面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

稽古が面白くて

2007年08月31日 | Weblog
 稽古が面白くて時間の過ぎるのを忘れる。10年前だったら稽古に熱中する僕に帰りたいと言い出せなくて始発を待つ新人が殆どだったが、今は、時間が来たので帰ります、と、新人だろうがしっかり主張する。おお、もうこんな時間か、と、僕もさっと終わりにする。稽古時間は予め決めてあることと、相対的にみて俳優より僕のほうが数倍稽古が面白いだろうと思うので、あっさり、それではまた明日、と、解散に出来るのだ。

 それでも物足りない時は、徒歩で帰れる距離に住む安達竹彦や樋口昇平が付き合わされる。実は今まで3人で稽古をしていた。先に帰った俳優の役を演じると、演出席ではみえない芝居が見えることもある。記憶に留めて明日の稽古に生かせる事もある。

 明日女優陣に新たな人が参加するかも知れない。確定するまでは公表出来ないが、僕とそのひとは遠いむかし、荷車を押して旅回りをしていた。記憶を辿れば五百年もむかしのことだ。ひとは必ず、思いを残したひとや恨みを残したひとと巡り会う。借りは必ず返される。恩も仇も必ず報われる。四千年続く仏教の思想に他力本願というのがある。他人を頼ることではない。己の小ささを知り、大いなるものに身を任せ、一心に本願を祈ることだという。

まるでひと時代前の少女まんがのようだが、上海で巡り会った小燕といい、僕は不思議なめぐり合わせが多い。何度生まれ変われば極楽浄土へ行けるのか、果てしない旅は続く。仲良くしましょう。今度はいつめぐり会えるか、それすらも侭にならないちっぽけな人間なのだから。

緑の大回廊

2007年08月30日 | Weblog
 愛読書の一冊だが、心に余裕が無い時は書棚から取り出さない。「緑の大回廊」岩松睦夫著、1984年の初版だが、大切に読んでいる。森が語る日本人へのメッセージと副題にある。緑の大回廊とは日本列島のことである。僕らの豊かな森は自然に出来たのではなく、祖先の弛まぬ努力と叡智によって築き上げられたことが愛情溢れる筆致で解き明かされている。

 著者の岩松さんにお会いしたいと思っていたが、果たせなかった。種村季弘先生同様、心が残る。お忙しい方であったと聞いている。読売新聞の政治記者から内閣総理大臣秘書まで勤められながら、素晴らしい一冊を残された。新聞記者ならではの取材と資料に基づいた、物言わぬ日本の歴史書である。心に余裕のあるとき、是非お奨めです。

 1984年、上海から帰った僕は熊本の実家で夏から秋にかけて小説「獏の群れなす街で」を書いた。四百字で八百枚を書き上げ、何かの賞に応募しようと思ったが、今もダンボールに眠っている。劇団を立ち上げる8年前のことである。

逢いたい人には逢っておくべきだ。人は何時別れが来るかも知れない。言い残した事は山ほどある。風のように雲の様に、記憶は何処かに流れて消える。書きなぐった文字の捨て場所もなく、また引っ越しを考えている。落ち着きの無い男だね、まったく。

終らない夏

2007年08月29日 | Weblog
 真夏生まれの僕は、四季の中で夏に対して思い入れが強い。季節の歌も夏が一番多い。だからとは云えないだろうが、夏は過ぎ去るのが早い。春はグズグズ、秋はドンヨリ、冬はブルブルと、季節が過ぎるのを待つが、夏はいつも、燃える想いを残したまま終ってしまう。

 ところが、仕事となると夏はまったくはかどらない。ワクワクする気持ちは遊びに向いてしまうのだ。海、山、祭り、夜更かしは連日、子供の頃から何も変わらない。飽きないものだ。今年もまた、夏が終わろうとしている。9月の雨は夏を洗い流す為に降るのかと恨めしくなる。いよいよ空模様が怪しくなってきた。

 何処かに終わらない夏があって、いつの日か僕はそこで暮らそうと思っている。大好きな人たちとお芝居を作って、出来あがったら春、秋、冬と世界中を旅する。夏はいつも遊んでいるのだ。なんて素敵な考えだろう。

