面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

御礼

2008年10月11日 | Weblog
 ご愛読本当にありがとうございました。
あしかけ4年の長きに亘ってこのブログを続けることが出来たのは、ただひとえに、皆様のあたたかい励ましをいただいたからにほかありません。思いもつかない感想に驚いたり、長い空白を埋める再会を果たせたり、大袈裟ではなく、生きていることの馥を楽しむことが出来ました。今、感謝の気持ちに涙も熱くあふれます。

 これから、11月27日からの野方区民ホール公演、そして念願の九州巡演に向かって演劇一筋に邁進します。また、きっといつの日にか、自分の思いを綴る機会が与えられましたら、どうかよろしくお願いします。

 実は、ブログの最後にと、この夏九州で書いた「精霊流しの夜に」という小編をアップしたのですが、投稿作業の途中で何処かへ消えてしまいました。昨夜から一晩かけてパソコンを叩いていたので悲しくなりましたが、これも運命と諦め、ご挨拶をしたためています。いつか、読んでいただける日の為に、原稿用紙に残しておきます。

 では、11月27日、野方区民ホールでお会いしましょう。皆様に楽しんでいただける舞台に出来るよう、これから稽古に励みます。本当に、長い間、お付き合いくださいましてありがとうございました。最後に、皆様のご健康をお祈りしてお別れといたします。さようなら、そして、またお会いしましょうね。

 2008年10月11日 朝倉 薫

黒糖は甘い

2008年10月09日 | Weblog
 砂糖が甘いのは当たり前のことだが、小麦粉に混ぜた黒糖は思った以上に甘かった。小麦粉2に対して1の割合で入れたので、少し多かったのかも知れない。5個作って試食したのだが、旨すぎて全部平らげてしまい、胸焼けに悩まされている。

 この夏、94歳になる父が病院に行ってからだの不調を訴えたが、若い(?)医師に「食欲があれば大丈夫ですよ」と云われ、注射も打ってくれないと嘆いていた。
 「注射がもったいないからですよ」と憎まれ口を叩きながら、父の旺盛な食欲に安心したことがあった。

 食欲の秋である。歯医者に行く日にちを間違えた。今日だと思っていたら、昨日だった。今日行って治療してもらえなかったら予約して帰ろう。もうすぐ11月公演のチラシが出来上がる。デザインを安達野乃に初めて依頼した。新生朝倉薫演団が誕生する。

 台本の直しに少々手こずっている。直し始めると限がない。結局、ぐるっと廻っって初稿にもどる時もある。Wプロデユーサーの推薦であの「南部虎太」さんが出演してくれることになり、バカ旦那にするか、番頭にするか迷っている。配役次第では、芝居を全部持っていってしまいそうな強烈なキャラクターである。

いきなり饅頭試食

2008年10月08日 | Weblog
五年ばかり前、砂糖と塩を間違えて入れて劇団員に食べさせた事があった。今回は、黒糖なので間違える事はなかった。衣の中でさつまいもがホクホクに仕上がっている。千葉県産の紅東という芋だ。出来たてを試食して見る。公演の差し入れは、いきなり饅頭にしよう。

ちなみに、熊本の名物として駅や空港の売店で売られているが、田舎で急に客が来た時、主婦が有り合わせのさつまいもを小麦粉に包んでさっと蒸した、20分もあれば、いきなり作れる饅頭である。

いきなり饅頭

2008年10月08日 | Weblog
友人と食事しての帰り道、雲のまにまに浮かぶハーフムーンを見上げたら、いきなり饅頭を食べたくなって、スーパーマーケットに寄って小麦粉と黒糖、さつまいもを買って来た。小麦粉と黒糖を練り上げ、輪切りにしたさつまいもを包んで、今蒸し器に入れて火にかけた。

月光を浴びて

2008年10月07日 | Weblog
 風が鼻先に海の匂いを運んできた。
「海の匂いがする」
少年は緊張に耐えられなくなり、声に出した。
そして、そのことが恥ずかしくなり、身体を竦ませた。
少年は目の前で岩のように動かない父の背中に
顔をこすりつけたくなったが、我慢した。
四方を山に囲まれた村の外れにある芋畑を
天空に上った満月がサーチライトのように
明るく照らしていた。

 猟犬のジャックは父の隣でいつでも飛び出せる体勢で
合図を待っていた。彼は父が待てと言ったら、死ぬまで
同じ体勢で待つ忠実な猟犬だった。
ジャックが低いうなり声を立てた。
 父が猟銃を構えた。銃口の前方50メートルに標的が現れた。
芋の味を知ってしまった猪は、身の危険を冒してまで山を降りてくる。
 河豚の肝を食うのと一緒だと父が言ったことがある。
母に止められても、父は河豚をさばいてしびれると言いながら肝を食べた。

 耳たぶがカッと熱くなった。心臓の鼓動がドラムロールのように
早うちを始めた。ジャックが飛び出そうとするのを父が止めた。
父が猟銃を膝に下ろした。
 月明かりを浴びて小さな瓜子たちが芋畑で飛び跳ねていた。
母猪が掘り起こした芋を取り合って遊ぶ姿は、絵本の中の出来事のようだった。

 父が再び銃を構えた。少年は目を閉じた。
 銃声がほうき星のように長く夜空に轟いた。
 少年が目を開けると、芋畑に標的はいなかった。
 父の銃口は天空の月に向かっていた。

 

 


四季のない国

2008年10月06日 | Weblog
 世界には、雨季と乾季しかない国がたくさんある。からからに乾いた大地を雨が潤し、そしてまた乾く。春夏秋冬の四季を繰り返す国に住む人間とは、神の在り様も違って当然だろう。 春夏秋冬、神々を祭る島国の民に生まれ、何の疑いもなく季節の歌を歌ってきた。そんな僕の歌など、一編も通じないのだ。

