っ白なシルクの下着は、海から上がってきた少女の肌に薄紙のように危うげに纏わりついていた。紳士は何処まで知っているのだろうか、嫌な恐怖がわきあがった。後ろめたさをかくす時、僕の声は大きくなる。意識して潜めた。『彼女、元気ですか」紳士は立ちあがった。僕もつられてたちあがる。たちまち僕は漆黒の闇に囲まれた。音もなく馬車が現れ僕らは乗りこんだ。恐怖がまんまと僕を誘い出したのだ。近頃巧妙になってきたと警戒していたのに、やられてしまった。濡れた下着の少女の棺に僕は横たわっている。粛々と進む葬列が何処へ向かうのか、僕は知っている。もう目を閉じるしかないのだ。

オールドコーヒー

2006年02月02日 | Weblog
 銀座の裏町にRという珈琲だけの店がある。終戦後すぐの開店で、店主は御歳92才になられる。若い友人を誘って行ったのはいいが、雨の中、道に迷ってしまった。車でグルグルまわっているうちに、方向感覚を無くした。しかも、裏町は一方通行が多いときている。諦めかけた時、忽然と目の前に店が現れた。ミルク代わりに卵黄をいれる珈琲店があるから連れていく、と、何年も前から約束していたのでほっとした。友人は卵黄珈琲を、僕は、少し気取ってオールドコーヒーを注文した。老舗のバーのカウンターにいるような錯覚におちいる老舗の珈琲店で、1976年産のブラジルを飲んだ。色は濃いが味は柔らかい酸味が独特のブラジルが、一口毎に昔の思い出を蘇らせる。止まった時間の中で僕は立ち尽くした。涙があふれそうになったその時、「76年、僕の生まれた年です」友人の声が僕を現実に呼び戻してくれた。オールドコーヒーには魔力がある。けして一人では飲まないように。これは冗談ではない。僕は自分にそう言い聞かせた。

冬の雨

2006年02月01日 | Weblog
 夜半から降り続いた雨は朝になっても止みそうになかった。気圧が下がると、圧迫されて押し出された頚椎液が脳を刺激して狂いそうなほど頭痛がする。とても外出する気分になれず、ぐずぐずとベッドで寝返りを打ったりしていた。破れない約束が二件あった。バスタブに43度の湯を張って、他人のような身体を沈めた。少しづつ生きている感覚が戻ってくる。電話が鳴った。約束の時間を二時間遅らせて欲しいとのこと。願ってもない事だ。坂下のブルマンでコーヒーが飲める。歯を磨きながら新聞を読み、卵を茹でてパンを焼く。7年も繰り返している朝の日課だ。そういえば昨夜、僕は何処かにマフラーを忘れて来た。仕事が済んだら捜しに行こう。ミュンヘンを観なくては、いや、まだ公開前だ。クレジットカードの引き落としは?庭の掃除をしようと思って二ヶ月が過ぎた。窓を開けるとブルーのフイルタァをかけた空から絹糸を垂らしたような雨が僕の手の平に降りてきた。全てを終わらせる事をまた考えてしまった。サラサラと零れるトキの砂音・・・