 「男たちの日記」は、そんな僕の想いが募って書き上げた作品です。昨日チケットが発売になりました。Mさんも、Oさんも、今回は是非、是非お越し下さいね。お芝居が終わったら、お茶を飲みながら語り明かしたいですね。夢のような夢の話を。

僕らの夏

2007年08月27日 | Weblog
 「男たちの日記」の劇中歌に「僕らの夏」というのがある。雨上がりの虹を追いかけて裸足で走った…水たまりの青い空に僕らは舞いあがる…。朝倉&神津コンビの作詞作曲で、自分でいうのもナンだが、初期の傑作だと思っている。主人公佐藤正光は親友木村茂が死んだ13才の夏の日の呪縛から十五年間も逃れられないでいる。しかも、男である事を止め、無謀とも思える生き方をしている。

 今回のアトリエ公演で、鍛えに鍛えた秘密兵器安達竹彦が演じる。そして女性版ではその役を北原マヤが演じる。初日を思っただけで心が踊る。ある意味、朝倉薫演劇団前期の集大成かも知れない。竹彦は17歳から14年、マヤ嬢は11年間、罵詈雑言に耐えてここまで来た。逃げない事が明日につながることを二人は知っている。劇団の明日は明るい。

 夏はいつも僕に奇跡を見せてくれる。そもそも二人が僕のもとに残っていることが奇跡なのに、「男たちの日記」を再演できることが奇跡なのに、これ以上何を望もう。僕らの夏はいつも輝いている。朝倉&神津コンビの新しい挑戦も始まる。Mさん、期待してくれて大丈夫です。あなたのお便りは僕らのエネルギーです。ありがとう!

感謝すべきひと

2007年08月26日 | Weblog
 感謝すべきひとを間違えてはいけない。苦言は良薬である。感謝すべきひとは声高に主張しない。耳を澄ませ目を見開き、僕は感謝すべきひとを見つけるのだ。

 昨日のライブは大成功に終わった。北原マヤ嬢を始め劇団新人達の奮闘に感謝する。わざわざ六本木までお越し頂いた神津先生、堀川りょうさんにもちゃんとご挨拶も出来なかった。大忙しのライブが終わって、さあ、今日から新たな夢に向かって気合いを入れよう。

 面白い企画が沢山ある。ひとつひとつ誠実に取り組んでいこう。

明日はTOMO夏’07

2007年08月24日 | Weblog
 9月アトリエ公演「男たちの日記」の稽古が大変だが面白い。女優たちの稽古を男優たちが見学し、続いてその逆となる。それを交互に繰り返すと、時間はいくらあっても足りない。ところが、21時を過ぎると女優陣がそわそわしてくる。コーラスとダンスで参加するTOMO夏、櫻井智のライブは土曜日の開催なのです。そこで、芝居の稽古を打ちきり、歌とダンスの練習。勿論、構成演出は僕なので当然付き合うことになる。

 その稽古中に櫻井嬢から電話があり曲目変更の相談、曲がながれダンス中のスタジオの喧騒で声が大きくなる。スタッフの慌ただしさも増してくる。そこへポスターが仕上がってくる。チェックをお願いしますといわれても電話中、タイミングよく衣装の直しがあがってくる。10年前の夏がよみがえる。この喧騒に心から笑いがこみ上げてくる。

 また一から始まった。だが、10年前とは何もかもが違う。規模は100分の一にも満たないが、心意気は100倍だ。スタジオ中に愛が溢れ、ひたすら前向きに取り組んでいる。ステージに立てない新人も、何か役に立ちたいと動き回っている。僕を筆頭に皆貧しい。今はこの貧しさを喜びたい。金で買えない創意工夫が生まれる。ささやかな差し入れがありがたい。裏切りも憎しみも入りこむ隙は無い。

 2007年8月25日、観客50名の会場から新しい夢が飛翔する。生きて立ち会えることがこれほど幸せだとは…。10年前の夏に感謝する。

熱い男と誠実な男

2007年08月23日 | Weblog
 熱い男と出会っても長続きしない。それは僕が似たような男だからだ。ここまで生きて来て、誠実な男と呼ばれた事がない。それは、自覚している。夢ばかり語り、足が地についていないからだ。それも、自覚している。なのに、僕は誠実な男達に囲まれている。映画監督の保坂延彦氏もその一人だ。6年前、「グッドバイ」という映画の監督と脚本家として知り合った。その作品は撮影2日目にして中止となったが、監督は撮影現場から僕に電話で中止を伝えてくれた。いつの日か必ず映画にするという約束の言葉を添えて。