 地獄の熱砂でわずかに降る恵みの雨を待つ暮らしの歌は、激しく切ない。ターキッシュダンスやサンバのリズムと日本の盆踊りを比べることは無意味であろう。わずかに、四国阿波の民が生んだ阿波踊りは、盆踊りと呼ぶには激しく情熱的で、異国の祭りに似ている。

 しかし、四国や九州とて、四季にいろどられた大地にある。わずか半世紀を生きただけでは、乾雨2季を繰り返す国を思っても想像に限界がある。イスタンブールに住んでみたいと、急に願望が芽生えた。しかし、乾雨2季を体験するには、最低1年間滞在しなくてはならない。今、その勇気はない。そのむかし、初めてギターを手にして弾いた曲が「ウスクダラ」だったことを思い出した。

 

 

 

 

雨の夜は優しい歌を

2008年10月06日 | Weblog
 人間が歌を歌い始めたのはいつからだろう。
 遠い遠い遥かな昔、獣の咆哮に脅え、降り続く雨に濡れ、やがて火を使うことを覚え、獣を撃退する術を得て、人の心に余裕が生まれたときか。思わず口をついた初めてのメロディはどんな旋律だったのだろうか。

 風の音に雨だれに、かすかな旋律を感じる。雨音だけの静かな夜である。僕は過去に創ってきた歌を思い出している。初めて僕の歌がレコードになった「酔っ払ってみたい」(歌・牧葉ユミ)、アマチュアバンドの「ADO」が歌ってラジオ局主催のコンテストでグランプリを獲った「記憶」、16歳で作った歌が30年後にレコードになった「約束」歌・桜井智、レコードになった途端独立騒動に巻き込まれた「ポケットの夢」歌・森進一、レコードの売り上げが300枚だった「雨の居酒屋」歌・牧葉ユミ、ギターで爪弾いてみる。

 「売れなかった僕の歌」詞・曲 竹内緑郎

 売れなかった僕の歌よ、悲しむことはない。
 いつの日にか、きっと誰かが歌ってくれるだろう。
 売れなかった僕の歌よ、大空へ羽ばたけ
 いつの日にか、きっと誰かが歌ってくれるだろ。

 雨の朝は優しい歌を、風の夜には切ない歌を、
 ピアノ叩いてギター爪弾き、僕は歌い続けてきた。
 あふれ出る言葉とメロディは、
 木漏れ日の中蝶と戯れ、渚に寄せる波と踊った。

 明日、大切なギターが戻ってくる。ギブソンのエリック・クラプトンモデル、これで、今年も年末ライブが出来る。ある方の好意がなければ叶わなかった。感謝は言葉では尽くせない。僕はこれからも歌を書き続ける。「雨の居酒屋」だって、300人の方が買ってくれたのだ。感謝しなくては。

 

朝陽が昇る前に

2008年10月05日 | Weblog
 六本木を5時54分の地下鉄大江戸線に乗って帰ってきた。朝陽が上る直前に玄関に着いた。ドラキュラでもないのに、せかされるように玄関の鍵を開けた。ゆっくりサウナでくつろいで、休憩室のリクライニングシートに身体を沈めた途端、奇妙な夢を見てしまったものだから、何だかふわふわしている。

 昔のスタッフIくんに案内されて大空に舞い上がり、空中に浮かぶ風船につかまり、浮き輪で波間にただようかのように、地上1000メートルあたりで待機していた。Iくんに何かを待つように言われたのだが、言葉が風に流されて聞き取れなかった。僕はすっかりIくんを信用していたので、何の疑いもなく空中に浮かんでいた。ひとりにされてはじめて、僕は自分が高所恐怖症だったことに気付いた。

 恐怖感で身体が竦んだ。靴が片方抜けて落ちていった。見下ろすと、海岸の工場地帯だった。靴は風に流されて、防波堤すれすれの海に落ちた。手を離せば僕も靴のように落ちるだろう。しかし、この高さでは海に落ちても助からないだろう。風船につかまった腕が疲れてきた。別れた彼女の声が聞こえた。「本当に人を見る目がない人ね。信用出来る人の区別も出来ないなんて」

 すごく惨めな気分になったとき、目が覚めた。身体が冷えてしまったので、もう一度サウナに入ってから着替えた。しばらくは、高いところにいるような嫌な胸騒ぎが続いた。脈拍を測ると97回だった。帰宅して測るといつもの61回に戻っていた。落ち着かないので、洗濯でもしよう。すっかり朝陽は昇ってしまった。今日も快晴である。

 

岩盤浴

2008年10月04日 | Weblog
六本木でW氏と打ち合わせしていて、部屋が劇団の荷物に占領されているので帰京してからまだ一度も布団に寝ていないので身体がぼろぼろだと言ったら、ロアビルのサウナ券をくれた。これから、深夜ライブの取材に出かけると言うW氏と別れてサウナに来た。岩盤浴があったので、ガウンを借りて入った。20坪ほどの広さの部屋に小石が敷き詰めてあり、ほど良く落とした照明に、せせらぎと小鳥の声が聞こえる。寝転ぶと、夏の夕暮れの河原にいる気分だ。小石は心地よい熱さで、低温なのにたちまち、身体中から汗が吹き出す。15分もするとガウンは汗でぐっしょり濡れた。睡魔が忍び寄る。必死でサウナを出て、水風呂に入った。睡魔は一瞬に消し飛んだが、冷たさに歯がカチカチと鳴った。岩盤浴がこれほどだったとは、認識不足であった。W氏の好意に深く感謝しながら、1ヶ月ぶりに、思う存分手足を伸ばしている。