 一昨年、監督の「そうかもしれない」は試写会にも招かれたが、優しい映画だった。作品は数々の賞を受賞した。2ヶ月ごとのアトリエ公演にも必ず足を運んでくれる。しかも、観劇料を受付でしっかり払ってくれる。観終ったあとも一切の批評もなく、優しい笑顔で「ご苦労様」といって帰られる。

 昨日、あらためて僕のあのときの脚本で映画を撮ると連絡があった。僕は心から成功を祈った。監督は云っていた、自分の金で撮るのは簡単です。そうではない、映画にはプロデユーサーが必要なのです。お金はその人が出すのです。彼は生涯でまだ4本の映画しか発表されていない。5本目に金を出すプロデユーサーが誠実な男である事を願う。

 比べて僕は他人に金を出して貰って仕事をする事が苦手だ。だから、自分のアトリエで自分で出来る舞台しか作れない。覚悟が足りないのだろうか、いや、あれこれ文句を言われるのが嫌なのだろう。僕の書いたホンはどうも映画関係者に理解されにくい。「犬の妹」など幾人にもキチガイあつかいされた。だからといって理解されたくて書き直す気などさらさら無い。観客に面白かったよ、と、喜んで貰えたらそれでいいのだ。これを「肥後もっこす」という。

 さあ、今日も「男たちの日記」の稽古だ。行ってきます。

リハーサル

2007年08月23日 | Weblog
 8.25開催の櫻井智ライブ、そのリハーサルを六本木ヴァィパークラブでやった。17時過ぎに終了してその足で稽古場へ。9月公演「男たちの日記」の稽古を終えて只今帰宅。

 一本の脚本で二本の芝居を見せる構成に変更。今日から2組の稽古を始めた。北原マヤを始め劇団の女優陣とゲスト女優による「男たちの日記」。昨日男性陣の稽古をつけながら突然浮かんだ映像だ。演出家としては2倍の労力を要するが、実現出来るのは今しかないと思い、昨夜北原嬢に電話で打ち明けた。そして今日、北原、またか、ゲストの海藤純嬢らが揃い読み合わせに入った。

 男たちとは全く異なる「男たちの日記」そして、安達竹彦初主演のまさに「男たちの日記」毎日二本の舞台を一本分の料金でお見せします。これぞ創立15周年記念に相応しい公演になると確信している。

男たちの日記

2007年08月21日 | Weblog
 今日から9月アトリエ公演「男たちの日記」の稽古が始まる。アトリエ公演に挑戦してくれる若い俳優陣と、これから1ヶ月間芝居作りに没頭する。歳をとっている暇がないのは嬉しい事だ。’93年の初演から3度目の挑戦になる。

 今年はまだまだ区民会館の本公演も控えている。1年中芝居を作っていられることが何と幸せなことか、全てに感謝している。その上に小説が書けたり、異業種の企画に参加出来たり、私生活の身の不幸を嘆いている場合ではないだろう。

 面白い舞台に仕上げるのでご期待下さい。では、行って来ます。

夢は誰かの為にある

2007年08月21日 | Weblog
 「目標は自分の為にあり、夢は誰かの為にある」と、NHKの深夜特番で欽ちゃんこと萩本欽一氏がインタビューに答えていた。百年後の未来人に向けて、という壮大な企画の第一回目だった。「自分の為にやった事はことごとく失敗し、誰かの為にやった仕事は必ず成功した」と、「ダメが多い仕事は衰退する」という彼の意見は象徴的だった。映画と野球を名指しで批判していたのも、柔和な笑顔の下にある鋼鉄の意思を感じさせた。

 昨日、同じようなことを考え結論づけていたので、偶然とはいえ、素直に嬉しかった。自分の為にとやった仕事は苦しいだけで失敗が多い。成功しても喜びは薄い。多くの人に喜んで貰える仕事の精神的報酬は大きい。

 今の苦しみは希望のある苦しみだ。今日から「それはダメだ」という言葉を極力慎むことにしよう。ダメでも何とか考えよう。演劇を衰退させない為に、強くなろう。